1時集合。3時開演。
開演中の楽屋で、この3日間ほど私は年賀状書きをやっている。出番のないとき。
なんか「出の前に必ずナニナニをする」とか決めるとそれに縛られちゃいそうなので、なるべくそういうのは作らないようにしてる。舞台がどこまで進んだ時点でスタンバイする、というのははずせないからいつも同じにやってるわけだけど、楽屋で何をする、何をいつ飲む(お茶)とか、どっちの足から袖に入るかとか、そういうことは考えないようにしてる。
舞台に出てくときにちゃんとしてればいいわけで、そのための儀式とか手順みたいなものって、無しですませられるなら無しですますのが一番いいと思っている。
そんな大げさに言うほどのことでもないか。
月半ばに送ったブロック・ハギレ交換の、交換された結果のブロックとハギレが郵便で届いた。自分以外の人の色合わせや縫い方を見るのはとてもおもしろい。
着物を着るからぞうりを買う、買う、と言っていて、とうとう、もうきょう買わなきゃ間に合わないというところまで来てしまった。商店街の、酒屋の一部が履物屋、というお店に入ってみた。ウールの絣のアンサンブルを着るといったら、じゃぁ普段着だから下駄でも大丈夫、とのことだった。でも草履がいいなぁと思って見ていたら、鼻緒に刺繍のある、草履のようなのが目に入った。「軽装ばき」とかいうそうで、これでもいいということなので、それにした。
普段着は普段着なんだろうけど、和服を着る、っていうだけでこっちはお洒落って感じなんですけどねー。まぁ、いいや、お正月には着物だ!
きょうの公演は3時と7時。東京公演最後のソワレだった、と終演直後にだれかに言われた。明日からマチネ3連チャンでアゴラの公演が終了する。
ちょっと早めに5時集合。ミーティングで、バラシ(撤去)の段取りなどを決めた。
本番は、7時半開演。
小道具の湯飲みに茶渋が目立ってきたので、終演後に漂白した。というか、してもらった。湯飲み19個を洗い桶につけて。
きょうは「休演日」だけど、ビデオ撮影があったので、2回本番をやった。2時からと5時半から。
12時集合。舞台上はビデオのクルーのセットアップをやっているので、俳優は5Fの稽古場でウォームアップ。最近、ある人に教えてもらって、「20分間とにかくいろんなふうに身体を動かし続ける」というのをやっている。いや、もともと教えてもらったのは、「腰を中心に」、「その他の部分は力を抜いて」、「息を吐きながら」、とかいろいろあったんだけど、私が独自路線を開拓しちゃってそういう形にしちゃったのである。不要な力は入れないようにしているけど。以前外を走っていてひざを痛めたことがあるので、ひざや足首にかかる負担を自分で加減できるこのウォームアップは気に入っている。汗もかくし。
7時過ぎには終了し、久しぶりに早めに帰宅した。
7時半開演なので、集合は5時半。
その前に、家で、プリントゴッコで年賀状の印刷をした。最初の予定では3版になるはずだったが、ちょっとセツヤクして2版で済ませた。年に1度しか使わないけど、プリントゴッコで年賀状を刷るの、けっこう好きだ。
1公演に1回くらいあるんだけど、いつも同じようにやっているはずなのになぜか準備がおせおせになってしまうときがある。きょう、そうだった。といっても、開演5分前にはメークも終わったから、ぜんぜん大丈夫だったんだけど。
今回、私の衣裳・メークはとっても普段着っぽい。きのう見に来た友だちにも話したんだけど、8年前の初演のときには、オバサンぽく見えるような衣裳を選んだ。まだ若かったから。でもいまはほんとにオバサンですからね、髪型も服装も年相応かちょっと若作り、みたいにしてる。
本番は4時と8時。
マチネとソワレのあいだに、渋谷の東急ハンズにプリントゴッコの消耗品を買いに行った。あった、あった、ありましたよ、プリントゴッココーナー。よかったぁ!いろんなシリーズのインクがそろってて壮観だったけど、製版用のランプとマスターをスケルトンなキャリーケースに入れたお買い得セットが、なんだかサビシー感じだった。
ついつい他の階もぜんぶ見たくなったけど、遅くても開演1時間前には劇場に戻らないといけないのであきらめた。
休演日。洗濯、年賀状のデザインなどをする。
簡単だけどデザインもできたので、プリントゴッコの足りない備品を買おうと出掛けたが、2軒文房具屋を見て2軒とも、プリントゴッコ用品がぜんぜん置いてなかった。年末の文房具屋といったらプリントゴッコ用品でまっ黄色になっているというイメージがあったのだけど……。最近はあまり人気ないのかな。
