原作:金杉忠男、脚本・構成・演出:平田オリザの『上野動物園再々々襲撃』は、青年団第41回公演として、2001年4〜6月に、利賀山房(富山県利賀村)およびシアタートラム(東京)で公演されました。
これは、同公演に参加したときの稽古および本番の日記です。
『上野動物園再々々襲撃』の稽古が、きょうから始まった。この公演には、元金杉アソシエーツの俳優5人と青年団の俳優13人が出演する。
演出家が、まず、歌を覚えてもらいたい、と言ってCDをかけた。「とんとんともだち」という童謡。『上野動物園〜』は、小学校の同窓生たちの話で、同窓生の役の人はみなこの歌を歌う、とのことだった。私もその一人。私にとっては小さい頃聞いたり歌ったりした曲だったが、私より年上の人も年下の人も、知らないと言う人がほとんどだった。
渡された台本は、冒頭10ページちょっと。私も含め、まだ半分以上の人物が、登場していない。
台本が、5ページほど追加された。新たな登場人物なし。
この芝居の舞台は、下町の喫茶店だ。以前の公演の小道具で、とりあえず喫茶店の備品がだいたいそろった。『ソウル市民』のティーカップ、『南へ』で使ったグラス、伝票ホルダー、など。
今回の公演では、外部から参加の人たちもいるので、稽古場の掃除やなんかをどうするのかということについて、きょうのミーティングでみんなにアナウンスがあった。
あらたに5ページほど。私はまだ登場せず。劇作家の話によると、私の登場は結構後半らしい。劇中で「月の沙漠」も歌われることになった。
欠席の人が2名あり、台本ができている部分で稽古のできるところ皆無。読み合わせというか台詞入れというか、のみ。台本新たに数ページ。その中で登場し、退場していく新たな人物あり(私じゃないけど)。劇作家の話によると、私の役は、増本(死んだ人。その人の葬式なので昔の同窓生が集まっているという設定)の妹になるかもしれないとのこと。
きょうも私の出番はなし。稽古場のあるアゴラ劇場で、バラシと照明仕込みを手伝った。というのは、きょうまで公演している劇団も、今晩小屋入りして火、水に公演する劇団も、知り合いだったりお世話になったりしていて個人的にできる範囲でお手伝いをしたいと思っている劇団だから。
新しい台本なし。同窓生のおじさんたちが合唱する、「マチコなんかすぐ泣いちゃう」(私は、音楽でホントにやすやすと感動してしまうのです)と言われているシーンの稽古があったので、ちょっと見てみた。用心していたせいか涙は出てこなかったけれど、「歌う」みたいじゃなく「しゃべる」みたいに歌っている人がいて、心に響く感じだった。本番を見たら、たしかに泣いちゃうかもしれない、私なら。
本番用のテーブル、椅子がきのう届いた。濃い茶色の木製。椅子に薄いクッションを置くというので、きょう、試作品を2つ作ってみた(布、ミシン関係の作業は、私に回ってくることが多い)。
「裁判所の階段」というパターンで、プレストキルトの手法でおもて面(土台布+キルトわた、の上にピーシング)を作り、裏布と中表に合わせて周囲を(返し口を残して)ぐるりと縫い、表に返して口を閉じる。椅子の背もたれに結ぶための紐を付ける。――というやり方で作成。
稽古のとき、演出に見てもらった。もうちょっと厚く、ということなので、キルトわたを2枚重ねにすることにする。ピーシングするときにたぶんそれでは厚みがありすぎるので、1枚はピーシングしてから重ねようと思う。
台本が、だいぶできてきた。もう、あと登場していない人は、私ともう一人だけだ。いない人の代役で、読み合わせに参加した。その役を演じる人のイメージをどうしてもなぞってしまいそうになる。
台本増えず。事務所の片隅でクッション作成を進める。都合5個完成(あと5個)。
ようやく登場。稽古の予定だったが、欠席者があったため、読み合わせのみ。何回か読んでから、各自で覚える時間を取り、その後また読み合わせをするという形で自主練。
私はまだ1ページちょっとしかないけれど、いままでやったことないような感じの台詞で、嬉しい。今後が楽しみだ。
やはり、増本の妹ということになったので、喪服は和服にすることにした。身内くらいしか、着ないもん。
さらに数ページ、来た。「退場」とは書いてないけど、後半はなんだか台詞がぜんぜんない。おととい新規で来た分のところから続けて、代役を立てて立ち稽古。
いままで出番がなかったので、きょうが私の稽古初日だった。4時間ほどの稽古だったけど、くたくたに疲れた。これから毎日、こういうアタマ・カラダを使っていくんだなぁ。
休憩時間に他の俳優と、髪をどうしようかとかそういう話をした。まだ漠然としたイメージしかない。
テーブル席の椅子用のクッションを、美術家がまず見たいと言うので、できてる分の画像を自分のウェブサイト内に置いて、見てもらった。ペアのが何組かあってもいいと思う、と言われた。
昨日まで他の公演に出演していた二人のキャストが、きょうから稽古に参加。
衣装(和服の喪服)を、着て、演出に見てもらおうと思っていたんだけど、帯を締める前の段階でミーティングに突入してしまい、そのまま聞いてみたらすんなりOKが出た。
昨日から参加の二人の出ているシーンを稽古。私の登場の直前までで稽古が終わった。
演出家に、
