つれづれなる日々

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2003年5月の日々

鯉のぼり姫


05/31/2003(土)

なにかの期日だったか場所だったか金額だったか、具体的なことは忘れたけれど、ホントはAなのに「B」とアナウンスした人がいて、他の人から、「Aですよね」と指摘されたときに、
「つっこみありがとうございました」
と返事をしていた。メーリングリスト上で。私には、それを「つっこみ」と言うのは違和感があった。まぁ中にはそういうふうな使い方をする人もいるのね、くらいに思っていたら、最近また、別のとこで、まちがいを指摘された人が、「(いろんな人から)つっこみをいただきました。ありがとうございます」って言っているのを見た。

もしかして、そういう指摘のことを「つっこみ」と表現する人って、意外と多いのだろうか。

もし私がだれかのまちがいに気づいて、正しくはこうですよね、と教えてあげたとして、
「つっこみ、ありがとう」
とか言われたら、ムッとするような気がする。「つっこむ」というのは、私は、主観的なことだと思っている。つっこみたい、つっこまずにおれないポイントって、人それぞれでしょ? まちがいの指摘は、もっと客観的なものではないでしょうか。それなのに同じ言葉で表現するのは、変な気持ちがする。

あぁ、でも、もしかしたら、「つっこみ」の理解が、私はちがうのかもしれない。「ここはつっこむところでしょ?」とか「場の空気を読めよ」とか、言ってる人ってよくいて、私は半分冗談だと思って聞いていたけど、でも、言ってる人は、万人共通のつっこみどころとか、万人に当然理解されるべき場の空気とか、そういうものが確固としてあると思っているのかもしれない。「つっこみ」って、白か黒かってくらいすごく客観的で明白なものと思ってるのもしれない。そういうふうに考えれば、まちがいの指摘も、たしかに「つっこみ」の範疇なのかもしれない。


05/30/2003(金)

久しぶりに、『ヤルタ会談』の台詞の練習を一人でしてみる。歌も小声で歌ってみる。3週もあいだがあくというのは、なんだか変な感じだ。6月下旬の公演は、暑くなるだろうか、それとも梅雨で涼しいだろうか。

今回自分の衣裳を用意するにあたり、洗濯機で洗えるポリエステルと、通気性がよいというウールと、どっちにしようか迷ったすえ、ウールギャバジンにした。洗濯はドライクリーニングに出さなきゃだけど、通気性は確かにいいようで、5月の公演では汗をかいて困ることもほとんどなかった(汗取り下着も着ていますけど)。静電気も起きないし、あまりしわにもならない。さすがTNG第3シーズン以降の制服に使われたというウールギャバジンだ!(←ただのスタトレファン)


05/29/2003(木)

手とか足とか、カサカサだったりささくれがあったりするのを放置していたんだけど、それもあんまりかなぁと思い、思い切ってハンドクリームを買う。サンダルの季節なので、マニキュアも買う。45秒でマニキュアが乾くという速乾性トップコートもあったけど、高いので買わなかった。いろいろ便利なものがあるのねぇ。


05/28/2003(水)

パーマのウェーブが戻る、というものを買ったんだけど、すごく便利。ワックスほどカチカチじゃなく、適度にボリュームを抑えつつ、たしかにパーマのウェーブがくるりんとする。

オーバーオールを買う。大学生のとき以来じゃないかな。この歳で、着ていいのか、オーバーオール。昔はタンクトップにオーバーオールでセクシー路線(他人がそう思ったかどうかは別ですが)をねらったりもしたけれど、40代はどう着たらいいんだろうか。不安はあったんだけど、いま、欲しい気持ちが強かったので、ままよ、と、とにかく買ってしまった。


05/27/2003(火)

雨降り。5月は半袖のシーズンなのに、ちっともあったかくならない。

右手首の痛いのが治んないので、カイロに行く。その道筋には、こだわり!って感じのバーや喫茶店やイタリア料理店やブティックや、とにかく、ステキそうな店がたくさんあるんだけど、行きはだいたいいつだって時間に余裕がなく、帰りはへろへろで寄る気になれず、まだどこにも入ってみていない。次は!