スタートレック・ヴォイジャー「新生ボーグの悲劇」を見た。
すごくよくできた、おもしろいエピソードだった。なりふりかまわず既存作品のいいとこを寄せ集めた、という感じもあった(その姿勢はけっこう好きだ)。転送の事故で2つの物が融合しちゃうっていうの自体、VGRでも以前あったし。新しいドローンがヴォイジャーの廊下を歩いて、目に入る物すべてを声に出して確認していくところは、TNG「アンドロイドのめざめ」のラルにそっくりだし。データに似た受け答えもあった。最後の、自分の立場を理解して自ら死んでいくところは、「ターミネーター2」の終わりでいいもんターミネーターが、「ここにもチップがある」と命を絶つところと同じだと思った。
新しく誕生したドローンがあまりにも愛すべきかわいさなので、「あー、これはこの1話だけで、いなくなるなぁ」と、スタトレ好きの私なんかには予想がたってしまうところが、ストーリーとしてはちょっと弱いかな、と思ったけれど、ワン(このドローンが自分につけた名前)もラルも、見た目のかわいさがあるからこそ見ているこっちが容易に感情を移入できるって面もあるから、それはそれでいいのかもしれない。
翻訳で気になった点があった。転送を指示する、"Energize."という台詞が、「エネルギー、オン」と訳されていた。他のエピソードや他のシリーズでは、「転送開始」とか「転送」って言っていると思うけどなぁ。転送っていうのは、「物質をエネルギーに変えて移動し、移動した先でもう一度物質に戻す」、という技術なわけで、"Energize."というのは「エネルギー化しろ」、つまり「転送の過程を始めろ」という命令のはずだ。スタートレックをよく知らない人が訳したんだろうか。
きょうも、きのう同様3時と7時の2回公演。
マチネとソワレのあいだに食事をしようと思い、弁当屋、パン屋をのぞくがピンとこず、一軒あいてる食堂はボリュームがありすぎそうでこれもどうも…。けっきょく、コンビニで冷凍のラーメン(アルミホイルのナベに入っているヤツ)と温泉卵を買い、事務所の台所で加熱して食べた。
さすがにクリスマスイブの夜は客席がガラガラなんじゃないかと心配したが、空席もなくホッとした。
あすは休演日なので、洗濯しようと衣裳を持ち帰る。
13時集合。ミーティングの後、掃除をしたりセッティングをしたり。青年団では、小道具は、「最初にその小道具を使う人」が担当者で、責任を持ってスタンバイすることになっている。ほうきが2本あるときにどっちがだれの小道具と決めるほど厳密ではないけれど、とりあえずこの方法ならスタンバイし忘れの危険が少ない。
ということで、私は、茶筒の中身を確認して急須、ぞうきんと共にお盆にのせ、湯飲みをかごに入れ、お皿をそろえ、舞台袖の決まった置き場にセット。あと、楽屋にお菓子(これも小道具)も用意しておく。
きょうは、3時、7時の2回公演。今回、客席数が少ないせいもあるけれど初日からずっと満員で嬉しい。
きょうは、19:30開演の回1回だけの公演。夕方までゆっくりできるかと思ったけれど、いろいろこまごまとやらなきゃいけないことが出てきて、でもまぁ昼寝なんかしてだらだらできたのはよかった。
きょう見に来てくださった大先輩俳優に、きのうの日記に書いた、
「びっくりしていてもいつもどおりに演技できる」
ということについて話してみた。まったくの即興だったらその場その場で起こってくる音やなにかにそのまま反応するんだろうけど、私たちのように「どんなタイミングで」「どのような声の大きさで」「どの方向を向いて」「だれに向かって」「どんな音の高さで」台詞を言うかというようなことを組み立てて作り上げていってる場合は、びっくりの原因になるような、いつもとちがう刺激は、
「いったん受け入れてから、捨てている」
と考えたらいいのではないかとのことだった。なるほど。「無視している」というのとはちがうんだろう、と漠然と思っていたことに、スッキリと説明がついた。
あのー、きょう見つけた不思議なページ。北九州演劇祭の掲示板なんですけど。画面を縦スクロールすると、本文の文字は上に上にあがっていきますが、画面左の市松模様部分はスクロールバーといっしょに下へ下へとさがっていきます。どうしてそういうふうに見えるんだろ?