「髪を切りたいんだけど、これはダメ、というスタイルはある?」
と聞いたところ、坊主・スキンヘッド以外だったらなんでもいいという答えだった。和服なので、首が出るくらいの短い髪にしたい。
夕方から、俳優のみで自主稽古。「もう本当いや、田舎の葬式みたいで、下町は」という台詞がどうしても出てこない。ホントにいやそうに言ってたのを、にこにこして言うように変えたからうまくいかないんだろうか。
クッションの、残り5つのおもて面(パッチワーク部分)を作成した。
自主稽古。登場直後の一連の台詞が、ようやく身体になじんできた感じ。
クッション、すべて完成。
稽古休み。
歯医者に行く。定期検診。
美容師に予約の電話をしたら、4月17日以降じゃないとあいていない、とのこと。20日に予約を入れる。利賀入り直前だ。
自主稽古。私が出るあたりは8時からの予定だったので、7時過ぎくらいに稽古場に行った。
座るようにすすめられるセリフがちょっと後にあるのに、その前に他の人から(座れ、というように)手招きされちゃって困ったりした。
久しぶりに、演出家のいる稽古。しかし、私のところは、稽古なし。
きょうから稽古場が、アゴラから森下のスタジオにかわった。やっと舞台(利賀山房)の実寸で稽古できる。3組のテーブル、椅子の位置関係が、アゴラの稽古場とだいぶ変わり、それに伴って、段取りもだいぶ変更になった。
今回私は衣装が和服なので、きょうから和服で稽古することにした。前に人からいただいた、ウールの着物。
タタキ1日目。私その他女子の大半は、劇団事務所でのダイレクトメール作成の作業があり、タタキには参加せず。
夕方から稽古。4場の、北本という登場人物が死んだ妹と対話するシーンまでの台本が渡された。途中、自分は癌で余命幾ばくもないんだ、と告白する人あり、きょうは兄の葬式に集まってくれてありがとうとスピーチする人(私)あり、さらに死んだ妹も出てきて、読み合わせをしている稽古場のそこここから鼻をすすりあげる音が聞こえてきていた。私も、最初はがまんしていたんだけど、自分のセリフのト書きに「少し泣いている」とあるのを見たとたんに涙が流れ出して止まらなくなってしまった。
帰宅し、きょうもらった分のセリフを覚えようとしている最中も、すぐ泣けてきてしまって、泣くのもいいかもしれないけど、泣くとして毎回毎回泣けるんだろうか、と不安になった。あと、俳優がぼうぼう泣いていてはお客さんが引いてしまうのではないか、という不安もある。
タタキ2日目。昨日に引き続き、カウンターと4人掛けテーブルの作成。ニスを塗っていて、溶剤に酔ったようになり、デビッド・ボウイーの歌などを歌って止まらなくなり「うるさい」とおこられた。予定より1日早く、きょうでタタキ(利賀用)終了。
台本が、ラストまで完成。きのうに引き続き、読み合わせで泣く人続出。
欠席者があり、昨日渡された台本の部分の稽古、できず。あの泣いちゃうセリフを自分がどう言うか、演出がどんな演出をつけるのか、というのをとても楽しみにしていたので、ちょっとがっかり。
きょうは、私のところは稽古がなかった。
俳優がそろい、きのうできなかった後半部分の稽古ができた。問題の、私が泣くところは、最初の部分で「それでは泣きすぎ。『少し泣いている』だよ」と言われたけれど、あとはダメはなかった。セリフを覚えているときとか、どうしても泣けちゃうので、立ち稽古ではどうなっちゃうだろうかと心配だったけれど、コントロールできた。これだったら、メイクしても大丈夫そうだ(涙で衣装を汚しそうで、ためらっていた)。
美術家が稽古に来た。奥の廊下にのれんを下げると言う。「和風でモダンでちょっとヨーロッパ」な感じにしたいとのこと。クッションに引き続き、私が作ることになった。
きのうに引き続き、泣きのシーンの稽古があった。きょうは細かく、どこが泣きすぎ、とか、ここからここまでは途中で切らないで言うように、とか演出がついた。「どうもありがとうございました」と次の「ありがとう」と、自分のプランでは言い方が同じになっちゃってるなぁと思っていたら、やっぱり直された。
目の辺りに手をあてるタイミングを直されて、そのときはそのとおりにしたけれど、いま考えてみると、あそこは、「手」なしでやるべきじゃないかと思う。日曜日に通しの前にもう一度あの辺りの稽古が予定されているので、そのときに試してみたい。
のれんは、もう1つ、階段の上がり口にも設置することになった。
前半(といっても「私の出番のうちの前半」で、全体でいったら3場)の稽古あり。その前の段取りが変わって向かい合う俳優の座る席が前とちがっていたりして、なんか、最初、落ち着かなかった。ふだんの生活もそうなんだろうけど、舞台に立っているときは、「いま自分にどういう景色が見えているのか」という情報にだいぶたよって組み立てを考えているんだなぁとあらためて思った。
懸案の「手なしの泣き」を試してみたけれど、ダメが出た。私がやりたかったのは、
- 呆然としている
- 「大丈夫?」と声を掛けられて、じわっと涙が出る
- それで、手で涙を拭く
というのだったんだけど、たぶん演出家には(そして観客にも)そういうふうには見えなかったんだろうなぁ。泣き虫の私としては、とってもリアルな段取りだと思うんだけど、どう見えるかというのはまた別だから。
