つれづれなる日々

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2002年2月の日々


02/28/2002(木)

友の出ている公演を観に行く。開演前のロビーでも舞台上でも煙草がすわれていてけむいのには閉口したが、開演した後は、俳優の魅力的な姿が観られておもしろかった。

ティン・ホイッスルをほしいという人に私が買った楽器店を紹介したんだけど、在庫がなくて手に入らなかったそうだ。他にも何軒か行ったけどダメだったとのこと。人気なのかな、ティン・ホイッスル。


02/27/2002(水)

稽古が休み。頼まれてる仕事をしたり、メールの返事を書いたり。台詞も覚えないと。


02/26/2002(火)

文楽というものを、初めて観た。公演の前に人形の説明があり、人形を遣う人が1体につき3人つくんだけれど、その人たちがどのように呼吸を合わせ分担して人形を動かすのかというのを見せてくれた。すごく細かい手の動きや、着物の下に脚はない(女の人形の場合)のに脚係りの人が自分の腕を使っていかにも脚らしく見せるところとか、うわーすごいなぁと感心して見た。そして、いつも思うんだけど、伝統芸能の方たちは自分たちのやっていることを人に説明するのがホントウに上手だなぁと思った。説明し慣れてる。私も見習いたい。
(なんだか最近の日記は他人に感心して自分もがんばろうって内容が多いような気がする。)

先日のオーディションの結果発表があった。ダメだった。がっかり。4月後半からしばらく暇になりそう。


02/25/2002(月)

この数日、殿山泰司の本を読んでいる。三文役者のニッポン日記(ちくま文庫2001年)。私は、殿山泰司の文章が大好きだ。たとえばこんなのがある。

歩いてたら、つまりグリニッチ・ヴィレッジを歩いてたら、いや正確に言うとグリニッチ・ヴィレッジではないかもしれないけど、ドコだっていいんだ歩いてればオレは。名も知らぬ異国の町を歩くタノシサを、サビシサを、素直にココロに感じないやつは人間ではない。(P. 185)

「歩いてたら」って「い」が入らないところとか、「歩いてれば」と「オレは」の間に読点が入らないところとか、なかなかこうスッキリとは書けないような気がする。すごく話し言葉だし、心に浮かんだことを、関心のうつっていくままに、順番にコトバにしていった感じの文章だ。次のみたいに、合いの手が入るところも好きである。

夜中にふと眼が醒めたので時計を見たら午前1時であった。時計を見なくちゃ時間が判るかッ!! ほんまにモッタラモッタラした文章でイヤになる。オンナも欲しいけど腹も減ったなあ。(P. 115)

3人の会話と地の文が混在してバンバン進んでてもだれが何をしゃべってるのかよくわかったりして、ホントうまいなぁと思った。

お仕事でこられたのですか。いや仕事じゃないんです、いやいや、仕事かな。しまらねえな、ボス。こちらの方もご一緒ですか。カタってほどの人間じゃありませんがね、ボクの家来です。そうだな、キャパ。そうだなキャパ。そそそうです。トノヤマさんはやっぱりエライ役者さんなんですね。とんでもない、全然エラクないです、エラクなりたいとも思っておりません。まあ、ご冗談を。冗談ではない本気なんだけどこの娘さんにはわかってもらえない。しかし、そんなことはどうでもいいか。アナタは何をしにコチラにこられたのですか。あら、わたしはコチラの人間ですの。コチラと言ったって日本人でしょう。ええ、主人が二世なんです。エッ、奥さんですか。そりゃアンマリだ、どうして女は男をだますんだ。だましておりません。ごもっとも、乱暴なことを言って許してください。(P. 195)

私もこういうふうに、自分の文体というものを確立したいものだと思う。それにしても、この殿山泰司の文章、1960年代に書かれたものなんだけど、ぜんぜん古くさくない。そのことにも驚く。


