私は、青年団という劇団に属する俳優です。青年団は、平田オリザ作・演出の作品を上演しています。
弘前劇場というのは、青森県を本拠地とする、劇作家・演出家長谷川孝治さんを中心とする劇団です。
これは、1999年に外部出演として弘前劇場プロデュース公演Vol. 4 FRAGMENT V 「打合せ」(作・演出 長谷川孝治、1999年1月、弘前、東京、埼玉で上演)に出演したときに、私がどのように自分の台詞とつきあっていったかの記録です。
弘前劇場の方法論として、「台本の台詞を個々の俳優が自分の生活言語に翻訳していく」ということがあります。乱暴な言い方をすれば、俳優が自分の思うように台詞を変更していい、ということです(もちろん意味がちがってきてはダメですが)。これについて作・演出の長谷川孝治さんは、演劇ぶっく(演劇ぶっく社)1999年2月号のインタビューで、「脚本は方言で書くのか」という問いに答えて、以下のように語っています。
僕は全部、わざと標準語で書いてるんです。それを俳優が読み込んで自分の口語に翻訳するわけ。そこで語尾とか動詞の位置とか全部変わってくるんですが、僕はそれでいいと思ってる。おそらく戯曲を一番批判的に読みこなせるのは俳優ですからね。俳優は自分の価値観をセリフに込めて自分のものにしていくわけだから。
(P.54)
弘前劇場の言葉は「現代口語津軽弁」と言われますが、実際にはそれぞれの俳優がそれぞれ自分の言葉に直しているということが、ここからわかります。「自分の言葉」がたまたま津軽弁だったり秋田弁だったりするのでちょっと見た感じでは「共通語」を「方言」に直しているというふうに受け取られるのですが、実は「長谷川孝治の言葉」を「自分自身の言葉」に直している側面もあるのです。
私が弘前劇場公演に一度参加したいと思った理由はいくつかありますが、ダントツで一番大きな理由は、上記の方法論を体験してみたかったからです。青年団の稽古場でも台詞の変更・追加・カットはよくありますが、それらはすべて演出家平田オリザによって行われます。
他人の書いた台詞(自分が言わないようなことでも)をリアリティをもって発語するのが俳優の仕事であるのにそれを自分で変えていいとなったときに自分がどうするか――つまり、
というところに非常に興味があったわけです。
稽古初期の段階で演出家から「最終的に整理は私がつけるので、思いっきりやってみてください」と言われたこともあり、この際妥協なしで「台詞と自分」の問題に取り組もう、と思いました。まず台本通り声に出して読んでみて、しっくりこない台詞は、声の高低や間の取り方だけでなく台詞自体を変更することも視野に入れて検討しました。その結果どの台詞をどう変えていったかを以下に記します。
以下の文章で、台詞は、
のように示しています。
私が演じたのは「山田直子」という役です。以下にとりあげた台詞のうち、特に指定のないものはすべて「山田」の台詞です。
なるべく前後の台詞などを記載してわかりやすいように努めましたが、詳しくは「FRAGMENT V 打合せ」上演台本をご参照ください。
どうしても台本通りに言えなくて大幅に変更した台詞がありました。主な理由は、一度に意識にのぼる「意味のかたまり」が(私の)話し言葉としては長すぎたということになると思います。
鯨缶を買ってきた江藤(後藤伸也)が、その店の店員の様子を話すのに対して、「あなたはそんなに興奮していろいろ説明してくれるけど、結局『なぜ鯨缶を買ってきたのか』という質問の答えにはなっていないんじゃないの?」というような意味のことを言う台詞。
この台詞は、最初からつっかかりました。言えるようにするため、この部分の台本を渡された翌日か翌々日には
「悠然と泳いでいる鯨を缶詰にしてしまって、はい食べなさい、ええ頂きますって発想と、それがどう繋がるの?」
と語順を変えてみました。これならなんとか言えたのですが、なんだかしっくりきませんでした。自分だったらどう言うだろうか、元の台詞をいったん離れて考えてみたいと思いました。そして出てきたのが、「最終形態」に挙げた言い方です。
