『かもめ 第二章』日記


ジャンカルロ・ナンニさんは、ローマの演出家だ。テアトロ・バッシェロという劇団を持っている。

そもそものはじまりは、カイロの演劇祭で、ク・ナウカとテアトロ・バッシェロが出会ったことだったという。宮城さんとジャンカルロさんで、「なにかコラボレーションをしたい」ということになったんだそうだ。

その第1弾として、テアトロ・バッシェロ日本公演(『かもめ』)とジャンカルロさんのワークショップが行われたのが、2002年6月。【P4】の4劇団から参加者を募ったこの2週間のワークショップに、青年団からはひらたよーこと私が参加した。そして、2週間でチェーホフの『かもめ』の1、2幕を作って発表会をした。

かもめの続きを、いつかぜひやりましょう、という話はワークショップの直後からあったんだけど、この冬に実現できそう、と連絡をいただいたのが2003秋。そして、ワークショップ発表会のときとは一部メンバーがかわったけれど、今回、ホントに公演が実現した。

台本は、チェーホフの『かもめ』をジャンカルロさんが自分の劇団の公演のために抜粋・再構成したもの。今回の稽古中にはあまりそういう話は出なかったけれど、ワークショップのときの話では、これは芸術家として生きるというのはどういうことなのか、についての戯曲であり、自分たちの問題なので上演した、ということだった。チェーホフなのに、ロシアも19世紀も関係なくて、恋愛と芸術がとにかくフィーチャーされている。

様式的なことをいうと、スタジオ型(舞台面が床面とフラット)の劇場の、周りの壁沿いに、それぞれの登場人物の「家」のスペースがあり、シーンを演じるときはそれぞれそこから中央のエリアに出てきて演じる。出演していないときは、自分の家にいる(基本的には、その登場人物として、居る)。シーンによっては、「コースチャとソーリンの会話」や「メドヴェージェンコとマーシャの会話」の台詞を、全員で(部分、部分を担当して)しゃべったりもする。他にも、俳優としての自分本人、として台詞を言う場合もある。そういう、夢のような、妄想のような、作品。ジャンカルロさんは、
「私はいちいち説明はしないが、舞台上で行うことには、必ず、意味がある。どっちでもよくていい加減にやっていることは、一つもない」
と言っていた。

松田 弘子
2004年1月・記す

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12/01/2003(月)

顔合わせ。キャスト9人のうち、前回(2002年6月)のワークショップ公演に参加していない、新しい人が3人。といっても、花組の大井さんは『われらヒーロー』でご一緒したし、ク・ナウカの藤本くんは日本舞踊を同じ先生から習っているので、私にとって本当に「はじめまして」は東京オレンジの牧山さんだけだ。宮城さんからキャスティングの発表あり。前回、山田宏平さんが演じたコースチャは、今度は大井さんで、宏平さんはソーリン役とのこと。稽古開始は12月20日、稽古場使用可能時間は9時〜21時。稽古スケジュールは、まだ決まらない。


12/19/2003(金)

ジャンカルロさん、来日。21:15開始の歓迎会に、私は少し遅れて参加。ジャンカルロさんに会うのは、2002年秋の『東京ノート』ローマ公演以来。さっぱりした髪型のせいか、前より若々しい感じだった。稽古時間は「1時から7時でどうですか」ということだったので、「できれば12時から6時にしてほしい。それだったら稽古が終わった後、演劇の公演を見に行ける」と提案。特に反対の人がなく、そのように決まる。


12/20/2003(土)

稽古初日。開始時刻の少し前に到着したら、大井さんや藤本くんたちが、ホウキやモップで稽古場の掃除をしていた。

まずは新メンバー3人に、「動物になって自己紹介をする」という、去年ワークショップでやった内容をやってもらうことになる。私の説明がまずくて、「自分は、動物に例えるとしたらなんの動物であるか」というのが出発点にあることを最初伝えられていなくて、とにかく何かの動物になって自己紹介すればいいと思っちゃった人がいて、途中で方向修正してもらうようなことになってしまった。みんなすごく緊張してハイテンションになっているのが、見ていてわかった。そうだよね、ワークショップ発表会とはいえすでに1回公演を経験している人たちの中で、自分はきょう初めて参加、なんだもん、そりゃ、緊張するよね。

発表の後、「全員で動物になって一つのシーンを作る」とか、輪になって目をつぶって声を出し、聞こえてくる音に合わせて自分の出す声を変化させていく、ある動作を人から受け取って真似をする、などのウォームアップ。

その後、『かもめ』上演台本を全編通して読む。1幕、2幕はまずは昨年やったとおりにやり、それから、3幕、4幕を作る。それでまだ時間的に余裕があれば、なにか足したりして、「木が成長するように、どう成長するかみてみる」とのこと。3幕のマーシャとトリゴーリンのシーンは、前からやりたかったところで、「やっとやれた!」という充実感があった。

前回と同じく、舞台の周囲に各登場人物の「陣地」というか「家」があるという舞台の作りになるそうで、去年陣地に置いていた小道具等を、早く持ってくるように、と演出から指示あり。もちろん、去年とちがう陣地にしてもかまわないとのこと。

「はじめまして」の牧山さんと、きょう、はじめて話した。


12/21/2003(日)

陣地に置く物や、よーこが使うインラインスケートを持っていったので、大荷物。でもまだ陣地作りを始める人が他にいなくて、ちょっとはずかしいので、下に敷く布だけ敷いて、あとのアイテムはきょうは出さずじまい。