02/24/2002(日)
注意:新スタートレック The Big Goodbye/宇宙空間の名探偵のネタバレがあります。

TNG The Big Goodbye/宇宙空間の名探偵 (1, 12)を見る。ホロデッキ初登場のエピソードらしい。TNGの最初のほうのエピソードって、実は私は未見のものが多い。このエピソードも初めて見た。

ホロデッキって、転送装置やレプリケータと同様に24世紀のスタートレック世界では当たり前のものなんだと思っていたのだが、改良されたホロデッキとやらを試したピカード艦長は、リアルだリアルだとすっごく興奮していて、この人たちにとって新しい技術だったんだということを私は初めて知った。ホロデッキ内の人や物質はホロデッキの外では存在できないというのが一つの大きな設定なんだけど、観察ラウンジでホロデッキのすごさを熱っぽく語るピカード艦長のほっぺにホログラムの女の人の口紅のあとがついてるってのは、最初からこの設定に反してるわけで、どうなんだろう、これは。この回以外でも、ホロデッキ物はだいたいつっこみどころ満載だ。でもたいていすごい面白い話なので、こういう矛盾はそれほど気にはならないんだけど。

自分が幻であると知ったホログラムの刑事が、ピカード艦長に、
「お前が行ってしまっても、この世界はあるのか。家に帰ればおれの妻や子供が待っていてくれるのか」
と聞くところが、よかった。この後のいろいろなエピソードで、ホログラムの自我とか人権とかそういうことが問題になってくるわけだけど、すべてはここから始まっていたんだなぁと思うと感慨深かった。

そして楽しいのが、ラストの、ピカード艦長のファラダ語の挨拶。発音をちょっとでもまちがえると侮辱されたと思って怒っちゃってたいへんなことになっちゃうという種族との交信の場面である。たぶん音のおもしろさだけで作った架空の言語だと思うけれど、パトリック・スチュワートの朗唱ぶりがとってもすてき。Menage a Troi/愛なき関係 (3, 72)でも情熱的な詩の暗唱をしてたけど、くさくもださくもなく朗々と詩を暗唱するって、なかなかできないことではないだろうか。さすがパトリック・スチュワート。私も負けないぞ!


02/23/2002(土)

東北の友に、井の頭線ホームでばったり会う。こんな偶然ってあるんだなぁ。


02/22/2002(金)

風も日差しも暖かかった。稽古の後、久しぶりに自宅で夕飯を作って食べた。今年初めてのエンドウご飯。いつもは米の鍋を火に掛ける前からエンドウを入れていたんだけど、きょうはぐつぐつっと煮立ってきたところに豆を投入してみた。緑が鮮やかにできたような気がする。エンドウ豆は、「鹿児島産」と書いてあった。おかずは、トマト、タマネギ(薬味としてちょっとだけ)、アボカドをきざんで、焼いた塩鮭のほぐしたのと混ぜて、それを丼のエンドウご飯の上にのせてみた。生タマネギの辛さがポイント。あぁ、胡麻もふればよかったなぁ。


02/21/2002(木)

青年団内でこの春に企画されている、本公演に準じるプロジェクトの、きょうはオーディションに行った。演出家は、私がいままで一緒に作品を作ったことのない、初めての人だ。後半の、台詞を読むオーディションは楽しかったけど、前半、参加者が輪になって、そのまん中に一人ずつ座って靴下を脱いでまた履く、とか、数人で横一列に並んで前を見て隣の人と手を繋いでゆーっくり歩く、とかいうのがあり、私は苦痛で、もう帰ろうかと思ったくらいだった。帰らなかったけど。出演したいし。

なんでそんなにいやだと思ったのか、あとで考えてみた。あまりよくわからないけれど、たぶんこういうことなんじゃないかと思った。つまり:靴下の脱ぎ履きってなんだかとってもプライベートなことのような気がする。それを、「なんのために」とか「どんな理由で」という説明なしに人前で素の自分としてやらされるのが、泣きたくなるくらいいやだったということなのではないだろうか、と。心理テストに答えていって無意識の深層心理があばかれちゃう、みたいな不安。なにを守ろうとしてたんでしょうね?