「ちょっと聞きますけど、鯨が悠然と泳いでますよね、それを缶詰にしてしまって、はい食べなさい、ええ頂ますって発想に、いまのそれが、どう繋がるの?」
これは直感的に口をついて出てきた言い回しですが、後から、どうしてそういう言葉が出てきたのか考えてみました。
「ちょっと聞きますけど」で始めたのは、たぶん、けっこう長い発言なので、最初に「これはあなたへの質問なんだよ。そのつもりで聞いてね」ということを宣言しておかないと相手にわかってもらえないように感じたのだと思います。次に「鯨が悠然と泳いでますよね」としたのは、「泳いでいる鯨」(名詞的、概念的だと感じた)よりも「鯨が泳いでいる」とすることによって動的なイメージをまず喚起したかったのではないかと思います。
この言い方で何日か稽古した後、改めて台本通りに言ってみました。自分としてはあまりに大きく変更したので、本当にこっちのほうがいいと思えるか、確認したかったのです。
のように言えば、書かれたとおりに言えなくもないことがわかりましたが、そういうふうに言いたくない、と思いました。理路整然としすぎてそぐわないと感じたからだと思います。発語する前から文全体の構成が頭の中にすでにある、という場合でなければ上記の台詞のような言い方にならないと思ったからです。過去の弘前劇場の公演を観客として見ていて、そのような、話し言葉として理論的すぎる台詞に疑問をいだいた経験が数回あったこともあり、結局台本通りには戻しませんでした。
これから撮る映画の説明のところです。これも、「二人が」から「また出会うまで」までが長い一つの意味のまとまりになっていて、他人に説明する言葉として言いにくかったのです。前半は語順を入れ替え、後半は「触媒」の前に言葉を探すような間を置きました。
3つめは、服部(志賀廣太郎)に「煙草を買いに行きたいがどこで売っているか」ということを聞かれて答えるところです。
一つには「まずコンビニで買えるということを言っといてから道順を説明したい」という気持ちがありました。これは、最初に挙げた鯨缶の台詞と同様に「まずどういう意図の発言か相手に宣言しておきたい」という心理が働いたと思われます。
それ以外に、この台詞で違和感があったのは、
「左」と言えばもうそれで間違えようもなくはっきりわかるのになぜ「駅と反対方向」と付け足すのか納得がいかない(特に、きょう初めてこの事務所に来た服部に対して言っていることを考えれば、「駅と反対方向」というのよりも「左」のほうが数段わかりやすいと思う)
ということ、それに
確かにここは地下室だから階段を「上がる」んだけど道順の説明なら建物から外に「出てから」どうするかというところにフォーカスがあるはずだ
ということでした。この台詞の言い方は稽古期間中に確定せず、本番が始まってからも試行錯誤が続きました。
しかし、この台詞に関しては、いまこのように分析してみても、なぜこんなに言いにくかったのか釈然としないところがあります。何か幼児期のトラウマとかが無意識的に邪魔していたんじゃないかと思いたくなるような、わけのわからなさを感じます。もしかしたらただ単に、「三百メートル」という距離を身体でわかっていない(私の道案内は、いくつ目の交差点、とか何屋さんの角、とかが主で、何メートルという言い方はしない)というだけのことかもしれません。
最初に挙げた3例は稽古の段階で台詞を変更したものですが、これは、本番をやっているうちにだんだん違和感が出てきて途中で語順を変えた台詞です。
落合(山内健司)に「え、文化映画?」と聞かれて答えるところですが、最初は「文化映画」という音を聞いて間髪を入れず反射的に「駄目よ」と返していました。しかし当の服部はまだこの場に来ていないわけで、あまりせっぱつまった風になると変な感じでした。最終的には、落合の台詞の後少し間をとってから、「服部さんの前で...」と言うようにしました。
台詞の中の言葉自体や語順などを、私としては大幅に変えた、という箇所は、以上です。
台本に書かれている台詞の前後に言葉を付け足す、という変更をいくつか行いました。