まず、昨年の発表会のビデオを見る。出演はしていたけれど(ので?)、外から全体的に見るのははじめてだった。メチャクチャさ加減が、小気味いい。そして、トリゴーリン(三村さん)が、かっこいい! こんなにステキだったのか……。

次に、ジャンカルロさんから、現代にチェーホフをやる意味は何か、どういうふうに取り組むのがいいのか、『かもめ』でチェーホフは何を描き、ジャンカルロさんは何を描こうとしたのか、というようなレクチャーあり。

続いて、立ち稽古に入る。動物→俳句→紙のオーケストラ(みんなで気配をさぐりながら紙(昨年はA4の色画用紙を横位置に綴じたものを使った)をめくっていく)。俳句は、私は自作の「朝顔の咲いているうちに起きた」にしてみた。稽古場の中央に柱があり、「紙のオーケストラ」は、それを囲んでやることになった。「(柱は)ないものとしてやってください」と言うが、センターをずらしてお互いの顔が見える位置でやったほうがいいように思い、そのように提案したが、ジャンカルロさんとしては劇場入りしてから1日で本番を迎えなければいけないというのに相当不安があるらしく、「劇場に入ってから時間がないので、この稽古場で完璧にしておく必要がある(だから、予定通り中央でやる)」とのことだった。真正面の一人が見えないだけで、その他の人たちはだいたい視界に入るので、まぁ、こういうのもありだろうなと思ってやった。一応そこまでの予定だったけど、演出がとめなければみんな先へ先へと進めていくので、「回廊で踊る」のところまで進んでしまった。

稽古のあと、俳優同士で、回廊シーンの台詞の割り振りを確認して、終了。

左手首を痛めて、いま治療に通っている。冒頭の逆立ちは、本番までにできるようになるだろうか。少し、不安。


12/22/2003(月)

青年団『東京ノート』の稽古が朝10時からあった。2時前に終了し、森下に向かう。3時稽古場着。きょうは4幕を作っていたそうで、いきなり、「ここに立って2歩下がってターンしてあっちの端まで走る……」等の動きを説明され(全員でやるシーン)、訳のわからないまま皆と一緒に動く。その後、メドヴェージェンコがマーシャを嵐の中で追いかける、というシークエンスをやる。「本番の舞台に立っていて、自分だけ台詞も動きも、なんの芝居なのかも、わかっていない」という悪夢(夜寝ていて見るやつ)に、少し似ていた。

稽古の後、公演会場のスフィアメックスの下見に行く。「ここにそういう物/機構があるんだったら、それを使ってこういうことをしたい」という意見が、ジャンカルロさんから次々出てくる。ヨーロッパの人って、どうも、ダメもとでとにかく思いついたことを言ってみるところがあると思う。そういうつもりで付き合っていればパニックはしないけれど、日本人は最初やっぱりちょっとビックリすると思う。


12/23/2003(火)

きのうの下見を経て、各人の「陣地」の場所が決まる。長方形の劇場スペースの、一方の短辺はイリーナ、逆側は、年寄り二人(ドールン、ソーリン)、長辺はイリーナの右から、トリゴーリン、ニーナ、メドヴェージェンコ、その向かいが、コースチャ、ニーナ、マーシャ。

3幕を稽古する。イリーナとコースチャ、マーシャとトリゴーリン、イリーナとトリゴーリン、という2人のシーンが続く。出ている2人以外は、見ていても見ていなくてもかまわないとのことで、自分の陣地や廊下で、台詞入れをしていた。

マーシャとトリゴーリンのシーンで、マーシャは、「もうコースチャへの恋はあきらめて、メドヴェージェンコと結婚する」ということをトリゴーリンに語る。割と鬱々と、間もとりながらやってみたら、ジャンカルロさんから、
「マーシャが不幸な子なのはもうわかっているので、それは、やって見せなくてもいい。このシーンは、『あきらめ』ではなく、自分の決心、決心したという興奮、でもまだコースチャを愛しているということ。そういうことを出すシーンである」
と言われた。マーシャが水を運んでいるシーンにしたいそうだ。日本料理の店の外に、陶器の壺のようなものが置いてあるがあれは、何か。形がきれいなので、それを使いたい、とジャンカルロさん。


12/24/2003(水)

きょうも、3幕。きのう宏平さんがお休みだったのでできなかった、3幕の最初の、ソーリンとイリーナの2人のシーンから。途中でとめて演出をつけながら、「ソーリンとイリーナ」→「コースチャとイリーナ」→「イリーナとトリゴーリン」→「トリゴーリンとマーシャ」まで。私は、自分なりにシーンの組み立てというか、テンションの上げていき方みたいなのが、少しできてきたように思ったのだけど、ジャンカルロさんは、
「繰り返しやっていきましょう」
と言っただけ。ダメだったのか?

桜内さん、たきいさんの出演している、ク・ナウカの『マクベス』のゲネプロ(?)をみんなで見に行く。その後稽古を再開する予定だったんだけど、
「きょうは俳優も揃っていないので、明日、全員揃ったところで1幕からやりましょう。いまそんなにあせって稽古する必要もない」
というジャンカルロさんの言葉で、解散となる。

道を歩いているときに判明したんだけれど、きのうジャンカルロさんが言っていた「日本料理店にある壺」は、私がそうじゃないかと思っていたとおり、中華料理店でお酒を入れている壺だった。こんなの重くて持てないよ!