一緒にオーディションを受けた友は、私と反対で、靴下の脱ぎ履きだったらいくらでもやるけど前向いて台詞を読むのが苦手と言っていた。


02/20/2002(水)

きょうは稽古が休み。友の出ている公演を観に行った。「エクリプス―蝕―」は、台本がまだ決定稿じゃないし、第一配役がまだ決まってないので、時間があっても台詞を覚えるわけにいかない。だから、稽古のないときは、いまのところはあまりできることがない。


02/19/2002(火)

久しぶりに日舞の復習をする。「手習い子」なんだけど、前々回(2月6日)に振付を習った部分がすっぽりと記憶から抜け落ちていて、どうあがいても思い出せない。前回(2月10日)に習った分は、あて振りがほとんどなのでなんとかだいたい思い出せたが。「エクリプス」の稽古でたぶんしばらく日舞に行けないなーと思ったとたんに情熱がしぼんでこんなことになってしまった。反省。

「エクリプス―蝕―」稽古の後、飲もうよと言う人がいて、数人で飲む。飲みたい人が飲みたそうな人になんとなーく声を掛けて適当に飲みに行く…好きだな、このゆるやかな感じ。


02/18/2002(月)

ふらりとTVをつけたら、ダブリンが舞台の映画をやっていて、主人公の一人がアイリッシュ系のバンドでバイオリンを弾いている設定で、俳優が左利きなのか役柄が左利きなのか、サインも左手でしてたしバイオリンの弓も左手で持っていた。まあ言ってしまえば、だめだめ男が恋人にプロポーズして、断られて、最後は結局結婚するんだけど波乱を予想させて終わり、というようなストーリーなのだけど、主人公たちの住んでいるアパートの部屋の内装とか、女性の衣裳とかがステキで、だめだめ男のエゴイスティックぶりなんかもおもしろく、ついつい最後まで見てしまった。

五反田団公演、最終日。私は2回ほど稽古を見せてもらって、あとは仕込みや受付の手伝いをしただけなんだけど、きょうの最後の公演が終わって、劇場内がきれいに片づいてがらんとしてしまったのを見たら、なんともさびしくなって涙が出そうだった(歳ですかね)。もう少しの間、『家が遠い』の世界を見ていたかったなぁ。


02/17/2002(日)

きょうは、稽古のない日。五反田団公演の受付を手伝う。こないだ「何かおもしろい演劇はないか」と友だちに聞かれて五反田団を勧めたのだが、その友がきょう公演を観にきて、おもしろかった、教えてくれてありがとうと言ってくれた。嬉しかった。


02/16/2002(土)

五反田団の照明仕込みを手伝う。きょう新たに学んだことは、照明機材を2台とか3台とか繋いで1つの電源にさすときのコード処理の基本。これとこれを繋いで、電源は遠くだから延長コードを足して…とかやって長さは確保したものの、余分になってぶらつくコードをどう処理しようか?上の鉄パイプのどこにどうひっかけたらすっきりおさまるんだろうか?あぁ、またずるっと落ちてきた…と途方に暮れていたのだが、灯体につなぐ前にコードだけの状態で鉄パイプ上で安定するようにまずしなさい、ということを教わった。

「エクリプス―蝕―」は、稽古二日目。きょうも読み合わせ。2〜3人の会話が複数同時進行していくんだけど、段組になっていない台本なのでだれとだれが話しているというのが一見してわかりにくく、たぶんきのうはみんな自分の台詞を順番に言うだけでせいいっぱいだったと思う。きょうになって、自分がだれと何を話しているのかということが把握できてきたようで、すこ〜し行く先が見えてきた感じがした。