初めての通し稽古。プロンプが飛びはしたけれど、セリフの間違いも数々あったけど、なんとかかんとかとまらずに最後まで通せた。新人の人など、劇団員が見に来ていた。はけてすぐ客席を見たらぐしゅぐしゅに泣いている人がいた。
3時からの自主稽古だけ参加。演出家のいる稽古は1場からやっていくとのことだったので、出番なし。
「和風でモダンでちょっとヨーロッパ」なのれんを作成すべく、生地屋に。アメリカ製コットン(たぶん)なのに浴衣の柄のような紺の生地を見つけ、これをメインにして少し作ってみた。「和風」で「モダン」にはなったと思うが、「ヨーロッパ」にはあまり自信がない。
3場の「中川」のいるシーンをみっちり稽古した。OKとなってからも再度、部分通し。
後は私は稽古がなかったので、スタッフ等に配るための台本の製本を少しやった。
通し前に、きのう稽古が間に合わなかった「泣くシーン」を稽古。セリフがちょっとだけ変更になった。
美術家に、のれんの試作を見てもらった。「手の込んだの」と「おおざっぱなの」を用意していたが、前者で行くことに決定。
きのう、通しの後、何人かで飲んだんだけど、それで家に帰って、けさ荷物を確かめたら、3枚作ったのれん試作のうちの1枚がなくなっていた!地下鉄の中で見せたときに落としたんだろうか。稽古場に忘れていったのかとも思ったけれど、みつからない。「手の込んだの」のほうだったのでショック大きい。他の人が、電車の会社の忘れ物係に問い合わせてくれたけど、そのような忘れ物は届いていないとのことだった。
劇団のミシンを稽古場に持ってきてもらい、きょうから稽古場で縫い物をすることにした。のれんは、45cmx120cmの手ぬぐい状の物を6枚作るんだけど、今のところ、1枚完成、2枚はあとふちを縫うだけ。4枚目は、1/4ほどまで進んだ。きょうはその他に、テーブルランナーに使っているハンカチをまるく加工する作業もした。4人掛けの四角いテーブル(2つ)用には四角いハンカチをそのまま使っているんだけど、2人掛け丸テーブル用のは「まるいのがいい」と美術家が言うので、ハンカチの、縁がレース状にかがってある部分はいかして楕円状のテーブルランナーを作ることにして、形通りにジグザグミシンで縁縫いをしてからそのすぐ外側をハサミで切り抜くという方法で処理した。
私の出ているシーンで稽古があったのは、4場。特にダメ出しはなかった。
ある俳優が、数日前にセリフが増えたところがどうしても言えなくて、そこに来るとつまってしまう。臨海学校で足がつった、というセリフなんだけど、どうして言えないんだろう?ラストシーン(私は出てないけど)も、だいぶセリフが追加になって、きょうはそこは読んだだけだけど、なんだか感動的なセリフで、聞いていて涙ぐんでしまった。情緒に訴えかけるセリフ、というか。
のれんは、4枚完成。あと2枚だ。丸いテーブルセンターは、美術家からダメが出た。楕円ではなく正円がいいとのこと。
私が出てるとこでは、3場と4場の一部の稽古があったけど、特にダメ出しはなかった。
3回めの通し稽古。椅子にかけたときの着物の裾の乱れが気になる。いまは床面が客席部分と同じ高さなので、見ている人はあまり気づいていないと思うが、実際劇場入りしたら客席よりも舞台面が高いわけなので、これは充分気を付けないといけない。
きのうは、利賀入り前の最後の休みだった。休み明けのきょう、びっくりするニュースが待っていた。先日来身体の調子が悪かった俳優1名が、入院し、出演できないことになった。夕方には代役が決まり、大阪からあす上京するという。明日からの稽古予定が、当然だが大幅に変更になった。
劇場入りの日に入院とか、体調を崩し大事をとって降板、とか、もしかしたら配役変更か、といったことが、青年団でいままでなかったわけではないので、大変は大変だけど、「ショック〜!!がーん!!!」というよりは、「じゃぁ、どうしたらいいか」という具体的・建設的な方面にみんなの関心が向かっている。
別にこういう日をねらったワケじゃなく、もともとからの予定だったんだけど、五反田団の人が稽古を見に来た。
きょうから参加の俳優のシーンを中心に稽古。お客さんを迎えたり、コーヒーを出したり、動作のいっぱいある役をてきぱきこなしている。
のれんは6枚一応完成。ただし、廊下に下げる分が、裏も見えるようなので、縫い代の始末をしないといけない。利賀に出発するまでになんとか仕上げる予定。
森下の稽古場は今日までで、あすからアゴラに戻るので、稽古の後、撤収作業をした。青年団の公演では、俳優が分担して「小道具」、「メイク」、「衣装」などの「係」になる。私はいままで「生活係」(稽古場でお茶が飲めるようにポットなどをセッティングしたり、ゴミの捨て方を皆に徹底したり)だったのだけど、今回は、他に生活係が2人いたので、
「国際班の仕事(英語の報告書を作ったりとか)があるので、私は生活は、やりません」
って言っていて、生活関連の仕事は全部その人たちにやってもらっていた。ところが、一人が病気で降板。そしてきょうはもう一人の生活係も熱が出たそうでお休み。結局、生活関係の撤収は、私中心でやった。