そのシーンの「水」について、ジャンカルロさんは、最初透明で、だんだん赤くなっていって、最後は血のように真っ赤になるようにしたい、と言う。

マーシャの家について。私は、ピンクの部屋にしたいと思っている。ついては、いま使っている、段ボールで作った3段ボックスに、ピンク系のきれいなクラフトテープを貼りたい。と思って探したが、イメージどおりの物が見つからず、でも、ピンクの洋服掛けと小さな卓袱台、半透明の白にピンクやオレンジの丸が散らしてあるコップを見つけ、購入。


12/25/2003(木)

3日ぶりで、キャストが全員揃った。冒頭から3幕終わりまで稽古。

1幕のラスト近くに、ドールンとマーシャの2人のシーンがあり、きょう、初めて立ち稽古をした。前回は、ドールンは、花組の水下さんが演じていた。今回は、牧山さんだ。

台詞は、前回同様俳優が各自言いやすいように直していいことになっている。私は、前回自分がどう変えたか記録を取っていたので、最初はそのとおりにやってみていたんだけど、やっぱり、相手がちがうと微妙に感じがちがうみたいで、牧山さんとのシーンも、宏平さん(ソーリン)とのシーンも、去年と少しちがう言葉遣いになっている。

もし、台詞を直してもらいたいところがあれば、言ってくれれば直します、と、キャストみんなに対して平田オリザから申し出があり、私は、2幕のアタマの
「私なんて、もうずっと昔から生きてるような気分です。着物の裾を引きずるみたいに、自分の人生を後ろに長くずるずる引きずって歩いてる気がします。……生きようなんて気持ちがぜんぜんなくなることだってしょっちゅうです。」
の部分をお願いする。これはすでに私が変更した結果なんだけれど、まだどうもしっくりこない感じがしている。もともとの神西清訳は、
「わたしは、こんな気がしますの――まるで自分が、もうずっと昔から生れているみたいな。お儀式用のあの長ったらしいスカートよろしく、自分の生活をずるずる引きずってるみたいな気がね。……生きようなんて気持が、てんでなくなることだってよくありますわ。」


12/26/2003(金)

3幕、4幕。

3幕では、「ソーリンとイリーナ」のシーンのとき、他の人たちは、「旅立ち」のシークエンスを演じることになった。それぞれの陣地から出て通路を歩き回り、歩く・汽車を待つ・別れの挨拶をする・待ち合わせて出掛ける、等を即興でやる。

4幕冒頭の嵐のシーンは、私は走ったり叫んだり大騒ぎだ。そこを2回やったあと、コースチャとトリゴーリンが「二人のコースチャ」となって二人のニーナと台詞を交わす部分(ここは、他の人たちは上半身だけ静かに、スローモーションで動かす)をやったら、動きが少ないので立っていて眠くなって困った。夜更かしは、しちゃダメだね。ラストは、皆は軽い調子でビンゴを楽しんでいるけれど、マーシャだけが前のシーンの「悲しみ」を引きずっているんだそうで、大きな悲痛な声で、ビンゴの番号を次々と告げていく。台詞に書いてあるよりもたくさん数字を言えという指示がきたので、間に、21、19、61、8、2、64、12、29、38、42を挟む。自分にとって意味のある数字なので、まちがって同じ数字を2回言ったりしてしまう心配がない。

ラストまでやって、「もう一回やりたい」とナンニさんが言うので、いまやった4幕のことかと思ったら、冒頭からだった。時間がなく、1場の終わりまで。牧山さんが早退して、ドールン不在。演出助手の大野さんが台詞を飛ばしてくれたけれど、マーシャとドールンの2人のシーンは、やっぱ相手がいないと少しやりにくかった。


12/28/2003(日)

衣裳の打ち合わせがあるから前回の衣裳を持ってくるように、とのことだったので、持っていったんだけど、衣裳の小山さんがすでにデザイン画を用意してきていて、それを見せていただいた。マーシャは、戯曲にも書いてあるとおり、黒い服なんだけど、
「そうは言っても、『私を見てほしい』という気持ちがあると思うんです」
それがチュールになって、スカートの裾から出ている、というデザインだった。ステキな衣裳なのも嬉しかったし、普段だいたい自分で衣裳を探したり作ったりしてるので、他の人のセンスと技術で衣裳を用意してもらえるということ自体、私には目新しく、嬉しかった。

打ち合わせ(衣裳、道具等)の後、初通し。そして、長いダメ出し。


12/29/2003(月)

平田オリザから、台詞の直しが返ってきた。オリザ、ありがとう!

冒頭から細かく作り始める。3幕の、イリーナ・トリゴーリンまでで、きょうは終了。

雑談しているときに、牧山さんが、1幕のマーシャとドールンのシーンについて、
「マーシャがなんで急に怒るのか、わからない」
と言う。前回、私もわからなかった。そんときの記録「『かもめ』の台詞」に、以下のように書いてある。

このシーンをやってみる前、ドールンと私に、ナンニさんはシーンの説明をした。ここでマーシャが走っていってドールンを押す。ドールンがマーシャを突き飛ばす、等々。マーシャがいきなりおこるので、私は最初びっくりした。自分自身若いのに絶望してるから「あぁ、年さえ若ければなぁ〜」って言う人のことが許せないんだろうなと思ったら、方針が立ってきた。

そんなことを、牧山さんに、説明してみた。

開幕時に、1人1句ずつ俳句を言うんだけど、いま私が使ってる、自作の句がどうもピリッとしないので、ネットで俳句を探した。
 海側に席とれどただ冬の海 正木浩一
というのが、気に入った。明日使ってみよう。


12/30/2003(火)