最近の青年団は、「開演時間の2時間前に集合」とだいたい決まっているらしい。でもきょうは特別に3時間前集合で、少し稽古があった。私も1カ所台詞の言い方を直された。
本番は4時と8時。お客さんとの距離が近いのも、きのう一回やっているのでもう慣れた感じだ。だけど、慣れなくてびっくりしながらでもいつもどおりの演技ができるのって、あたりまえといえばあたりまえだけど、面白いと言えば面白いかもしれない。
そういえば、以前、ビデオ撮影のとき、舞台に出てみたら音声の人が桟敷席に寝ころんでいた(そういう姿勢で、仕事をしていたわけです)のは、そうとう驚いたなぁ。あと驚いたのは、ある俳優の前髪がある日突然くるりんとカールしていたとき。へア・メークって、やってるうちに本人の気づかないうちに過剰になっていったりするからなぁ。
「さよならだけが人生か」初日。
12時稽古開始。きのうゲネを見ていた関係者から、雨の日という設定なのに服とかぜんぜん濡れてないのが気になるという意見が出ていて、ちょっと濡らしたりすることになった。出る前に霧吹きで。だれがどの程度濡らすか、演出から細かい指示が出る。
最近2年間ずっとやってきた「東京ノート」だと、全体的なことでも、自分が台詞や動作をどうするかということでも、もう大枠は決まってきていたから、こうやって本番のすぐ前までいろんな試行錯誤をしてると、「あー、新しい作品を作ってるんだなぁ」としみじみ思う。長くやって細かく作り込んでいくのも、新しい作品を一から作っていくのも、それぞれに面白い。
初日の舞台は、ちょっと暑くて、おでこに汗をかいている俳優もいた。久しぶりのアゴラは、客席が近くて、お客様が大きく見えた。
12時開始で、場あたりの続き。私はしばらく出番がないのでゆっくり行こうかとゆうべ一瞬思ったけれど、ウォームアップをする場所が舞台上しかないから場あたりの始まる前にやんなきゃだめだ、と気づき、少し早めに行った。ウォームアップ、発声練習は、青年団では各自に任されていて、てんでんばらばらにやっている。昼間の早い時間なので、寝ぼけたような声から普通の声になるまでちょっと時間がかかった。早めに行ってよかった。
場あたりの後、もう一度、ざっと、稽古場と劇場で距離感のかわったところとか出はけに変更があったところを確認しながら稽古した。見え方の関係で座る位置が変更になったところなんかがあったんだけど、なんとかクリアー。
その後、ゲネ。ゲネとかゲネプロというのは、お客さんはいないけどそれ以外は全部本番どおりにやってみる、初日直前の最終的な通し稽古のことです。私は、場あたりではなんだかコーフンぎみだったけど、もうこの空間に慣れてきたようで、ゲネはわりあいに落ち着いてできたように思う。
朝から仕込みの続き。ラッシュアワーに電車がすいていたのは、年末だから?