稽古の合間に、のれんの縫い代始末も完了。縫い代の幅を一定にしてあったので、片倒しにしてきわのところをミシンで押さえた。がんがん洗濯とかしたらほつれてくるだろうけど、そういうものではないので、これで充分。
美容院に行く。
「和服の喪服を着る。首筋の見える髪型がいいと思うんだけど、『和服だからアップ』というんじゃなく、短い髪にしたい。」
と希望を伝えると、
「外はねか、ストレートパーマでショートボブ」
との返事。短めのワンレンソバージュなんかどう?と一応言ってみたけれど、却下される。外はねはやだなと思ったので、ボブにすることに。最近ずっとパーマかけてウェイビーな髪だったので、さらっさらのストレートは新鮮。
稽古場に戻ると、新しい髪型に対する反応が、男女でまったくちがった。女の人はみな肯定的だったが、男の人には不評。「金太郎」などと言われた。
俳優交代後、初の、通し稽古。3日間の稽古でよくぞここまで。その俳優や相手役ががんばったということもあるけど、青年団の方法論がしっかりしてるから、という面も大きいと思う。
稽古の後、置き道具、小道具その他の梱包。明日の積み込みに備えて、1Fに荷物をおろす。
その後、利賀参加者(『上野動物園〜』組以外に、新人も参加する)が集まって、ミーティング。明日の段取りなどの最終確認をした。
アゴラ、倉庫からトラックに荷物を積み、いったん解散。夜11:45の集合に向けて、各自最後の準備がいろいろあるらしい。
私は、主な荷物はすでにトラックに積んでしまったので、きょうの荷造りは、洗面用具だとかパソコンだとか、出発直前まで必要な物のみ。パソコンは、去年の旅公演には家にあった古いマックのノート(内蔵電池が死んでいて、壁コンセントから電源をとらないと立ち上がらない)を持っていっていたのだけど、今年は7月に1カ月間家をあける予定もすでに決まっていて、いま使っているデスクトップと同等の仕事のできるマシンがほしかったので、新しく用意した(中古だけど)。
早朝に寄ったサービス・エリアの売店のおばさんに、どこに行くのかと聞かれ、
「利賀村です」
と答えたら、
「まだちょっと早いね」
と言われた。いいシーズンはもうちょっと先らしい。でもフェスティバルに参加しに行くんだからそうも言ってられない。
7時頃、利賀芸術公園着。雪がたくさん残っている。長靴を持ってきてよかった!天気予報では朝から雨ということだったが、よい天気。
搬入、朝食。いったん宿舎に入る。午前中いっぱい仮眠をとるという予定だったが、荷物を広げたりしているとどんどん時間が経っていく。それでも30分くらい眠る。
仕込み。私が作ったのれんが、廊下に設置される。初め、廊下に垂直に、つまり客席からはほとんど線状にしか見えない位置に付けられたものを、美術家がちょっとななめ(客席から見えやすい位置。そういう意図かどうかはわからいけど。)につり直した。のれん製作担当者としては、なんだか嬉しかった。階段のとこにも下げる予定だったけど、そこはのれんなしでいくことになった。天気はじょじょにくずれ、雨。
夕方から稽古(場当たり)。私たちが公演する利賀山房は、冷え込みがきつい。夜もふけてくると、しんしんと寒い。舞台上で、息が白い。後半までは行かない予定だったので、少し稽古を見た後、早めに宿舎に戻った。
朝から細かい雨。利賀は天気が変わりやすく、だいたい毎日ちょっとは雨が降る。
引き続き、場当たり。予想よりも進行が早く、衣装を着るのが間に合わなくなりそうだった。今回私は衣装が和服なので、なかなか大変。急いで着たわりにはうまく着られた。帯は、いつも結んでもらってる人がもう出番直前になっちゃってて、着付けのできる別の人が出番が終わってはけてくるのを待って結んでもらっていると、そのシーンをもう一度やることになってその人はまた舞台に出て行ってしまい、そうなると今度は本来結んでくれてる人のほうに時間の余裕ができて続きはその人にやってもらい、という感じで、その二人の連係プレーでなんとかかんとか結んでもらった。
そんなあたふたして出ていったのもよくなかったんだろうけど、とにかくこの劇場に入って最初の稽古だし、きのう1日稽古がなかった後なので、なんだかぎこちなくなってしまった。
午後は1場から順に稽古。それと、ラストシーンに変更があり、その稽古。私の出ているシーンは、稽古なし。夕食後、衣装をつけて通し稽古。今度は時間に余裕があったのに、なんだか着付けが決まらなかった。私へのダメ出しは、特になかった。
演出家不在のため、自主稽古。私は、午後のみ。
午前中稽古。最初から順番にやっていくので、私の出てるシーンは稽古なし。
3時からフォトコール。というのは、新聞等の写真撮影のためいくつかのシーンを舞台衣装をつけて演じること。おじさんたちがそろって歌を歌うシーン、染め物を見せるところ、ラストシーンの3カ所をやる。
その後、引き続き、稽古。私の最後のスピーチのところで2箇所ほどダメが出て、かえってほっとした。最近何も言われてなくて、不安な気持ちになったりしてたから。具体的に言うと、「まったく」をもっと普通に言うということと、「おともだち」の前でもうちょっと長く間をとる、ということ。
8時開場で、ゲネプロ。