毎日だれか遅刻してくるので、12時開始といっても時間通りに始まらない。きょうは、待っているうちにだれからともなく「回廊」のシーンを練習し始め、じゃぁみんなで合わせましょう、となっていった。音楽に合わせて動きながら台詞を言うこのシーンは、たしかに何回も練習しないとうまくいきにくい。ナンニさんも、見ていて、動きが早すぎるゆっくり、とか指示を出してくる(ジェスチャーで)。

全員揃ったところで、冒頭から。私は、きのうの続き(マーシャとトリゴーリンのシーン)からやるかと思っていたので、ちょっと面食らう。が、たしかにきのうのダメ出しの確認等ができて、よかった。気がつくと、最後まで通していた。3時半。

きょうはこれでおしまい、ダメ出しもなし、お休み中は何も考えず、新年からまたやりましょう、3幕、4幕を何度も繰り返しましょう(1、2幕は昨年ワークショップ公演をしたので、ある程度完成している)とのこと。ジャンカルロさんから「お年賀」のお菓子をいただく。掃除をして、解散。

 希望も絶望も、きみの中に、ある。
という、ハシモトケンさんの掲示板で見つけたレオーネさんの言葉が、コツンと私の心をたたいた。これは、俳句といえないだろうか。


12/31/2003(水)

家で回廊のダンスの練習をしていたら、
「顔は笑っているのに、眉間にしわが寄っている」
と言われた。いっぱいいっぱいなのである。リズム感、ないからなぁ。音楽、苦手分野だからなぁ。緊張するとますますうまくいかない。慣れるしかない。

前回も、台詞を直すとき参照した、チェーホフの英語版へのリンクを、また探し出す。


01/03/2004(土)

年末年始の3日間の休みが終わり、きょうから稽古再開。休みの間に、マーシャの部屋に敷くキルトを作った。ピーシングもキルティングもミシンでやった。しつけをかけずにガンガン縫ったので、裏地がしわが寄ったりしているところがある。縁の始末は、ジグザグミシン! (こういうてきとーな作り方でなければ、3日間ではとてもできあがらない。)陣地に敷いてみると、こういうふうにしたいと思っていたとおりの、甘すぎるくらいのふわふわしたピンクの空間が出現した。

稽古の最初は、回廊のダンス(?)。ジャンカルロさんも、他のスタッフも加わって、みんなで。ウォームアップみたいに。

その後、どういう順番で稽古したか思い出せないけど、3幕と4幕をやった。

3幕の「旅のシークエンス」は、いままで、さよならと手を振ったりするのは、架空の相手に向かってやっていたんだけど、それだけではなく、回廊を歩いている他の登場人物たちとも、自分の演じている登場人物として、反応をとりあう(つまり、別々の異空間にいるわけではない)という指示が出る。そして、私がコースチャの陣地の前を通るときに、コースチャを見る、コースチャもマーシャを見る、ということになった。

「マーシャ、トリゴーリン」シーンの終わりの、みんなでバケツ(いまは、ゴミ容器の缶と、段ボールで作ってもらったニセバケツを使っている)を振り回すあたりの段取りが、だいぶ整理された。また、その直前のマーシャの台詞に追加があった(イタリア語台本にあって、日本語になかった分)。

4幕の冒頭の、嵐のシーンは、旗を使うことになり、そこもきょう稽古した。

バケツのあたり、他の俳優は私の台詞できっかけをとって動くことになるので、連絡用のメーリングリストに以下のようなメールを流した。

松田です。おもにキャストの皆さんへ、

3幕の、皆さんが立ったりバケツを持ったりするきっかけとなる、松田(マーシ
ャ)の台詞(P.25ラストら辺)ですが、稽古場で追加が入ったり、私自身けっこう
言葉を変えたりしてますので、きっかけをとる参考にしていただければと思い、
「現在このように言っています」という台詞を以下にお知らせいたします。まだ
もう少し変わるかもしれませんが。


嫉妬のせいですよ。でも、もう私には関係ない。……私のあの先生は、たいして
お利口さんじゃないけれど、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにとても私を
愛してくれるの。かわいそうな人。……ご本が出たらきっと送ってくださいね。
一言添えて。でも、「わが敬愛するマーシャへ」なんて書かないでくださいね。
ただ、「身元も不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマーシャへ」って、
そう書いてくださいね。……望みなき恋なんて、小説の中だけよ。心に恋が芽を
出したら、摘んで捨てる、それだけのことよ。私、決心したんです。この恋をこ
こから引っこ抜いてしまおうって。決心した。根っこから、一思いに。根っこか
ら、一思いに。
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  マチコ / 松田弘子
  Hiroko Matsuda

01/04/2004(日)

きょうも回廊のダンスをやった後、再度、3幕冒頭から稽古。イリーナ・トリゴーリンの終わり近くまで。この後の、皆がバケツを回廊に置く段取り(まだ一度もやってみてない)が私は気に掛かっているのだけれど、そこまでは行かず。そして、通し。

左手首が痛いので用心していままでやらないでいた、冒頭の逆立ちを、きょうからやることにした。腕よりも、踏み切りの左足がぐにっとなってまず失敗。3回ほどトライしてなんとか成功。

久しぶりの1幕、2幕は、それでもなんとかするする進む。「マーシャをなぐさめる会」の後の、イリーナに説教(?)されるあたりできょうはもう本当に人生に絶望した感じになって涙が出てきたので、そのまま泣きながらやっていたら、その後ドールンの家でみんなで集まったときによーこから、ホントに泣いててびっくりしたよと言われた。