暗くなりかけた頃、雨があがりかけの西の空にピンクの夕焼け部分が見えて、なんだかちょっと嬉しくなった。パッチワークみたいだし。


05/26/2003(月)

スーパーで、特売の生イカのパッケージに「長野県産」とあった。は? 私の故郷、長野県に海はありません。何がどうまちがったんだろう。


05/25/2003(日)

団祭りの、『ヤルタ会談』の第2週が終わった。次は6月下旬。

上演時間30分というのも、出演者3人というのも、どちらも私には新しい経験で、いろいろとおもしろかった。アップの一環としてパッと集まってパパッと最初から最後まで通して台詞合わせできちゃうんだなぁとか、短くてもあれだけ台詞の量が多いと覚えるのはけっこう大変だとか。

量もそうだけど、内容も、普段あんまり考えたり言ったりしないことが多いから、その点でもむずかしかった。稽古の最初の頃よくまちがってたのが、「インド人」と「ドイツ人」。あ、しりとりだ、と思ったら、どっちがどっちかわからなくなってしまって、
「あそこらへん住んでるインド人」
と言って、おいおい、ポーランドにインド人は住んでないだろうとつっこまれたり、
「(イギリスが)ドイツ人(を)あんなに兵隊に使って」
と訳のわからない状況を生み出したりしていたなー。


05/24/2003(土)

きょうの団祭りは、『忠臣蔵』→『ゲームの終わり』→『ヤルタ会談』→『忠臣蔵』と4回公演。自分たちの公演だけだったら、開演2時間前とかに劇場に入って劇場の中で発声したりアップしたり、自分のペースでだらだら準備ができるんだけど、きょうは開場(6時15分)の20分前に前の演目が終わり、それから、テキパキテキパキ仕込み替え。その後やっと落ち着いて、数分、だらだら、劇場内で過ごす。なんか、きょうの私には、このだらだらが、必要だったのでした。


05/23/2003(金)

きょうは『ヤルタ会談』の公演がなく、家でミシンの作業をした。アゴラの事務所の「のれん」の製作を頼まれていて、1枚は先日完成してもう事務所に掛かっているんだけど、もう1枚になかなか取りかかれないでいた。2枚は、同じではないけど「2枚で1組」にしてほしいと、事務所のデザインをした友に言われているので、1枚めと色調は同じだけど、1枚めが直角、正方形を主にした、秩序のあるデザインなのに比べて、2枚めは、「混沌」とした感じになるように、「斜め」中心でいくことにした。直角以外の角度で布を切るとどうしても無駄が出るのがちょっと気になるけれど、なかなかおもしろい感じになってきたように思う(まだ、途中)。

夜、テアトル・ド・ポワン・アヴーグルの『ゲームの終わり』を観にアゴラに行く。私はフランス語がわからないので、台詞がまったく理解できないのはわかっていて、でもあえて、戯曲の翻訳とかあらすじとか何も見ないで観劇してみよう、というのがきょうのねらいだった。途中、のれんのことなどを考えながら観ていた部分もあったけど、台詞の音とか、動きとか、表情とかが楽しく、心配したほど退屈はしなかった。おじいさんの俳優が力なく笑うところが好きだった。

でも、ストーリーはやっぱりぜんぜんわからなかった。帰り道で一緒になった友は、でもだいたいわかった、というので、どういう話?と聞いたら、
「あの人は、あの人がいなくなって、ほっとした」
え、それだけ? それを「だいたいわかった」と表現するあなた自身のほうが私には興味深いよ。


05/22/2003(木)
注意:『ヤルタ会談』のネタバレがあります。

もう本番やってるのに、まだそんなに稽古するの?と、他のチームにビックリされるくらい、『ヤルタ会談』は自主稽古を繰り返している。通すったって30分で終わっちゃうから、とにかく本番前に1回通しとけば安心、というような気持ちもある。7時開演で、第2週の初日。