02/15/2002(金)

「エクリプス―蝕―」の稽古初日だった。私にとっては、「ロケット発射せり。」以来半年以上ぶりの演劇の稽古だ。6時から9時の稽古時間内に、配役をかえて、2回通して台本を読んだ。

台本は、これから演出家によって手直しが入るのだけど、きょうのところは私が翻訳したそのままの状態での読み合わせだった。翻訳ではあるけれど、自分が書いた台詞を他人が声に出して読んでくれるっていうのは、私にとってはホントに生まれて初めての経験で、だからきょうの稽古のことはドキドキして待っていた。

自己紹介などをした後、読み合わせが始まった。読みにくそうか?大丈夫そうか? 日本語の会話になっているだろうか? 書いた私の意図通りに読んでもらえているか? 最初すごく緊張したけれど、おもしろい内容のところで小さな笑いが聞こえて、読んでいる人も楽しんでるふうに見えて、あーよかった、と思ったら気が軽くなった。初見でもちゃんと読んでもらえてる。嬉しかった。(なんかプロジェクトXのナレーションみたいになってきました…)

出演している俳優というより、きょうの私は、翻訳者として稽古場にいた気がする。明日からは、俳優メインで。


02/14/2002(木)

みんなのうたの歌詞を載せているウェブサイトで、くいしんぼうのカレンダー発見。ずっとずっと気になっていた歌だったので、うれしい。いい曲なんだけど、あらためて歌詞だけ見てみると、和菓子の名前の羅列なので驚いた。

オペラシアターこんにゃく座の公演まげもんを観た。誘ってくださる方があったのでなんの予備知識もなく出掛けていったんだけど、まず、台詞を言ってるときと歌ってるときでギャップがぜんぜんないのと、歌ってる日本語のことばが全部聞き取れるのに驚いた。オペラっていってるからミュージカルとはちがうのかもわかんないけど、そして私はあんまりミュージカル自体観ないからどれが「普通」なのかよくわからないんだけど、いままで観たミュージカルでは、歌うとがらりと声のかわっちゃう人がいたり、きれいな音だけど言葉がききとれなかったり、そういうことがあったので、歌と台詞が地続きになっているこんにゃく座の感じが、最初とても不思議で、そしてとても心地よかった。

後半ぼうぼう泣いてしまって、ティッシュとか出してらんなくて、シャツの袖が涙と鼻水でぐしょついてしまった。客席のあっちこっちでぐすぐす鼻をすすりあげる音がしていたが、じっと静かに涙の流れるままにしていたら、そのうち涙があごの左右からのどのほうにつーっと落ちていった。以前上野動物園再々々襲撃を観たお客さまで、涙がのどのほうに伝ってかゆくなった、と言っていた人がいたんだけど、あぁあ、こういうことだったのか、と本日納得。


02/13/2002(水)
注意:VGR Q2/断絶するQのネタバレがあります。

VGR Q2/断絶するQ (7, 165)を見た。Qを演じるジョン・ド・ランシーの息子がQの息子役で出る、という話は何かで聞いていたので、大変楽しみにしていたエピソード。最初のシーンで、息子Qのハンサムぶりにびっくり。Qの息子という役柄にはちょっとヤワすぎるのでは?どちらかというとアンドロイドのデータがラルの次に作った息子、とかそういう役のほうが似合うんじゃないか?と思ってしまった。そしてQ登場。うわぁー、老けてる、悲しいくらい。時空を超えた存在であるはずのQが「人間時間」で歳をとっていってるのが痛ましい。傍若無人な態度は健在なので、見かけになれてしまえば後は楽しめたが。