実生活でも、子供の頃よく思ってたんだけど、悲しいせつない気持ちというのの目盛りが100になったときに涙が出るとして、97くらいのときだって、主観的にはほとんど同じくらいに悲しくせつない。だけど、涙が流れるか流れないかで、人の反応はおどろくほどちがう。泣いた途端に優しくされるので、ぎりぎり泣かないでいるときのほうがつらいくらいだ。そういう、子供のときの気持ちを、ちょっと思い出した。

それと、泣くとか笑うとかって、「筋肉」や「呼吸」の部分も大きいと思う。「笑うから楽しくなる」、「泣くから悲しくなる」みたいな。

通しの話に戻って。4幕冒頭のメドヴェージェンコとのやりとりは、台詞にミスがあり、ちょっとうまくいかなかった。残念。嵐の中で走りながら叫ぶ。これは、叫ぶばっかになっても、きっといけないし、でも必死で叫ばなきゃやっぱそれもダメなんだと思う。いいバランスを探していきたい。

ダメ出しでは、全体的に、3幕がテンポが遅かったと言われた。1幕や2幕とはがらっとかわって、感情をコントロールしようとしてもできないシーンだから、気持ちを中に飲み込まないで、外に出してほしい。感情が力強くあふれ出すので、考えている(間をとっている)余裕はない。ということ。登場人物の新しい面があらわれる。それに反応して、相手もかわっていく。3幕は、そういう部分だとのこと。

俳優の側から言えば、台詞も入ってきて、組み立てもだいたい考えられて、わりと自分の思っているとおりにやれたのに……、という感じだったと思う。それが、妙な余裕につながったのかもしれない。
「チェーホフも、僕も、『うまい役者』を見せたいわけではない」
とジャンカルロさんは言った。それと、ここで限界近くまでテンポもテンションもあげないと、
「なにが大きな問題で、なにが取るに足りないことなのか、わからなくなってしまう」
とのことだった。


01/05/2004(月)

私は、翻訳の仕事の締切があって、30分遅刻。部屋のものは、新たに、絵(クリムトの「キス」)と、洋服掛けに掛ける、花柄の服を追加。

回廊の稽古の後、通し。通しの前に、キアラさんが、
「『もっと若かったら』と言うときに、笑ったような顔にならないようにしてください。苦悩していることがわかるようにしてください」
と、ジャンカルロさんの指示を伝えに来てくれた。それで話してて、「コースチャを愛してる」と言ったあとで、マーシャがなぜ笑うのか、ジャンカルロさんが不思議がっているという話が出てビックリ。私としては、一昨年のワークショップのときジャンカルロさんから、まず笑って、それから泣くという指示があったからやっていたので、じゃぁ、やめる、と言ってきょうの通しから笑うのをやめた。

1幕、ドールンに突き飛ばされるところでうまく転べなくてちょっと立ったままになってしまった。1幕ラストは、なぐさめられると、逆に涙が出てきた。2幕も泣いちゃった。3幕、みなテンポアップ、テンションアップしていて、負けないぞーと思ったけれど、私はあまりうまくできなかったと思う。

きょうはだいたいよかったが、直したいところがいくつかあるとのことで、返し稽古は、湖の向こう岸から歌声が聞こえてくるあたりをやった。3幕のマーシャとトリゴーリンのシーンについては、
「マエストロ(=先生、つまりメドヴェージェンコ)の前に来たときに、トリゴーリンに気づいてください」
ということに、きっかけが決まった。それと、このシーン、トリゴーリン=回廊、マーシャ=中央のエリア、と、居る場所がはっきり分かれることになった。いままで主にトリゴーリンにも観客にも背を向けていたわけだけど、もっと正面から向かい合う形になる。

年末から翻訳の仕事で、かもめの忘年会にも出席できなかった。やっと一段落したので、きょうは「飲みに行こうよ」と誘って、数人で蕎麦屋で飲んだ。


01/06/2004(火)

部屋に、本を2冊追加。おもにカバーの色で選んだ、森茉莉の『甘い蜜の部屋』と、マザーグースの本。

きのうのダメ出しで変えるといっていたところを、返し稽古。まずは、体操(トリゴーリンが芸術について長く語る)のところ。それから、コースチャ・ニーナ・トリゴーリンのとこ。

2幕の終わりら辺もやった。マーシャがニーナに、コースチャの戯曲を読んでみてくれと言う。ニーナがちょっと読んで「つまらないのよ」と言う。マーシャが、「そんなことない」と否定し(もともとの台本にはない台詞だが、一昨年のワークショップのとき、ここは強く出てくれと言われ、「それじゃぁ否定の言葉をアタマにつけさせてくれ」、「OK」となった部分)コースチャが自分で朗読するとどんなにすばらしいかをニーナに言う――というところ。この、最後の部分、いままではニーナ一人に向かって言っていたんだけど、きょうジャンカルロさんから、
「これは、マーシャが、はじめて皆の前で、コースチャを褒め称えるところだ。周りの人たちに向かって、言ってください」
と指示がある。他の人たちも、この台詞の間は、とまって聞くことになった。そうやって、コースチャはすごい、とマーシャが言っても、周りの人は何も変わらない。ここらあたり(2幕の終わりの、回廊を歩き回るシーン)は、元々絶望的な気分になるシーンなんだけど、きょうこのように段取りが変わって、さらに絶望的な気分になった。その後の、ドールンをひっぱたくところが、いままでなかなかうまくできないでいたんだけど、牧山さんから、
「前に来て、とまってからたたけばいいんじゃないの?」
と言われ、そうしてみたら、うまくいった。あぁ、いままで歩きながらあせってたたいてたからうまくいかなかったのか。牧山さん、ありがとう!