冒頭、というか、厳密にいうと開演前の、お客さまがまだ入場してきている時間に、私は舞台上で「インターナショナル」の替え歌を歌う。第1週の初日もそうだったけど、きょうも、第一声で客席からクスリと笑い声が聞こえた。と思ったら、しばらくして、私と一緒に口ずさんでいる声がした。これにはちょっとビックリしました。

帰宅してメイクを落として(そんな「舞台メイク!」ではないので、だいたいそのまま家に帰ってしまいます)、ふと気づくと頬がかゆい。なにか、虫に刺されたようだ。明日が休みなのを見透かされたかのようだ、と思ってしまったのは、あまりにも自分中心的な感想だったかもしれない。


05/21/2003(水)

『ヤルタ会談』ゲネプロ。特に問題なく、終了。夜、『忠臣蔵・修学旅行編』観劇。3月のOL編がすごくおもしろかったので、他の「○○編」はどれを見ても二番煎じみたいに見えてしまうのではないかと危惧していたんだけど、ぜんぜんそんなことはなく、修学旅行編は修学旅行編でさらにシュール、さらにリアルだった。いつか、私も出演したいです、忠臣蔵。


05/20/2003(火)

劇場で、自主稽古。台詞の確認等はやっていたけれど実寸で動いてやってみるのは11日の本番以来だった。帽子を脱ぐタイミングとか、決めてた段取りを少し忘れていた(実生活だったら、暑かった、頭がかゆくなった、部屋の中だと突然気づいた、なんでもいいけどとにかく何かよんどころない根拠があって帽子を脱ぐ。だからどんなタイミングで脱いだってそれがそのときの「正解」なんだけど、私がやっている演劇だと、毎回毎回タイミングがちがったらいろいろとめんどうくさいことになるので、いつ何をする、というのは、だいたいあらかじめ決めておく。それが、段取り)。

1回めの通し稽古でいろいろ思い出して、弱いところを返し稽古して、それからもう一度通し稽古をして、本日の自主稽古は、終了。その後、『ヤルタ会談』→『忠臣蔵・修学旅行編』の仕込み替えの手順を、両方の出演者と舞台監督でああだこうだ試行錯誤しながら決め、やってみる。ヤルタは出演者が3人だけなので、10人以上で集まって話したりするのは久しぶりで、にぎにぎしくておもしろかった。


05/19/2003(月)

舞台装置等の「仕込み」の日。9時スタートだったので、電車がラッシュアワー。フルタイムのバイトをやめたとき、もうこれでラッシュの電車に乗らなくてすむと思うと嬉しかったっけ。

夕方、終了し、ある公演を観ようと劇場のある駅まで行ったんだけど、一日仕込みをした後で疲れて眠くなってしまうかもしれないと不安になり、友とご飯だけ食べて、帰宅する途中の電車でやっぱり居眠りしてた。

キノコ(ヤマブシタケ、エリンギ)とネギと鶏肉で鍋。鶏肉を炒めたところに他の材料を入れて、日本酒と塩だけで味つけ。さっぱりとおいしかった。最後は、コチュジャンを入れ、塩をちょっと足し、しっかりした味にして、うどんを投入。


05/18/2003(日)

五反田団の受付を手伝ったり、団祭り関係のミシンを使う作業をしたり、五反田団の照明バラシに参加したり。あしたはまたここに、『忠臣蔵・修学旅行編』と『ヤルタ会談』とフランスから来る劇団の上演する『ゲームの終わり』用のセットを組んで、照明を吊って、そうやって団祭りが続いていくんだなぁ。


05/17/2003(土)