昼には舞台仕込みが終了して、俳優は夕方5時に再集合ということになり、近所の人は家に帰ったり、客席で寝てる人もいたし、何人かは衣裳の買い物その他にでかけていった。
私は一応「照明班」なので、午後イチの照明シュートを少し手伝った。シュートというのは、それぞれの照明器具の、光の向きとか当たる面積の大小とかをデザイナーの意図通りに調整する、という作業です。
その後、下北沢に行ってみた。衣裳にするソックスのいいのがないかなぁと見に行ったんだけど(一応、他になければこれでいこう、という候補はあるんだけど、どこかにもっといいソックスがありそうな気がまだしている)、それはみつからず、コーヒー、紅茶(楽屋用)、もこもこしたフリースのソックス(普段用)などを買った。
夜は、場当たり。これは、出はけや、歩く距離、座る位置などに注意を向け、劇場に合わせて調整しながら行う稽古です。戯曲通りの順番、というか、始めから始めて、終わりまでやります。衣裳も着ます。きょうは、ちょうど半分まで終了。
アゴラ劇場のマチネ公演の終了後、搬入、照明仕込み。吊り込みで、灯体を仕込み図どおりに吊るのはだいぶ慣れてきたように思うけど、回路を取りながら吊っていく、となるととたんにアタマがこんぐらかった。
きょう覚えたこと:
カラーフィルターで、すりガラスみたいなのがあるんだけど、つるつるの面とざらざらの面があって、ざらざらの面が下を向くようにフィルターをセットする。どうしてかというと、つるつるの面が下だとライトが消えたときに目立つから。
私は、照明吊り込みの後は楽屋作り(着替える場所をカーテンでしきったり、歩いても音がしないように床にパンチカーペットを貼ったり、お茶が飲めるコーナーを作ったり、小道具のスタンバイ場所を決めたりと、楽屋に入ってからもいろいろやることがあるのです)を手伝った。モニターで見ると、もうだいぶ舞台の仕込みのほうも進んでいた。
「さよならだけが人生か」は、きのうに引き続き、きょうも通し稽古。台詞をど忘れ。次の台詞も語順がめちゃくちゃになってパニック。あーあーあー。たぶん、その前の2つの台詞とのつながりで、組み立てがうまくいっていないんじゃないかと思う。再考すべし。
ゴミの分別のことですが。「ビン、缶」回収(リサイクル)に、カンヅメの缶を出していい地区と、ダメな地区があることに気づいた。ダメっていうところは、缶は飲料のアルミ缶・スチール缶しか出しちゃいけないって書いてある。何が違うんだろ。処理施設?同じ東京都内だけど?
自分の出番の分の稽古が早くに終わったので、夕方4時頃には帰宅。ボケ防止のため「指編み」を習いたい、という友人のため、毛糸を買う。指編みは、編み針などの道具を使わないで、自分の指に毛糸を掛けて編む方法です。マフラーを編むのに何色がいいのかと聞いたら「まだだれにあげるかわからないから適当に」との答え。ボケ防止とか言ってるくせに、女の子へのプレゼントらしい。思いっきり私好みの色を選んでおいた。
冬になると、なんとなく編み物をしたくなる。「東京ノート」北米ツアーで行ったカナダのヴィクトリアでは、ホテルのじき近くに毛糸屋さんがあり、編み物なんてぜんぜんしない人まで毛糸を買っていた。私は、毛糸と編み棒を買って、マフラーを編んだ。途中スリットを入れるため、目を休めておくのに、道具がないからボールペンをかましておいたりした。お昼を食べに行ったインド料理店に、一度置き忘れた。数時間後に取りに行ったら、こっちがまだなにも言わないうちにお店の人が、
"Oh, you came to get your scarf." (マフラー、とりに来たんでしょ)
とか言って、奥からとってきてくれたっけ。
長岡公演に行ったときも、久しぶりに会う友だちへの手みやげを何にしようかと見に行ったジャスコで毛糸屋さんを見つけ、そうだそうだ指編みマフラーをあげよう、と毛糸を買った。余った毛糸で、棒針編みで何か作ろうと思ったけど、道具を持ってきてなかったので、楽屋にあった菜箸のお尻にティッシュをぐるぐる巻きにして輪ゴムで止めて、即席2本棒を作って編んだ。すごいアイディアだね、と感心してくれる人に、「お箸は食べる関係以外に使うとものすごくおこる人がいるのでそれは気をつけないとね」とか解説する、心配性の私。心配性っていうか、気を回しすぎ?