後、旅のシークエンスも返し稽古をし、それから、通し。逆立ちは、また1度失敗してしまった。マーシャ・ドールンは、ドールンの顔も少し見ながらやってみた。その後のなくところは、「とうとう言った、と相手の反応をうかがう→泣き始める→大泣き」という組み立てがだんだんできてきた。

どうもきょうは全体に感情がめちゃくちゃ揺さぶられて、1幕のラストの「マーシャをなぐさめる会」でも、そのあとイリーナに諭されてるときも、泣けて泣けてしかたなかった。次の、観客に話しかけるときにはもうあきらめみたいになって落ち着いてくるんだけど。そして体操をはさんで、回廊をぐるぐる歩くシーンが、また絶望的な気分をあおる。マーシャがコースチャを弁護し、讃えても、なにも変わらない。あれが、ほんとうに、まいる。メドヴェージェンコを拒否して自分の陣地に帰ってきたあたりから、涙が出てしかたなかった。ドールンをひっぱたいた後は走って帰ってきた。3幕になって、荷造りも泣きながらだった。情緒的すぎるんじゃないかと、少し心配。まぁ、抑えるのはいつでもできるから、いまはいくとこまでやってみちゃえ、という感じではある。旅に出てコースチャの前を通るときも、すごく見つめてしまった。途中から大井さんが、もう意識が私のほうを見ていなかった。当然だよな、当然ああいうふうに無視するよなぁ、と共感を覚えた。やだよ、こんなに思いつめた人なんて。

マーシャ・トリゴーリンは、だいたい間なしでガンガンのぼっていけたと思う。場面稽古のときには、「コースチャのことをあきらめて、メドヴェージェンコと結婚するぞ」という決心をする時間というのをとっていたけど、作品の流れ的にいえばそれは直前のトリゴーリン・イリーナのシーンのときに自分の陣地でやっていることになるので、シーンの頭はもう、すぐ、バケツの動作に入っていいようだった。4幕は、旗が口に入ったり、棒にからんだりして、きれいに流れなかった。あす自主練しよう。

ジャンカルロさんから、全体的に、構成はだいたいいまのでいいので、あすから人物をもっと掘り下げていきたい、というような話があった。4幕で私はレインコートを着るんだけど、ラストの前に脱ぎたいがいいか、と聞いたら、レインコート自体使わないかもしれない、という返事が返ってきた。

「開幕時は、皆、同じような色味のシンプルな服装をしていて、途中で衣裳に着替える」
というプランになっている。その開幕時の衣裳は、「上半身は赤錆色、下半身は黒」とジャンカルロさんが言っているそうで、きょう帰りに赤錆色のトップをさがしてみたけれど、なかなかない。赤かグレーのTシャツを買って、染めるしかないかもしれない。

当日パンフレット用のコメントを作成し、制作の田中さんにメールで送った。

このコメントがなかなか書けなくて、22歳のときの日記を出してきて読んでみた(マーシャが22歳なので)。人を好きになって、喜んだり、こんなにはしゃいでいて自分一人のカンチガイだったらどうしようと不安になったりしている22歳の私は、たしかに私ではあるけれど、だれかぜんぜん別の、知らない人のようでもあった。あと、結婚についてこんなことを書いていた。「きょうは○○ちゃんの結婚式だったはず。結婚か……。どうしてするのかなぁ。安心できるから?――帰ってくところができてさ。それならただ一緒に住むだけでいいでしょ。結婚て、ちょっとやそっとじゃ気がかわらないという約束ってわけかな。人間て弱いから、約束が要るんだろうな」

01/07/2004(水)

手持ちの服の中に、赤錆色のブラウス発見! これが使えるといいのだが。

きょうは、段取りの確認をしながら、途中を抜いて稽古していった。いままでの稽古の中で、自分の中に疑問がたまっていた人もあったみたいで、きょういろいろ確認できてすっきりしたようだった。段取り確認なので、感情を込めたり間を取ったりしなくていい、ということだったけれど、そういう稽古はやり慣れていないのか、わりと皆「本テンション」で全部やっていた。

冒頭の、「紙のオーケストラ」に関して、三村さんから(きのう宏平さんと二人で話したそうだ)、
「アクションを仕掛ける人が、決まってきてしまっている。もっと、だれが何を仕掛けるかわからない状態にしませんか」
と提案があった。あぁ、三村さんにはそういうふうに見えているのか、と興味深かった。

全員が輪になってお互いの気配を感じあい、本のページをめくっていくというこのシーンは、たしかにいままであんまりうまくいっていない。私は、ここのルールは、「他の人が自分より進んでいたら、それに合わせる」だと思っているので、自分が膝に手を置いているとき、見回してすでに本に手を掛けている人がいたら、自分も本に手を掛ける。そういうふうにしている。つまり、他人が全然動いてない場合でも自分のアクションのきっかけは、あるわけだ。でもきっと、三村さんは、「だれかがアクションを起こしたら、それに従う」というルールだと理解してる。だから、自分が従うべきアクションのきっかけが、私よりも少ないし、はっきりした能動的な形で動きを提示する人だけしか、「仕掛け」ている人と認識されていない。私みたいな理解の人と、三村さんみたいな理解の人と、観察した感じどうも2通りの人がいるようで、それがうまくいかない原因だろう、どうにかしてそれを説明することはできないだろうか、と私も考えてはいたのである。