Qというのは時間も空間も超えた全能の存在なので、「じゃぁQに頼んで地球に帰してもらえばいいじゃん」てことになっちゃうわけで、その辺をどう処理するのかなと興味深く見ていたら、ちゃんとオチが付いて一応納得。Qが出てきた時点で、大きなストーリー(地球への帰還)的にはあぁ今回は「1回休み」だなと思ってこちらも見ているので、お気楽な展開を楽しむことができた。
「ドクターとセブンの話じゃなくても、おもしろいの作ろうと思えばこうやって作れるんじゃないのぉ!」
と感心したけれど、レギュラー陣の活躍はあまりなかったので、その点はちょっと残念だった。

Q親子はきっとヴォイジャーを引っかき回すだけ引っかき回して去っていくのだろうなぁとは思っていたけれど、ヴォイジャーもあと数話で終わるので、もしかして息子Qはこのまま人間としてヴォイジャーのクルーとなって最終話まで連続で出るのかも、とちょっと期待したんだけど、やっぱそうはならなかった。


02/11/2002(月)

観に行ったお芝居の、床一面に白い小石のようなものが敷きつめられて石庭みたいと思っていたら、開演して明るくなったら発泡スチロールの小球だった。以前にいた劇団で、ラスト近くで「雪が降る」というときにこの玉、ざぁざぁ降らせたなぁ、舞台装置にCRTモニターが使ってあって、静電気で雪玉がひっついちゃって、掃除がたいへんだったっけ、と、いっとき、私の意識は、目の前の演劇とは関係ないところに飛んでいってしまった。


02/10/2002(日)

あけてくれのカネゴンの日記で紹介されてた(2002.02.08)電波ニュース。ホームページを大阪弁に変換するっていうのがあったけど、これはそれの「電波系」版。たとえば、最近私が掲示板に書いた、

集中的に仕事してまして、金土日。
4月に公演をする戯曲の、1次翻訳をしてました。最終的には、演出の長谷さんが台詞になさるのですが。部分部分は日常的なのに、全体を見るとなんだか不条理、という感じの、不思議〜な戯曲です<「エクリプス―蝕―」。
4月5〜17日、こまばアゴラ劇場で公演の予定です。どうぞお楽しみに。

この文章が次のように変換されたりするのである。

集中的に仕事してまして、理由がどうであれ金土日。借金の申し出を断られた、その仕返しに。
4月に公演をする戯曲の、一時はどうなるかと思いましたが1次翻訳をしてました。ふん、相変わらず甘っちょろいな。俺だったら迷わずとどめを刺す。最終的には、脱皮を終えて演出の長谷さんが台詞になさるのですが。まあ、普通ですな。部分部分は日常的なのに、ダンゴ虫の異常発生の原因は全体を見るとなんだか不条理、という感じの、大胆に不思議〜な戯曲です<「リクエストに応えてエクリプス―蝕―」。家に戻ると、お母さんが玄関で仁王立ちですよ。
4月5〜17日、こまばアゴラ劇場で公演の予定ですぎょん。どうぞお楽しみに。嘘おっしゃい!

ランダムに変換されるので、同じ文章でもいろんなふうになるが、おもしろくてつい読んでしまう。こういうの作るの楽しそう。殿山泰司フィルター作りたい。


02/09/2002(土)

きょうも仕事。


02/08/2002(金)

きのうから忙しくなるはずだったんだけど、ちょっと仕事が私のところに来るのが遅れて、でも「できしだい渡します」ってことだったから、だからきのうは一日待機だった。はいスタート、ってなったときに万全の体調で臨みたいからその前にあんまり疲れることもしたくないし、身体はあいてるけれども気持ちはずっと仕事のことが気になって、疲れた。DS9とVGRの感想なんかを長々と日記に書いたりしてた。

でその仕事がゆうべ夜半に来まして、それから朝までガンガン仕事。朝寝て、昼過ぎ起きて、ご飯食べて、また仕事して、夕方からは五反田団の稽古を観に行って、帰ってきてちょっと寝て、また夜中じゅう仕事した。何もない日にホントウに何もしないでだらだらしてるときとのギャップが大きくて、自分でなんだか笑ってしまった。