この台詞は、さっきは「悪党!」とか呼んでた江藤に対していま優しげな対応をしていることに関して、「ずいぶん優しいじゃん。さっきは悪党なんて言ってたくせに」という意味のことを落合から言われて、それに対して答えるところです。
台本通りだと、どうも核心のことをいきなりズバリと言い過ぎているように感じました。つまり、会話としてツーカー過ぎる感じがしたのです。それで、アタマに「あれはだって」という助走部分を付け足しました。
そのような変更と関係があるかわからないのですが、「〜もんだから」という語尾がなんだかもたつくので、ここも「〜から」に変えました。
これも、ちょっとものわかりがよすぎる感じだったので、「え?」と聞き返しながら事態を把握する、というふうにワンクッション置きました。
コーヒーに入れるミルクと砂糖をどうするかと聞かれ、服部は「いや、このままで結構です」と答えています。台本にはそれに対する山田の返事がありませんが、無視しているようになるとかえっておかしいので、「はい」と返事を入れました。
これも、同様に、返事の言葉を追加した例です。
これは、「打合せに来たのに、みんながそろう前からお酒を飲んじゃっていいのか」と心配する奈良岡(福士賢治)に対しての返事。「いいんですよ」ということをまず言いたかったのは、「1. 言えなかった台詞」にも例があります(最初と3番目の例。鯨缶とコンビニ)が、発語の意図をできるだけはやい段階で相手に伝えたい、という気持ちからだと思います。また、「〜だから、〜だから」と繰り返して言うのをうまく成立させられず、言い方を変えました。
「なんで悩みが出てくるの?」という自分の質問に対して江藤がとんちんかんな返事をしたので、言葉を変えて質問を繰り返している、という台詞です。「〜何?」と聞かなかったら「どうして悩みが出てくるのかという、原因を聞いているんだよ」ということが江藤に伝わらないように思いました。伝わらなければ、次の展開としては「江藤が、理解できないで聞き返す」となりそうですが、台本では、江藤は、この後ちゃんとした回答をしていますから、ここは江藤が疑問に感じないような、曖昧さのない言い方にすべきだと思い、上記のように変更しました。
ここまでに挙げたのは、いうなれば台本世界に対する私の解釈に従って変更したもの、といえると思います。この他、稽古の中での相手役の出方によって台詞が変わっていったところが2つあります。
これとほとんど同時に発語される江藤の「牛丼なんだよねぇ」という台詞を、私は彼の独り言と解釈していたのですが、とても大きな声でしっかり聞こえるので、その台詞を聞かないでいるためにしゃべり続けました。聞こえれば何かリアクションをすると思うのですが、台本ではそのようにはなっていなかったからです。
コーヒーを自分がいれると言っておきながらフィルターはどこか、豆はどこかといちいち聞いてくる江藤に対する返答。江藤を演じる後藤伸也の表情を見ているうちに、こんな言い方になっていきました。
上記以外の、もっと小さな変更について述べます。
言葉のていねいさの度合いを変えた部分がいくつかあります。
一つは、江藤に対する口調です。台本のはじめの方では、山田(私の役)は江藤に対して割合と丁寧でよそよそしいものの言い方をしていますが、後半ではけっこうくだけた口調になっています。 稽古開始時点で台本がまだ完成していなかったのが、そのような相違の原因ではないかと思います。つまり、稽古場で(おそらく劇作家が最初に想定したのとは少しちがった)江藤と山田の関係が出来ていき、それに合うようにその後の台本の言葉づかいがかわっていったのではないかと私は思っています。
台本が完成した時点で、前半のていねいな言葉が少し浮くように感じたので、その部分を「タメ口」に変えました。「親しくなりかけで、丁寧な口調とタメ口を混ぜて距離をはかっている」とか「わざと丁寧な口調にしている」というふうに作ることも考えましたが、積極的な意義が見いだせなかったのでやめました。
落合に対する台詞でも、ていねいさを減らしたところが一カ所あります。
落合の質問に答えて言うところです。他のところでは「落合くん」とか呼んで偉そうにしているので、「ええ」というていねいな答えはどうも言いにくかったです。