でも、私は、具体的な説明や提案まで持っていけなかった。三村さんの提案の後、そのシーンをみんなでやってみたら、たしかに、格段によくなった。俳優同士で提案したり、意見を言い合ったり、というの、青年団(見え方は演出家にすべて任せている)ではしないから、まだ私にはなかなかうまくできない。そういうコミュニケーション能力も、今後身につけていきたい。

段取り確認だろうが抜き稽古だろうが、2幕のドールンをたたく前後は、稽古するたびにマーシャのものすごい絶望にとらわれる。音楽が掛かるせいかなぁ? 「マーシャの絶望」とか言ってみるけれど、それでなんか涙まで出てきたりはするわけだけど、でも自分の陣地で座って、涙が出てても出てなくても手でぬぐう動作はしたり、泣いて浅くなった呼吸をシミュレートしたりしている自分は、ただ感情に押し流されているわけでもないんだろうなぁと思う。

ビンタが「だんだん掌底になってきている」(つまり、本気で、痛い)と牧山さんに注意された。

きょうは、通しは、なし。


01/08/2004(木)

稽古休み。マーシャの部屋のクッションを作る。といっても、ピンクのサテンを長方形の袋に縫って、半端なキルト芯を詰めて、リボンできゅーっと結んだだけ。なかなか少女趣味なクッションができた。


01/09/2004(金)

衣裳のできてくる予定の日。私の分は間に合わず。

暇だったので、マイムの、その場で歩くやつの練習をなんとなく(なんの意味も目的もなく)やっていたら、三村さんがものすごくうまくやってみせて、なんだか盛り上がってみんなでやってみていたら(だって、山の手事情社や東京オレンジの得意技だ)、その動きを旅のシーンで使おうとジャンカルロさんが言って、じゃぁ一回やってみましょうと言ってやってみてそのまま採用となる。私が遊んでたばっかりに、苦手な「鍛えた肉体」系の動きが取り入れられてしまって、あらあらまぁまぁだ。でもおもしろいけど。

その後、バケツ、嵐からラスト、の段取り確認。嵐は、2つめの台詞(だあれもいない。コースチャはどこ)を忘れがちだ。気をつけよう。そして、通し稽古。

後のダメ出しで、私は、2幕のケ・セラセラ前後にあらたに演出がつき、私は歌は歌わないで、手に持った花(「マーシャを励ます会」でもらったもの)を見たりものを考えたりするということになった。そういうことならその次の、観客に直接話しかける台詞は、いままで、「イリーナたちに話しかけるが、だれも聞いてくれないので、途中から観客に向かって話す」というふうにしていたんだけれど、もう最初から観客に話しかけることにしたい、と言って、採用になる。

一昨年のワークショップ公演のときには、1幕ラストの「マーシャを励ます会」で励まされ、2幕冒頭でもなんか皆になぐさめられて、それ以降は回廊を歩き回るシーンの前までは安らかな明るい気持ちになっていたんだけど、今回は最後まで絶望しっぱなしで気分の晴れる間がない。

他に私が言われたことは、「旅のシークエンス」のときにもう少し速く動くこと。ラストの、天を見上げて回転するところは逆にいまよりもゆっくり。これは、答えをさがして、問いかけているんだ、とジャンカルロさんがやってみせる。なるほど。なるほどね。

全体に対してのダメ出しとしては、「タイミングや技術は完璧。あとは、もっと自分の役を生きてください」とのことだった。

一日の稽古が終わると、ぐったりする。マーシャの絶望のせいだと思う。


01/10/2004(土)

稽古は、通し稽古のみ。きょうはダメ出しもなかった。

稽古の後、ジャンカルロさんやク・ナウカの人たちと、こまばアゴラ劇場でテアトロフィーア(カナリア諸島の劇団)の公演を見る。「サイレント・クラウン」だと本人たちは言っているそうで、たしかに言葉は使わないんだけど、音自体はたくさん使ってるから、「サイレント」ではなかった。カフェのテーブルが、バスのハンドルに変わり、さっきまでウェイターとカフェの客だったのが、運転手と乗客に変わる。そうやって、状況も関係も、変わっていく。そんな2時間。その中で、「ボクと、もっと、バスごっこをして遊ぼうよ」と相手に訴える、泣き真似の顔を見て、私がやってるのもこれと同じなんだ、泣き真似なんだ、と思ったら、1つふっきれたような気持ちになった。いままで、2幕の「私は前向きに人生を生きていない」と客席に直接話しかける部分について、「泣いてもいないのに泣き顔で泣き声で、至近距離から話しかけて、ウソくさくないんだろうか」とずっと疑問に思っていたんだけど、あれは、ああいうふうにやってきっと大丈夫なんだ。テアトロフィーア、ありがとう!

夜、自分の台詞のうち、言葉を変えているものを、ノートに書き出してみた。


01/11/2004(日)

劇場入り後のスケジュール確認等で、アップの時間があまりとれないまま、通し稽古。マーシャ・ドールン(1幕)、マーシャ・トリゴーリン(3幕)は、それぞれ少し台詞を変えてみたのだが、おおむねうまくいった。4幕で旗が棒から抜けてしまったのが残念だった。ベルクロでとめてみることにする。

雑談してたときに、本当に笑っているときとお芝居で笑っているときと同じですね、と桜内さんに驚かれた。私の考えでは、「笑う」とか「泣く」というのは、純粋に身体的な運動というか形というか、そういう物である部分が大きくて、だから、原因があろうが、形から入ろうが、同じ結果に行き着くんだろうと思っている。