『ヤルタ会談』自主稽古。先週劇場で本番をやった後で、劇場でない空間に戻って、声の響き方がちがうのが少し違和感があった。

台詞だけ確認、という感じできょうはやった。でも、どこでお茶を注ぐ、姿勢をかえる、というような、自分や相手役の動きはイメージしながら。そうじゃないと、私は、練習にならない。というのは、最初に台本を覚えるときには、どの台詞の次が自分、というふうに直前の台詞との関係でだいたい覚えるんだけど、発話の根拠(なぜその台詞を言うのか)は、稽古の過程で、直前の台詞以外のものにかわっていく。たとえば、「こっちを向いてこの景色が見えたときに言う」とか、「Aさんの『今回』という台詞に反応して言うから、具体的にしゃべり始めるのはその次のBさんの台詞が終わったタイミングだけど、その前からすでに、しゃべる体勢になっている」とか。だからだ。

以前、なんだったかの公演のアフタートークで、平田オリザが、青年団の俳優はメソッド演技じゃないからシーンの途中からだろうとどこからだろうとやれる、だけど小道具の位置がちがっていると台詞が言えない、というようなことを言ったけれど、まさにそのとおりだ。


05/16/2003(金)

今週ずっと、いわば引きこもっていたので、きょう夜アゴラに行って、きょうの公演の終わった五反田団の人たちや公演を観に来てた友だちや、みんなに会ったら、嬉しくてはしゃいでしまった。「クフッ」と笑った友に、
「クフって、じゃあおまえは、クフ王か」
と小学生のようなつっこみをしてしまった。ていうか、小学生のようなのかどうかよくわかりませんが、変なテンションではありました。


05/15/2003(木)

サンダルを買った。いま履いてるのは、2年前の夏に北九州で買った赤いサンダルで、気に入ってよく履いていたら足裏のあたる部分(普通の靴だったら「底」っていうんだろうけど、サンダルだと底では変な気がする)が黒くなって、洗ってもとれなくて、なんだか臭いのもとれなくなってきたので、もう捨てることにしたのだ。新しいサンダルは、ベージュ。かかとにかけるストラップの一部がゴムになっていて、バックルをはずさないでも脱ぎ履きができる。

濃茶で紐で全体を調節するタイプのも履いてみて、履きやすいのは履きやすいんだけど、紐でしばられた自分の足の甲はなんだかぶざまだったので、やめた。
「ボンレスハムみたいだから」
と言ったらお店の人は少し絶句していた。


05/14/2003(水)

ノートパソコンの黒い皮膜が、両手首のあたる辺りがハゲハゲになってきて、なんだかロールシャッハテストの模様のようだ。しかたないわねと肩をすくめる女性、一人でテーブルに着いて食事している耳の立った人、獏、が、右手のほうにいる。左手のところでは、つののあるイルカが笑っている(あの、たぶん大丈夫です、私。ご心配なく)。

それはそうと、先週末あたりから、右手首が痛い。私は利き手は左手なので、右手は、「支える」系の力仕事を担当する場合が多い。だから、ナベのふたをごしごし洗うとかそういうことをしようとするとき、右手が痛いと不便である。


05/13/2003(火)

『ヤルタ会談』のDMハガキを送った相手から次々と反応があり、あぁ、メールもいいけどやっぱり紙のご案内もいいもんだなぁと思う。今年は年始に年賀状を送らないでしまったので、年賀状をいただいた方へのご挨拶も兼ねさせていただいたりしてしまった。もう五月なんですけどね。はい、それはわかっているんですけれどね。


05/12/2003(月)

ヤルタ会談に関する英語の資料を調べる。スターリンの肩書きが、Generalissimoって書いてあるのがあった。イタリア語のgeneraleつまり司令官の最上級で、総司令官、大元帥。英米の総司令官には使わない、と、辞書に載っていた。自国と異国で、同様の地位なんだけど呼び名がちがうって、イギリスの伯爵はEarlで、イギリス以外の伯爵はCount、というのもあったな。


05/11/2003(日)

『ヤルタ会談』の第1週が終わった。金、土、日と3回の公演だった。1日1回しか公演がないし、上演時間自体30分の短編なんだけど、終わって、思いのほかぐったり疲れている自分に気づく。キャストの数が少ない公演に出演した経験があんまりないというのも関係あるのかもしれない。三人芝居でみんなほぼ出づっぱりだから、なにかまずくいったら立て直しがきかない。そういう緊張感が、私には、新しかった。