きょうから、フェスティバル・バーが開店。ホストカンパニーの方々ががんばってやってくれている。1時間くらいしゃべっていて、声がかれそうになっているのに気づく。本番前にこれはマズイ。早々に引き上げる。
そうそう、4月8日のとこに書いた、額のあたりに手を当てて泣くという段取りだけど、結局、以下のような形に落ち着いた。
- 呆然とする
- 顔がゆがむ
- それで、手を挙げてなんとなく顔を隠す
- 「大丈夫?」と声を掛けられ、返事をしながら涙を拭く
10時から、稽古。まずラストシーン(私は出ていない)。声をからしている人が数名あり、心配。今回のラストは、出す声も大きいし日常会話とは少し違った形式だし、俳優は、何をどう意識してコントロールするかというのがむずかしそうだ。
私の出ているシーンは、結局、全部稽古があった。登場してすぐのところで変な間があいてしまった。ここは、ときどきできなくなる。意味の似た、一部内容の重複する(と私が理解している)台詞が3つ続く部分。相手の出方と自分の中の組み立てが、ばちっとうまく合うときと合わないときがある。
スピーチの後の「ありがとう」という台詞に関して、「もっとためて(前に間をとる、の意)、もっと大きな声で。」という指示が出て、ちょっと嬉しかった。嬉しい、というのは変かな。俳優が間をたっぷりとって演出家に「間をつめて。」と言われる場合が多いから、もっと間をとれと言われるとなんだか嬉しいような気がするんだけど。
晴れて暖かい一日。でも日没以降きっと寒くなるので、暖房をガンガン効かせて劇場を暖める(音がうるさいため開演中は暖房を切るので、その前にできるだけ暖めておくのである)。
初日。4時開演。午前中の稽古のときうまくいかなかったところが、ぴたっ、ぴたっと決まって気持ちよく進む。いままでがらんとあいていた客席が人で埋まっていて、あーそうだ、劇場ってこういう空間だった!と、嬉しく懐かしく思い出した。心配した寒さは、きょうはそれほどでもなかった。
終演時の拍手が、とても暖かく感じた。
フェスティバル2日目。午前中、稽古。一カ所、立ち位置がテーブルに近すぎるところを直された。
6時開演。昨日よりも多くの箇所で笑いなどの反応が起こっていた。自分の反省は、最後のスピーチのあたりがちょっと情緒的になりすぎた、ということ。
夜、食堂でパーティ。狂言師、大学生、若い劇作家、他の劇団の方たちと話す。いま演じた/見た芝居の話をいろいろできるのが、フェスティバルのいいところだと思う。
フェスティバルが始まってから、天気のいい日が続いている。桜もそろそろ咲き出した。
午後、フェスティバル前半の演目である、山の手事情社、狂言、青年団の作品を巡るシンポジウムが開催された。観客は、もう公演を見た人と、これから見る人と、半々くらい。そういう中で、ネタバレに気を付けながら作品についてつっこんだ話をするというのは、なかなかむずかしそうだった。
青年団公演最終日のきょうも、午後6時開演。情緒に流れないように気をつけよう、と思ってやった。きのうの公演について、全体に保守的になって声が小さかった、というダメ出しがあったのだが、それを受けて割と声を張っている人と、さほどきのうとかわらない声の人が混在していて、さて私はどうすべきか、とちょっととまどった。ちょっとだけだけど。
出番が終わって楽屋に戻ると、楽屋で舞台の音をずっと聞いていた俳優から、
「よかったよ」
と言われた。ありがとう。
バラシの後、劇場で軽く打ち上げ。その後、フェスティバル・バー、宿舎の食堂と場所を移して、4時くらいまで飲んで語った。その後、荷造りと部屋の掃除をしていたら、外が明るくなった。まぁ、あしたはバスで帰るだけだから、たまにはこんな日もあってもいいだろう。
そうじ、朝食の後、バスで利賀を出発。もう少し利賀に残る劇団員や、ホストカンパニーの山の手事情社の人たちが、見送ってくれた。バスの後ろを走ってついてくる。少年自然の家の坂をおりきるあたりまでも。
ゆうべほとんど寝てなかったので、バスの中では寝てばかり。6時頃渋谷に到着、解散。
東京もけっこう寒く、おどろいた。
倉庫で荷下ろし。もう捨てるもの、トラムに持っていくもの、稽古で使うのでアゴラに運ぶもの、と仕分けしながら片づける。
トラム公演用のタタキ(装置作成)。午前中は炊き出し隊。タタキ場の近くに飲食店がほとんどないため、みんなの分の昼食をまとめて作ることにしてるので。牛丼とキュウリサラダ。
午後は、梁作りに加わる。ボンドを塗ったり、釘を打ったり、エアタッカーを使ったり。
きのうに引き続き、タタキ。きょうは、柱を作成している頭領の助手をした。3寸角の木材があんなに重いとは知らなかった。
きのうの帰りから脚(お尻の下から膝うらにかけて。バレエのレッスンで痛くなる部分)が筋肉痛だったけど、きょうの作業が終わる頃にはもうくたくただった。
筋肉痛で、ふつうに歩くことができない。座るにも立つにも手をつかずにいられない。なさけない。
稽古再開。1場からざっと全部やるという。セリフが増えたり、変更になったりする箇所がいくつかあり、その都度稽古をとめて、セリフの指示が出る。
私の出ているシーンでは、特に変更はなかった。稽古となると、筋肉痛も大丈夫で、いつもどおりに立ったり座ったりできた。まぁ、時間がたってなおってきたということもあると思うけれど。