寒くなって乾燥して、唇と眉間のとこがかさついている。そういえば、「眉間」とか「こめかみ」、「ぼんのくぼ」って、名前と場所がなかなか一致しなかったなぁ、子供の頃。
コートのポケットに入れていた手袋が、片方なくなった。あーいつ落としたんだろう、みつかるわけないよね、と思って家に帰ってきたら、玄関をあがったところに落ちてた。「おかえりー、ここで待ってたよ」って感じで。
12月の日記をいっきに書いた。10月までは毎月背景画像を作ってつけてたんだけど、もうめんどくさくなってしまった。11月は、それで、背景なしにしたけど、なんだかちょっとさびしかった。そこで今月は、アタマのところにカットを1点入れてみた。
おととい、きのうと、むか〜し古本屋で買った女優(森 赫子 著)という本を再読した。その後ちょっと調べてみたら、映画化されたり流行語の元になったりしたということがわかった。けっこう有名な本だったのかな。森赫子本人については、この本のことの他は、出演作(演劇・映画)くらいしかわからなかったが。
タタキで、最初の頃に作った物の出来が悪く、いくつかやり直したりした。作業って、だいたい、慣れてうまくなった頃に作業自体が終わってしまう。
あすまでかかるかと一時は危ぶまれたが、本日、無事にタタキ終了。
たたき→稽古→ちょっと宴会。
銀杏をむく手伝いをした。ペンチでパチンパチンと殻を割り、半分だけ中身を露出させる。それをフライパンでからいりしてから濃い塩水をまわしかけ、水分が蒸発して塩が結晶して雪のように固まるまで加熱する――という調理法。
きょうから3日間、「さよならだけが人生か」のタタキ(舞台装置を作る)だ。きょう、明日はその後で稽古もあるので盛りだくさん。
郵便でハギレの交換をやってるサークルのようなもの(月に一度ハギレを3枚、返信用封筒と共に送ると、他のだれかが送ってきたハギレと交換して送り返してくれる。世話人さん、いつもありがとう)に参加しているが、毎年12月には、ハギレの他にブロックの交換もある。ブロックというのは、布を縫い合わせて1つの模様を作ったもの、言い換えればパッチワークのデザインの最小単位ということになりましょうか。詳しくはキルトってどうやって作るの?の最初のほうを見てください。
で、とにかくその、他の人と交換するためのブロックを、この2、3日で4つ作成した。
もっと大きい写真
1つのブロックの大きさは縫い代を含めないで15cmです。今月は忙しいので、間に合うかどうか心配だったけど、なんとか出来て、一安心。
ブロック交換で他の人のブロックをもらうと、「こんな色の組み合わせ方もステキ」「やっぱむずかしそうなブロックって完成すると見栄えがするんだなぁ」など、自分の感性とちがう物に触れられて刺激になって、いい。以前にもらった中に、偶然、赤、青、黄色、白を使った似た感じの星のブロックが2つあり、バッグの両面のセンターに使ったことがある。
稽古は夕方まで。その後、紀伊国屋ホールに花緑ごのみ 番外編を見にいった。
「さよならだけが人生か」第2回通し稽古。舞台写真を撮ってくれるカメラマンの方や、ビデオ作成関係の人たちが見に来ていた。あせるとついつい小技でなんとかしようとしてしまうあさましい私。
スーパーチャンネルで、「新スター・トレック」の放映が再開された。きょうは、第4シーズンの「宇宙孤児ジョノ」。救助した異星人の宇宙鑑のクルーの中に地球人の少年がいたので地球の親戚の元に返そうとするが、本人は今の養い親のところに残ることを希望する、という話。
「地球人だから地球に戻したほうが本人のためだ」というだけでなく、「本人は残りたいと言っているが、養い親に虐待されていた可能性がある。養い親を恐れてほんとうの気持ちを言えないのではないか」などなど、お節介ながらも状況や相手をもっと理解しようとするアプローチが見られたし、なにより結末が、さすがロッデンベリーのスタートレック世界だ、と思った。やっぱりTNG(新スター・トレック)はいいなぁ。
VGR(「スター・トレック/ヴォイジャー)は、私はいま第4〜5シーズンのあたりを見ているところだが、ジェインウェイ艦長が最近みょうに強気なところが気になっている。地球人の価値観を異星人に押しつけすぎだ、艦隊の誓いはどうしたんだ、と思ってしまう。それに比べてTNGはちゃんとしている。やっぱ、ロッデンベリーが死んじゃってから、製作サイドの意図がかわっていったんだろうか。
「宇宙孤児ジョノ」についてもう一言。手袋をはずしてピカードに挨拶する感動的なシーンのすぐあと、転送装置にのってるジョノは手ぶら。はずした手袋はどうしたんだろう、なんて思っちゃいました。まぁどこかのポケットとかに入れたのかもしれないけど。
青年団のウェブサイトに載せる、「さよならだけが人生か」英語情報を作成。久しぶりにHTMLの文書を書いた。といっても他の人が作ったファイルを元にして英語版を作っただけだけど。