次は、5月22、24、25日だ。すでに、待ち遠しい。


05/10/2003(土)

きのうの日記に『ヤルタ会談』を4回やったと書いたら、共演者から、「自主稽古、ゲネプロ、稽古、自主稽古、本番」つまり5回だったって訂正が入った。あららら、そんなにやったんだ。ま、30分の芝居だしね。

きょうは、一回俳優三人で集まって台詞合わせをして、あとは各自準備して本番。

私以外の2人の出演者は、舞台上手から登場するので、開場時には舞台袖で待機する。下手から登場する私一人が開演時まで楽屋に残り、メークしたりしている。落ち着くようなさびしいような、不思議な15分を過ごしてから舞台に出ていく。


05/09/2003(金)

きょうは、ゲネプロ、稽古、自主稽古、本番と、4回『ヤルタ会談』をやった。


05/08/2003(木)

「洋裁」方向で考えすぎていた、もっと「工作」的にやるべきだ、と早朝目がさめたときに気づき、新たなアプローチで衣裳の問題に立ち向かう。完成! ミリタリーショップに行かなくてすんだ!

早朝作業の後、もう少し寝て、昼近くに活動再開。なんだかんだやってるうちに劇場に行く時間に。もともとのスケジュールではきょうは朝9時から11時まで場当たり稽古の予定だったんだけど、『隣にいても一人』チームとのかねあいですでに場当たり稽古はおととい終わっちゃってて、きょうは午後4時過ぎから通し稽古、というふうに、ゆうべ予定が変更になったのだ。2本立てなので転換練習もする。

通し稽古終了後、帰宅。何日ぶりかで自炊。カレー。録画してあったTOSを1本見る。軍服がいっぱい出てきた。情報は、求める人の前に現れる、ってやっぱり本当なんだろうか。

明日は12時からゲネプロだ。そして、7時開演で初日だ。


05/07/2003(水)

きょうは、稽古がなくて、少しゆっくりな日。昼過ぎ、衣裳の買い物に。おおまかな部分ではもう衣裳は全部揃っているんだけど、装飾的なものをまだ探している。

自主稽古は、台詞中心だけどキリキリと2回通す。終わって、明るいうちから友とビール。こんなの、いつぶりだろう。すごい久しぶりだ。今回の『ヤルタ会談』の稽古はずっと夜だったからなぁ。

帰宅して、衣裳の作業をする。1つ、どうしてもうまくいかない。明日またミリタリーショップに行ってこよう。


05/06/2003(火)

団祭り、今週は青年団の『隣にいても一人』(Aチーム)と『ヤルタ会談』で、きょうはその仕込みの日だった。夜は、場当たり稽古。と言っても、冒頭から普通にやっていって、問題があれば演出家がとめて指示を出してやり直したりしながら、ずーっと進んでいく、という感じです。

なんて冷静なようなことを言ってみるけれど、開演前(開場して、お客さまが次々入ってきている時間)にぼそぼそと歌う歌について、「もっと声を落として」と指示が出た途端、自分が1番を歌い終わったとこなのか2番まですんだのか、わからなくなってしまった。劇場に入って初めての稽古で、やっぱり緊張していたようだ。

2時間ほどで、最後のシーンまで稽古終了。きょうまた台詞が増えたところがある。口にも耳にも馴染むよう、繰り返し繰り返し練習しよう。


05/05/2003(月)

ミリタリーショップに探し物に行く。ソフマップ同様店員さんのほうからは声を掛けないシステムらしく、でも行きつ戻りつ行きつ戻りつして見ていたらレジの人が、
「何かお探しのものがあれば声を掛けてくださいね」
と言ってくれて、じつはこれこれ、と話をすると、親切にいろいろと相談にのってくれた。これは作ったほうがきっと早い、とか。これウソンコでいいので安いのはありませんか、と聞いたら、うちは全部本物なんですよね、と言われた。どういうとこで売ってますかねぇとさらにずうずうしく訊ねると、原宿辺りのパンクショップとかがいいのではないかと教えてくれた。マニアでもなんでもないお客の私に、親切にしてくれて、どうもありがとう。

台本を家に忘れたと思って取りに戻ったが、なかった。アゴラに行ってみたら、稽古場の隅の、ゆうべ私が座っていたあたりに置きっぱなしになっていた。あぁ、あってよかった!