02/07/2002(木)
注意:DS9 Far Beyond the Stars/夢、遥かなる地にてとVGR Human Error/人への歩みのネタバレがあります。

Far Beyond the Stars/夢、遥かなる地にて (6, 137)を見た。カーデシアの攻撃で友人をなくしたシスコ大佐が、自分はDS9にとどまるべきかそれとも退任すべきか、と迷っているときに、「夢」の世界で20世紀半ば(だと思うんだけど…)のアメリカ合衆国に生きるSF作家ベニーの人生を体験し、現実に戻ったときには、やはり自分はここにとどまりやるべきことをやろう、と決心する、という話。

レギュラー、準レギュラー陣が、こぞって素顔で(地球人だから)、DS9のメインのストーリーのときとだいぶちがう人格の役で出てくるのが、たいへんおもしろかった。特にクワーク、オブライエン、オドー。当時の白人や黒人の、当時としてはごく当たり前な言葉や反応が、淡々と描かれることによって逆に差別への痛烈な批判になっているところが、「ソウル市民」(平田オリザ・作)みたいだった。スタートレックとは何なのか、という原点に立ち返ったストーリーとも言えるのではないだろうか。なぜ、貧困も差別もない未来社会を描くのか、というような。

オリジナルシリーズ(カーク船長のやつ)でウラ中尉を見て、
"There's a black lady on TV and she's nobody's maid."
「テレビに黒人の女の人が、メイド以外の役で出てる!」
(はっきりこのとおりだったかどうかは覚えていません。映画トレッキーズに出てきました)
と叫んだ子供は、そのとき、自分だって望めば何にでもなれるんだということに気づき、のちにスーパースターになった、その子の名前はウーピー・ゴールドバーグ――という話を思い出した。

このエピソードでも言及されているG.H.ウェルズは、そういえばこんな名言を残しているそうです。

きのう見た、VGR Human Error/人への歩み (7, 164)を英語で見直した。これは、ホロプログラムを使って人間性を追求しようとしたセブンが仕事に集中できなくなってヴォイジャーを危険にさらしてしまう、それはなんとか切り抜けたんだけど、一定以上のレベルの感情を検知すると個体を機能停止させようとするボーグインプラントの働きが明らかになり、セブンのさらなる人間性の探求への道はとざされる、という話。セブンがプログラムしたホロシミュレーション中の恋愛相手がチャコティ副長で、どきどきするようなシーンもあって、チャコティファンとしてはなかなか興味深かった。最後のほうで、この関係を終わりにすべきじゃないとセブンを説得しようとするとこなんか、特にかっこよかった。現実のヴォイジャーでの話でも、こういう積極的な活躍をしてほしい。

ホロシミュレーションの中で、生まれてくる赤ちゃんへのお祝い品を贈る会(baby shower)でセブンが短いスピーチをする。それをきのう日本語で見ていて、私は、おーいいこと言うなぁと思ったんだけど、一緒に見ていた家族(やっぱりスタトレファン)は、意味がわからないと言った。どういうスピーチかというと、
「新しいクルーに乾杯。1つだけ人生の励みとして残して、望みはすべてかなうように」
というもの。
「望みが全部かないますように。でも全部かなっちゃうと生きる張り合いがなくなっちゃうから、1つだけは望みがかないませんように」
というような意味だよ、きっと、と説明したけど、そういう意味には受け取れなかったそうだ。私の思考が英語寄りになってしまっているんだろうか、英日翻訳をやるときに気をつけなくちゃ、と思った。ちなみに、こういう台詞でした。

To the newest member of our crew. May all her desires be fulfilled except for one, so she'll always have something to strive for.
ドクターが、子守歌を歌うところがあったが、よくできた替え歌だなぁと思った。こんな歌詞。日本語は私が付けました。