逆に、もっとていねいな言い方に変更したところも2カ所あります。
これは、「ワゴンって何人乗れるの?」という服部の問いに答える部分です。今になって考えると、「機材で三人分取られるから」までが考えをまとめるための独り言で、服部に直接的に言ってるのは「運転手」以降だとすれば、台本通りで違和感なかったはずです。ト書きにも「(絵コンテを張りながら)」とあるし、劇作家の意図もおそらくその辺にあったのではないかと思います。よく吟味しないまま早急に台詞を変更してしまった、という、これは反省点です。
これは、四国八十八箇所を巡った体験について語る奈良岡と服部(二人だけの世界に入っている)に対して言っている台詞です。おそらく台本では、前から知り合いである服部に対してこの言葉を言っている、という構成だったのだと思います。服部に対してなら、たしかに「〜でしょ」と言いそうです。ところが、稽古をしていく中で、服部だけでなく奈良岡もこの会話に加わる雰囲気になってきたので、ここの台詞は奈良岡と服部の二人に対しての返答という形になりました。山田と奈良岡は初対面なので、それで自然とすこしていねいな言い方になったと思います。
「女言葉」をもっとニュートラルな言い方に変えたところがあります。「言えなかった台詞」の項の4番目に挙げたコンビニの台詞も、語順の他、「駄目よ」を「駄目だよ」に変えています。その他にも、4箇所ほど変えました。
自分が「〜わよ」とかそういう言い方をあまりしないので言いにくかったというのが主要な理由ですが、平田オリザの戯曲だったら、私は自分の語彙にない台詞でも台本通りに言ってきました。平田は、登場人物どうしの関係性で終助詞を決定している部分が多く、一字一句その通りなのが一番いいと納得がいくからです。それに対し長谷川さんの戯曲は、もともと俳優が翻訳することを前提としていることもあり、言い回しよりも内容自体に重きを置いているように私には思われます。そうだとすれば、違和感のあるまま無理をして言ってぎごちなくなるよりは言いやすいように変えたほうがいいと考えて、語尾を変更しました。
前項(女言葉)以外にも、語尾や文節末の台詞を変更したところがいくつかあります。
まず、同じ語尾が二回続くときに一方を変更した箇所が3点。違和感のあるまま無理をして言ってぎごちなくなるよりは言いやすいように変えたほうがいいと判断したからです。台本通りに言って成立する言い方を探し出す、という道も初めは考えましたが、「それでうまくいかなくて俳優が下手に見えるよりは、台詞を自分で変えるという選択肢のほうを選びたい。俳優自身による『翻訳』を前提にしている台本だから」という気持ちになり、変えました。
この例は、 「3. 足した言葉」でも出しました。
この他の、助詞変更箇所とその説明を以下に述べます。
これは、助詞でなくて間投詞かもしれませんが。弘前公演、東京公演では台本通りに(「だから」の後にポーズを置きました)言っていましたが、意識の切れ目で「さ」を入れたほうがうまく言えることがわかってきて、埼玉公演のゲネプロから言い方を変更しました。
たぶん台本では、退場した森(畑澤聖悟)を見送って独り言のように言うことが想定されていたのではないかと思います。それを、舞台上にいる落合、江藤に向かって言うようにしたので、「さぁ」とか「ねぇ」が必要な感じになり、上記のように変更しました。
台本では、上記の台詞に対する江藤の返事がありません。「〜でしょ」と問いかけて返事がないと無視されたみたいでおかしな感じがしたので、「〜なんだよね」となかば独り言のような言い方に変わっていきました。しかし稽古を重ねるうち江藤が「好きです」と答えるようになった(後半にもう一度似たやりとりがあり、そこでは「江藤君は冷たいコーヒーが好きなんだよね」「好きですよ、オレ」という会話になっているので、おそらくそれにひっぱられたのだと思います)ので、結局は、台本通りでも変えた台詞でもどちらでも成立するような状態になりましたが、あえて戻しませんでした。
この他、明確な理由は不明なまま変更したものが4つあります。そのほうがしっくりきた、としか言えません。