自主稽古は、まず台詞だけで全部通して、その後一場の途中まで立ち稽古した。演出家のいる稽古はきょうはなくて、そのままいきなり第6回通し稽古。私がまた少し力が入りすぎと言われた。


05/04/2003(日)

自主稽古の前に、自分の衣裳の作業をちょっとやる。自主稽古して、稽古して、第5回通し稽古。一カ所台詞をくい過ぎた。


05/03/2003(土)

『家が遠い』マチネの受付を手伝う。受付には「ご自由にお持ちください」って団祭りの青年団の各演目(『ヤルタ会談』、『隣にいても一人』、『忠臣蔵・修学旅行編』)単独の宣伝用のハガキも置いてもらっていて、友だちが来ると「これに出るんです、よろしく」と手渡したりもした。

『ヤルタ会談』の稽古は、冒頭から一場の途中までとめずに稽古してから、きのうの通しで何がどうダメだったかを聞く。それから、とめながら最後まで。

きょうは稽古見学の方があり、本番1週間前のいまになって台詞の変更があることに驚いていた。本番が始まっても変わることがあるし、旅公演でちがう会場に行くと出はけの距離が変わるのに伴って台詞が増えたり減ったりするという説明を、どう思っただろう。
「混乱しませんか」
との質問にいいえと答えた私だが、稽古の終わりの通し稽古(第4回)では、きょう変更になった台詞を一つ忘れてしまっていて、なんだか似たようなちがうことを言ってしまった。混乱はしないけど、繰り返しの練習は必要だ。

そういえば、『ヤルタ会談』の稽古日記は、2、3日書いただけで、とまってる。もう、この、通常の日記に書いていくことにしようかな。ネタバレなしで。


05/02/2003(金)

きょうから、団祭りが始まった。まずは五反田団『家が遠い』。初演は昨年2月だった。2月の公演が終わったとき、この世界をまだ見ていたい、とせつなく思った、あの『家が遠い』の世界が、よりくっきりと鮮明になって帰ってきた感じだった。

その前後に『ヤルタ会談』稽古。第3回通し稽古は、私は、第1回と同じような変な緊張で、あせって、ただただ台詞を言ってしまっていたように思う。またまた苦手ポイントで台詞が出てこなかった。こんだけ言えなくなるのは、きっと、文法的または論理的な理解がまちがっているに違いない。あ、わかった、わかりました! いま、わかった。書くと、考えが整理されますね。

泊篤志さんのサイトに、私が訳した『はじめての劇作 戯曲の書き方レッスン』の感想を発見。「翻訳の苦労が見えるところも面白い。」って書いてある。おもしろいならよかったけれど、苦労、見えたらダメなんだけどな。次にがんばるとき、もっと気をつけよう、と思う。


05/01/2003(木)

きのう食べた、とんでもなくまずい中華丼のことを思い出す。二人で一皿頼んだシュウマイがしょっぱくて、中華丼に付いていた玉子スープがしょっぱくて、でもイカの花切りなんかが豪華に載った中華丼は期待して箸をつけたら、甘いのである。市販のちらし寿司の具にとろみをつけたみたいな感じ。砂糖の他に何で味つけしてあるのかまったくわからなかった。そして、イカもウズラ卵もギンナンも、同じ食感。24世紀の、レプリケーターの出す食べ物って、こんな感じなんだろうか、などとスタトレファンの私は思ってみたけれど、たぶんもう2度と行かないと思う、あの店には。


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