利賀公演までは毎日毎日稽古していて、その後2週間ほど間があいて、このブランクがどんなふうに影響するんだろうかとちょっと心配していたけれど、きょう稽古してみたら、きのうまで稽古していてその続きでやっているような感覚があり、ちょっと安心、ちょっと不思議な気持ちだった。最近、自分の演技の組み立て方が、より他力本願、というか、自分の心理や感情よりもそのとき何が見えているか、姿勢はどうか、というような根拠に頼るようになってきていて、その効果(いいか悪いかは別として)のような気がする。
月曜は用事があり、タタキと稽古を休んだ。火曜日は稽古自体が休みだった。きょうは1場と2場の稽古なので、私は稽古がぜんぜんない(だから、事前に連絡しておけば休んでもいい)日だったんだけど、2日みんなに会ってないのでさびしくなって稽古場に。すっかり観客となって、おもしろがって稽古をただただ見てしまった。
出てるシーンの最初から最後まで、稽古があった。他の人のセリフカットにともなって、あるセリフを「もっと早く(早いタイミングで)入れて」と言われた。あと、最後のスピーチで、「間」と「声の大きさ」を1カ所ずつ直された。
通し稽古のみ。アゴラの稽古場でクーラーを止めているといまの季節そうとう暑くなるので、衣装の喪服ではなく浴衣でやらせてもらった。最後のほうでけっこう本気で悲しくなってしまったけれど、利賀の公演2日めのように「情緒に流れすぎた」という感じはなく、コントロールはできていたように思う。
4時稽古開始。昨日のダメ出しをまず全部聞き、それから抜きで、ダメ出しのあったところやセリフのかわった箇所を稽古。その後、通し稽古。泣くあたりが安定してきて、やりやすい。ように思う。
朝11時から通し稽古の予定だったが、遅刻者があり20分ほど後にずらしておこなった。私は、ろれつが回らなくて言い直したセリフが1カ所、なんか舌滑のおかしかったセリフが1カ所あった。きのうの稽古のときから、最後に振り返って「それじゃ」と言うときに舞台に残っている人たちの表情がよく見てとれるようになった。
食事休憩をとってから、置き道具、小道具等の梱包。稽古場撤収。トラックでいったん倉庫に荷物を運び、倉庫に保管してあった装置とともにトラックに積み直す。あすの仕込みの段取りについてミーティング。
きょうからシアタートラムに入る。きょうは搬入、仕込みのあと、夜にちょっとだけ場当たり(稽古)の予定。
楽屋で湯沸かしポットの準備をしていると「照明班に入ってください」と声がかかり、急遽照明の吊り込みを手伝う。仕込み図を見て、必要な灯体を準備したり、不要な灯体を撤去したり、カラーフィルターをフィルター枠に入れたり、それを灯体に入れていったり。つり込みが終わった時点で、照明班は、コアな3人を残して「解散」となる。
次は生活班として楽屋のお茶場を作ろうと楽屋にもどると、もう一人の生活班員がだいたいのことをすませてくれていた。ので舞台に行って、床班に入って床板張りをした。両面テープの剥離紙で爪の裏が傷ついて痛かった。
きょうの仕込みには新入劇団員をはじめ劇団員の人が多数来ていて、「手のあいてる人〜」と呼ぶとすぐ5人くらいは軽く集まってしまうという感じだった。指揮する人は、それはそれでまた大変だったらしいが。
昼過ぎは、メイク班を手伝って、メイク道具を洗ったり並べたりした。その後は、当日パンフレットにチラシを折り込む作業。ロビーでは他劇団の方々がチラシの折り込みをしていて、誇張ではなく「足の踏み場もない」状態なので、当パン(=当日パンフレット。他劇団ではこの略語は通じないようだ)作業は客席後部で行った。舞台上ではセットがだいぶできてきていた。
セットの仕込みがほぼ終了し、夜8時過ぎから場当たりが始まった。最大限進んだとして1場の終わりまでしか行かないので、稽古のない人は帰ってもいいということになった。私は3場まで出番がないのだけれど、客席のあっちやこっちから稽古を見てみた。利賀山房が目の前にあるような、でもとってもシアタートラムっぽい『上野動物園再々々襲撃』の世界が展開されていく。
舞台の作業の続きをした後、場当たり再開。利賀公演の後アゴラの稽古場では衣装を着なかった(絹の和服が汗になるとやっかいなので、かわりに浴衣で稽古していた)ので、3週間ぶりで衣装を着た。わりとすんなり着れた。柱とテーブル、テーブルとテーブルの位置関係が、利賀公演のときと少〜しちがっていて、動線にためらいが出た箇所があったが、その他は特にダメ出しはなかった。
休憩後、6時40分開場でゲネプロ。写真撮影と、ビデオクルーの見学あり。なんだか、やったというたしかな感触を感じないままに終了してしまった。おしぼりの包装を破るとき、いつもは破った端っこが本体とひっついた状態になっているのに、きょうはぴっと切れて離れてしまった。あとでテーブルの上を片づける段取りのある人が、拾う物が一つ増えてたら困るだろうと思い、途中でソーサーの上に破片を乗せておいた。このように、普段とちょっとでもちがう事態が起こると、「これはどう対処したら一番被害が少なくすむか」という超高速思考が頭の中で瞬時に展開される(そんなにおおげさなものではないけれど)。そんなアクシデントはないにこしたことはないんだけれど、ターミネーターが人間になんて答えたらいいかの選択肢を選んでいるような、こんな瞬間の自分ってけっこうおもしろいなぁとも思っている。