Rock-a-bye, baby, in the space dock
(ドックで、あかちゃん、ねんねしな)
When the core blows, the shuttle will rock
(コアが爆発、シャトルは揺れる)
When the hull breaks, the shuttle will fall
(壁がくずれて、シャトルは落ちる)
And down will come baby, shuttle and all.
(あかちゃんも、シャトルも、みな落ちる)

元の歌詞は、こんなんです。

Rock-a-bye baby, in the tree top
(おやすみ、あかちゃん、木の上で)
When the wind blows, the cradle will rock
(風が吹いたら、ゆりかご揺れる)
When the bough breaks, the cradle will fall
(枝が折れたら、ゆりかご落ちる)
And down will come baby, cradle and all
(あかちゃんも、ゆりかごも、みな落ちる)

セブンも言ってるように、寝かしつけてるんだか脅してるんだかわからないような歌詞だ。一時期日本でマザーグースが流行ったのも、こどもの詩なのに不気味なのやわけわかんないのがあったりしたからじゃないだろうか。

あと、字を目で読めばわかるけど、しゃべってるのを耳で聞いたらわからない台詞があった。ドクターに時間より早くセブンと交代して任務につくように言われたイチェブに対してセブンが不満の意を表したとき、イチェブが「オイディブス王」からの引用だと言って、
「ししゃはころすな」
というんだけど、「死者は殺すな」ってなんか哲学的だなぁと思っていたら、Don't kill the messenger.「使者は殺すな」だった。引用だから前後関係もないし、ちょっとわかりにくすぎるように思った。悪い知らせを持ってきた人を殺すのは筋違いだ(ぼくにおこるなよ、ドクターにおこれよ)という意味だと思うんだけど、うーん、「使者は殺すな」の短さで言い換えるの、けっこう大変だ……。「使いに罪なし」、ちょっと長いなー。出典(ソポクレスの「オイディプス王」)を明らかにしてるから、まぁ、「使者は殺すな」でもいいかな?でも、私には理解できなかったのだけど。でも、代案を思いつかない…。


02/06/2002(水)

家で音楽に合わせて日舞おさらい。距離がちゃんとはとれないから、振りの確認とイメージトレーニングと半々って感じだ。音と動作が、やっと連動してきた。

で、夜は、日舞のお稽古に行く。いま習っている「手習い子」は、具体的な動きが割と多くて踊りっていうよりお芝居っぽかったりするんだけど、間あいだに入るもう少し踊り的な動きの部分の振りを忘れがちだ。やっぱり「墨をすって、筆につけて、お習字書く」というののほうが、純粋な踊りの動きよりは覚えやすい。

前に習った「荒城の月」と「梅は咲いたか」も、いま習っている人たちと一緒に踊った。身体の向きとか、以前は意識して踊ってなかったところを確認できるから、勉強になる。


02/05/2002(火)

私が入ってるあるメーリングリストで、キリスト教的な詩を転送してきた人がいて、なんだかいま論争になってぎすぎすしている。
「このメーリングリストのトピックに関係ないことは投稿しないでくれ」
「私はあの詩で気持ちが明るくなった。よかった」
「気に入らない内容のメールは、デリートキーで消せばいいじゃないか。騒がないでよ」
「学校教育からも宗教が締め出されて、ここでもこんなにやいやい言われれるんじゃ、信教の自由はどうなるんだ」
「チェーンメールを投稿するのはやめてくれ」
「宗教的マイノリティーの私は、イエスの話に辟易している」
などなど。

問題は、

の3点にだいたい分けられて、みんなどれかの観点から反対してるんだけど、どうも他の人の反対理由も自分と同じだと思ってるらしくて、どういう理由でなにに反対ってことをちゃんと言わないで反対してるからよけいに話がこんがらかっているように見える。