また、格助詞「が」を省略したところも、2カ所ありました。
台詞に変更を加えた中には、いままで述べてきたようには分類できないものもありました。それらについて、以下に記します。
江藤が「コーヒー入れましょう」というのを受けて言う台詞。原因不明ですが、台本通りに言えませんでした。
服部に、鯨を食べたことがないのかと聞かれた返事。「慣れないものは食べられません」という台詞を、「朗読」みたいでなく「会話」のように言うことができなかったので、自分が会話として言える言い方に変えました。
「今回は助監督でつきます」は、一息で言うのにはちょっと長すぎて、無理に一気に言うと早口言葉のようになってしまいました。「いえ/今回は/助監督でつきます」と区切れば言えないこともありませんが、それだと山田直子のテキパキした感じが損なわれるように思い、特に言わなくても意味の通る後半を省略しました。
奈良岡を迎えに行った落合・森を呼びに行くときの挨拶。もともと台本では、
という受け答えになっていたのですが、山田が発語する時点で奈良岡と服部がすでに会話を始めて「2人の世界」という感じになっていたので、独り言のような、返事のいらない「行ってきます」に変えました(実際、奈良岡からの「すいません」という返事はありませんでした)。
これは、私のクセの一つかもしれません。平田オリザの台本の場合は台本通りにしゃべっている、と前に書きましたが、「わからない」→「わかんない」、「してるの」→「してんの」などは、無意識に変えている場合があるようです。今回、上記の台詞変更(ブローアップすんの)を記録してから気づきました。次の例の「なんか」も、同様だと思います。
「なにか」→「なんか」は、前項で述べたように、私のクセのようなものかもしれません。「ないですか」を「ありますか」に変更したいと思った理由は不明です。
以上が、私が弘前劇場公演に参加して、自分の台詞について吟味し変更していった記録です。
最初に述べたように、俳優が自分の台詞を変更していくという弘前劇場の方法論に出会って自分がどう反応していくかということに大いに興味があったのですが、それについては2-4節に記したようにいろいろなことがわかりました。たいへん面白い経験であり、台詞に対する自分のアプローチについて改めて考える機会ともなりました。
また、上記のような弘前劇場のシステムは、当たり前ですが「演出家」あってこそ十全に機能するものだ、ということもわかりました。なぜかと言えば、個々の俳優が自分の台詞を変えていくだけであれば、台詞を直感的または論理的に自分にあわせることができる俳優が「良く」見えがちになりますが、俳優の良し悪しはそういうところで判断されるべきではないと私は思うからです。
さらに、俳優による台詞変更は戯曲をより面白くする方向には働かない、という限界も感じました。自分の台詞を変更するのは「これではうまく言えないから直そう」という保守的で消極的な理由から生じる場合が多いと思います。少なくとも私の場合はそうでした。個々の俳優は戯曲世界の全体を把握することはできないので、「もっと面白くする」という方向の積極的な変更の提示はむずかしいと思います。
この最後に挙げた点に私が気づいたのは、実は、弘前劇場公演の次に参加した【P4】企画「われらヒーロー」の稽古のときになってからでした。フランス語から翻訳された戯曲を、演出協力の平田オリザが稽古場で必要にあわせて変更していきましたが、「ここがつじつまがあわない」「これが言いにくい」という俳優からの指摘にあわせて変えていく場合でも、必ずといっていいほど「面白くする」、「広がる」方向に台詞は変更されていきました。そのあたりに劇作家・演出家の力を私は感じました。
このように、「劇作家」、「演出家」、「俳優」のすべき仕事はそれぞれ何なのか、ということを考えるきっかけとなった点でも、今回の弘前劇場公演への参加は、私にとって実り多い経験でした。
1999年7月、記す
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