青年団の公演は、キャスト人数が多い場合が多く、小さな劇場などでは楽屋で一人一人の鏡前のスペースを取ることができないこともよくある。でも、今回のトラムでは、それぞれ「ここが私の席」という場所を確保することができた。私の鏡前は、こんな感じ。
10時集合で、掃除、ウォームアップ(各自)の後、11時から稽古。アタマからやっていくとのことだったので、途中の休憩時間にウォームアップや発声をした。出番が後半だとこういう場合にゆっくりできる。途中、髪のブローも時間をかけてやった。稽古は、私に関しては、特にダメ出しはなかった。
朝、劇場に向かう電車の中でふと気づくと右目のコンタクトがなくなっていた。2週間使い捨てのなので、なくしちゃっても大ショックではないのだが、持ち歩いてるはずのスペアがなく、半日間片コンタクトで過ごす。目は疲れるのかもしれないが、また一時的なことだと割り切っているからでもあるが、さほど不便を感じなかった。夕方家から届けてもらって事なきを得る。
トラム初日は、カウンター椅子の横桟が折れるなどのアクシデントがあったが、終演後の拍手の具合から見てもなかなかよい出来だったように思われる。
きょうの公演は、4時・8時の2回。ミネアポリスの新聞の記事にあったんだけど(2001年4月の日記参照)、パトリック・スチュワートは、マチネはおすすめだと言っている。ソワレにも力を残しておくため俳優がリラックスしてやるから、マチネの演技は新鮮なものになる場合が多い、とかなんとか。
マチソワ(1日に、マチネとソワレと、公演が2回あること)のとき、間をどう過ごすかというのは、けっこう考える。メイクは落としてやり直すのか、それとも落とさないでおくか。ごはんをどのタイミングで食べるか。発声とかウォームアップをいつどのくらいするのか。などなど。
今回は衣装が和服なので、「着付けを2度するよりは、着たままでいようか?」とちょっとだけ考えたけれど、喪服じゃどこにもでかけられないし、寝っ転がったりもできないので、公演ごとに着たり脱いだりすることにした。
夜公演のみなので、午後、整体に行った。見に来てくれた友に終演後にあったら、
「かつらじゃなかったんだ!」
と言われた。
公演は、3時・7時。間に、友に教えてもらったタイ料理レストランをさがしがてら、ちょっと外を散歩。なかなかよさそうなお店なので、今度ランチに行ってみようと思う。
和服の着付けは、奥が深いと思う。毎回同じようにやっているつもりなのに、さくっと決まるときと、どうしても衿とかがでれでれしちゃってなかなかうまくいかないときがある。きょうの夜公演のときも、やってるうちになんだかすごく丈を短く着ちゃって、これじゃ小僧さんみたいだ!とやりなおした。最終的にこれでよしとなっても、ちょっとずつちがうので、お辞儀をして頭を下げたときの裾の感じや、椅子に座ったときの足元、腰あげのもたつき方なんかが毎回微妙にちがう。
きょうのソワレは、ニフティの観劇オフ。終演後に、オフの人たちに劇団側の人もまじって、宴会をした。
父観劇。あすは休演日なので、衣装の下着などを持ち帰り、洗濯。
休演日。ポスター・チラシのイラストの、マタキサキコさんの個展に行く。
4時の公演の後、人を探してロビーへ。その人には会えなかったけれど、以前お世話になった、最近会ってない人たちが、久しぶりに見に来てくれていて、抱擁しあって再会を喜ん(?)だ。
ビデオ撮影。2時・7時の2回公演。今回は、私は、客席方向に目線が行くことがほとんどないので、客席ががらんとしていても、カメラがあっても、あまり気にならなかった。
昼の回に見に来た友が、私の髪型について、
「今度私がしたいと思ってる髪型だ」
と言った。夜の回に来た友は、
「ストレートパーマをかけるとこうなるのかぁ」
と言って触っていった。どちらも女性。やっぱりどうも女性に(だけ)気に入られる。このアタマ。
今回の公演の打ち上げは、劇団の稽古場ですることになっている。打ち上げ班(料理や飲み物の準備をする)の隊長にきょうたまたま会ったんだけど、自分たち打ち上げ班について、
「弱小チームだよぉ」
と言うので、
「全部手作りにしようとしなくていいよ。唐揚げを買うとか、ピザを取るとか、回転寿司を取るとかしなよ。それに、『乾杯!』ってなったら、もう打ち上げ班も、みんな、座って飲んだり食べたりできるようにしようよ」
と提案した。料理をすごくがんばる人が係になったときなんか、次から次から温かい食べ物が出てきてすごいごちそうだったりすることもあって、それはそれで嬉しいんだけど、だれでもかれでもそうしなきゃいけないってわけじゃないし、宴会の一番のごちそうは、みんなでわいわいしゃべることだと思うから、みんなでゆっくりするほうが私は好きだ。
青年団を初めて見に来てくれた知り合いが、終演後に、
「これは、いつ頃の作品ですか」
「どれくらいの部分が原作どおりなんですか」
「いつもこういう感じですか」
などと熱心に質問してくれて、嬉しかった。私の答えは、上から順に、