そして、
「私たちの国は、互いの相違点に基づいて築かれている(んだから他人の宗教のことでとやかく言うのはやめようよ)」
とかいう人もいて、えーっとこのリストにはアメリカ以外の国の人もいるんですけどねぇ…と私なんかつっこみたくなってしまうんだけど(学校教育云々とか、宗教的マイノリティーとか言ってる人も、たぶん無前提にアメリカのことを言ってると思う)、こんな言い合いが長引いてもぜんぜんおもしろくないので、黙っている。

話、まったくかわって。やりたいことをあれもこれも始めてしまって途中で投げ出してると自分がダメ人間に思えて落ち込むので、あんまり同時にいろんなことに手を付けないように普段気をつけているんだけど、いま、けっこういろんなことを始めちゃってる。なんか、楽しい。


02/04/2002(月)

五反田団の稽古を見せてもらいに行った。いままで何度か行ったことある場所なんだけど、駅を降りたら東側も西側もぜんぜん記憶の街並みとちがっていて、あせった。帰り道にわかったのだが、カンチガイして、降りる駅を1つまちがえていたのであった。

五反田団のウェブサイトには、

男4人がくだらない話をして、
そこに女が来るという
観ても何もならない、
あまり何も起きない話です。
観てください。

と書いてあって、たしかにそういう話だった。本番がたいへん楽しみだ。


02/03/2002(日)

日舞をきょうから始めた友に、
「振付って、書いて覚えないの?」
と聞かれた。そういえば、書かないなぁ。絵だったら、描かない、かぁ。

先生は、ビデオを見たりして確認して書いて(描いて?)おくというようなことを以前におっしゃっていたけれど、どの音のときに手や足をどうしているか、身体はどちらの方向を向いているのか、いつ動くか、を曲に沿って書きとめていこうとして、私はいままで何度か挫折した。いま自分はどうやっているんだろうと、改めて考えてみた。

いま習い始めた曲は、まだ音楽と動作がうまく合わせられなくて、とりあえず自分が次々に何をすればいいのかってことだけ覚えている。覚えているっていうか、こんな感じの言葉がアタマの中で展開していく。

おおざっぱだけど、これくらいの「きっかけ」を覚えておけば、手の具体的な位置や動きはそのときどきで思い出せる。

このあと音楽に合わせて練習していくうちに、どの音のときどの動作、というのがだんだん自分の身体に定着してくるし、あ、次はあれだぞ、というのも音のキッカケで準備できるようになってくる。なんか、どうも、そういうふうにして、私は日舞の振付を覚えていっているみたいである。いまのところ。


02/02/2002(土)

ちょっと通訳をした。漫画大阪豆ゴハンに出てくる日独ハーフの岩橋さんって人は、会社の会議の通訳をするとしゃべり言葉が大阪弁で、緊張感がなくなるといって通訳降ろされちゃうんだけど、私の通訳もそんな緊張感のなさだったと思う。
「これから、きゅーっとスケジュールが埋まってくると思うけど、今のところは空いてますので」
「いまはばらばらっとしてますが、もう少しぎゅっとする予定です」
擬音でしゃべりすぎ。内輪な集まりだったのであまり問題はなかったと思うけれど。

夜、半年ぶりに会ったよく知っている人とか、半年ぶりに会ったまだ数回しか会ったことのない人とか、正真正銘きょう初めて会った人とかを交えて飲んだ。青ネギとシラス干しと一味唐辛子を混ぜあわせたおつまみが、シンプルなんだけどすごくおいしかった。ネギくさくなったけど。

先月の日記の日付の「年」部分が全部「2001」になっていたことに気づき、あわてて直した。なんで1カ月ぜんぜん気づかなかったかなぁ。ふだんいろんなものの誤植に、気づきすぎるくらい気づくんだけど。


02/01/2002(金)

カニを食べる芝居を観た。舞台上で演技で物を食べるのって、好きな物でもけっこうつらい。でも、カニだったら毎日おいしく食べられそうな気がする…。どうだろう。


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