「なくなった、金杉忠男さんという劇作家の過去の作品(『上野動物園再襲撃』その他)と、金杉さんが生前に『次にこういう芝居をやりたい』と準備していた原稿をもとにして、平田オリザが新しく書いた、新作です」
「喫茶店のような場所に人々が集まる、という設定とか、岩井の臨海学校、四つ木、本田小学校といったようなモチーフ、チンチン堂などの名前、映画の話をすることなどは金杉さんの原稿・作品にあるそうですが、台詞としては、金杉さんの作品からそのままとったものはないということです」
「普段の青年団の公演よりは、少し『情緒』に寄っているかもしれません。いつもは割と、劇場から出て帰りの電車の中とか何日か経ってからとかに、『あーこないだの芝居はこうだったなー』と思い出して何か考えさせられるような感じだと思うんですけど、今回は、劇場に座っているうちからお客さんの気持ちをつかみにいってる、という感じだと私は思ってます」
忙しい人のようだけど、また次も見に来てくれたらいいなぁ。
もう公演も終わりに近づき、最終日に大荷物になるのはいやなので、楽屋で使っていたノートパソコンを持ち帰る。使っていたと言っても、開場時にはメイク、開演直後から着付け、出番が終わって衣装を脱いだらもう終演、という感じで、出番が後半30分だけな割には楽屋での暇な時間が少なかったから、それほど使っていたわけではないけれど。
もう、ほんとうに終わりが間近くなってしまった。きょう、あす4回で、『上野動物園再々々襲撃』の公演は全部終わる。
というくらいもう稽古も本番もたくさんやってきているのに、きょうのマチネで1カ所台詞に詰まってしまった。
「どうもこのたびは(お兄さんが死んだこと)急なことで」
と挨拶されて、
「いえいえ、こちらこそ、いろいろとお気遣いいただいて」
と挨拶を返すところ。「お気遣い」という言葉が、一瞬、出てこなかった。稽古のときも、「お気遣いいただきまして」とか「お世話になって」とか、割とまちがえやすかった台詞である。こういう、決まり文句で挨拶する、というような生活をあまりしていないからだろうか、やはり。
この公演の後、私は、北九州の劇団飛ぶ劇場の、『ロケット発射せり。』という公演に客演する。同公演にはもう一人客演の方がいらっしゃるのだが、その方がきょうのマチネを見に来てくださった。
「初めまして」
「どうぞよろしく」
「北九州は、いつからいらっしゃるんですか」
なんて話して、次の公演がんばるぞーという前向きな気持ちが湧いてきて、この公演がもうすぐ終わっちゃうさびしさにとってかわった。
マチネとソワレの間に、青年団新人俳優による、創作劇の発表会が舞台上で行われた。2チーム。設定や台詞も自分たちで決めて上演するのだが、こういうのって、みんなで集まってあーでもない、こーでもない、とやっていると、自分たちがやっていることが、ホントウにおもしろいのかそれともつまらないのか、判断がつかなくなってくる。だから、最後の発表となると、やるほうは、すごく緊張する。ということを、自分の経験からよくわかっているんだけど、だからはげますような暖かい目で見守るかというと、そういうふうにはならない。観客席で見ていて、おもしろくなければ黙っている。おもしろかったら、身を乗り出したり笑ったり。2チームめのラストシーンでは、感情移入して涙ぐんでしまった(なんでこれで泣くのか、と笑われた)。
本番直前に俳優が倒れても他の人がすぐに入ってカバーできるとか、公演に出演していない新人たちで本公演期間中に別の創作劇の発表ができるとか、青年団という集団は、パワーが充実している。そういう集団の一員であることを誇りに思う。
千秋楽というのは、苦手だ。変な言い方だけど。きょうで終わりでも、いままでの毎日と同じようにやりたい。
今回は、特に、今後も継続的に一緒に芝居をするとは限らない客演の方々とご一緒させていただいた、ということやら、内容自体がいつもより少し情緒的だということがあり、「気を付けないと、感情的になっちゃうかも」と思ったけど、結局は大丈夫だった。
最後の公演は6時開演。7時45分頃に終わり、バラシ(撤収)。仕込みの時と同じく、大勢の劇団員が参加して、舞台も楽屋もどんどん片づけていく。10時退出。
打ち上げは、アゴラで。旧金杉アソシエーツの人たちとは、これでもうしばらく会わないんだと思うと、さびしい。なんだかきっかけがなくて、打ち上げではほとんど話せなかった。
装置やなんかの後かたづけのため、劇団の倉庫へ。しまう物はしまい、借りた物は返し、捨てる物は捨てる。また、次回公演『冒険王』で使用する置き道具(主にベッド)を倉庫から出し、アゴラに運ぶ。ベッドは鉄製で、パーツに分けてあるけど、けっこう重い。しかも、山と積まれた平台の奥にしまわれているので、取り出すためには平台を全部いったん外に出さないとならない。
かなりの体力戦で、倉庫での作業が終わる頃には、へとへとになってしまった。これからアゴラに行ってベッドなどを稽古場(5F)に運び上げるということだったが、なんとか『冒険王』の人たちとアゴラにいる人たちだけで人数が足りそうということで、私その他『上野動物園再々々襲撃』だけの人たちは倉庫で解散になった。
家に帰り、あぁ、ほんとうに『上野動物園再々々襲撃』は終わったんだなぁと思うと、きょうくらい飲んだくれてもいい気がして、一人でワインを飲んだ。