1幕でマーシャが急に怒るのがわからない、と前に牧山さんが言っていた件だけど、そこがわかりにくい原因の一つは、「マーシャは若い」ということがはっきりしないからではないかと、思い至る。ドールンは55歳、マーシャは22歳、とわかっていれば、「あんたたちはなにかというと『もっと若かったら』って言うのね、うんざりよ」という若いマーシャの気持ちは、もっとわかりやすいはずだ。外見でそれをわからせることは(今回のテキスト、キャスト、演出では)むずかしいと思うので、台詞で説明する作戦に出ることにする。

開幕時のシンプルで赤錆色の服というのはさがすのがむずかしいという声が、俳優陣から出た。じゃぁ、黒で、とあっさり変更になる。じゃ、ワークショップ発表会のときの衣裳(黒の七分袖のプルオーバーと、ハーフパンツ)にしよう、私は。

マーシャの部屋の段ボールボックスをピンクにするため、ピンク系クラフトテープを求めて、ホームセンターへ。収穫なし。でも、いろんな壁紙やら塗料やら接着剤やらを見ていたら、
「布を、木工用ボンドで貼りつければいいのではないか」
ということに思い至り、作戦変更。


01/12/2004(月)

青年団の人たちで、本番が重なっていて公演に来れない人など、何人か見学者あり。

マーシャの衣裳ができてきた。コスプレのように可愛い! そして、ぴったりで、動きやすくて、酒ビンを入れるポッケの大きさもちょうどよく、衣裳の方に作っていただく衣裳というのはさすがにいいものだなぁと思う。

きのう変えた3幕の台詞が、身体になじんできた感じだった。ダメ出しでは、でも、そのシーンが声のボリュームを上げすぎなので、もう少しだけおさえるように言われた。4幕と差がなくなってしまうとのこと。3幕のマーシャは、絶望というよりも、まず最初は怒りで、それがさびしい、絶望の気持ちにかわっていく、ホントに大きな声を出すのはたぶん「この恋をここから引っこ抜いてしまおうって決心したんです」ら辺のみ、と言われた。

3幕のあのシーンは、怒鳴ってるだけになっちゃってるんじゃないかと不安になって、いままで2度ほどジャンカルロさんに、「大丈夫ですか? 怒鳴ってるだけじゃないですか?」と聞いて、「大丈夫、そんなことはない」ということだったんだけど、やっぱちょっと抑えたほうがいいんだ。ちょっと安心する。まぁ、でも、稽古をしている中で、だんだん声が大きくなっていった、ということもあるかもしれない。あと、4幕のスローモーションをもっとゆっくりやりなさいということも言われた。

通し稽古を見にきていた「地点」の人たちは、楽しんでくれたようで、にこにこしながら帰っていった。よかった。

通し稽古を見た志賀さんと、あとで話していて、
「マーシャの絶望は、身体に悪いんです」
と言ったら、
「そうだろうね。つきはなしたほうがいいよ」
と言われる。あと、大きな声を出すときにずいぶんのどに力がかかっているので声が割れてしまっているということも指摘された。そうだ、こんなことをしていたら、声をつぶしちゃう。気をつけないと。志賀さん、ありがとう。


01/13/2004(火)

劇場入りの日。9時仕込み開始だけど、キャストは11時入りでよいとのことで、11時入りにさせていただく。まずはロビーにて、マーシャの家具(段ボールの、3段ボックスのようなもの)の仕上げ。木工用ボンドで布を表面に貼った。その後、「家」のセッティングをする。

3時からテクリハの予定だったが、おして、夕方から始まる。夜、通し稽古をする予定だったので、本番を見られない青年団の人が2人ほど見にきたのだけれど、テクリハが終わらなくて、通し稽古はなくなってしまい、ちょっと申し訳なかった。しかたないけれど。

10時で俳優は解散。外で煙草を吸っているジャンカルロさんに挨拶すると、時間がない、照明を作るのには時間が当然かかるのに、6時間しか時間がない、できるだけのことはやるけれど、と、めずらしくいらついていた。
「あなたはたしかにたいへんだが、俳優のほうは、稽古場が劇場どおりではないこと、劇場に入ってから変更があるだろうということはわかって稽古していたので、私たちは大丈夫だから、それは心配しないでね」
と言って別れる。

よーこと二人の帰り道、よーこに「泣く」演技のコツを伝授。というほどのことでもないのだけれど、泣くときには、呼吸が浅くなる、つまり息ができなくなるので、一生懸命呼吸しようとするんだということ。それと、昔いた劇団で演出家から教わったことなんだけど、「泣く」というのは「泣くまい」とすることである、ということ。「泣こう、泣こう」と頑張っちゃダメで、泣いてしまわないように頑張るのが泣くってことだ、とまぁ、そういうこと。二人で、ヒーヒー呼吸しながら歩いた。変なの。


01/14/2004(水)

きのうのリハーサルが3幕の終わりまでしかできなかったので、「14日は、10時からその続きをやります」ということだった。10時ぎりぎりに劇場に着いたので、大急ぎで衣裳に着替えて、でもまだもう少し始まらなそうなので、コーヒーでもとロビーに出たところにジャンカルロさんが到着。
「なんでこんなに早くから用意しているのか」
「? 10時スタートでしょ」
「いや、1時だ。1時のゲネだけやってもらえばいいんだ」
「でも4幕まだやってませんよね」
「僕が一人でもうやった。みんなの分も」
ちょっとむちゃくちゃ。通訳でずっと付いてくれているキアラさんの話だと、ジャンカルロさんは、俳優が疲れすぎてしまわないか、ということをいつも心配しているそうだ。でもキャストとしては、ゲネの前には、段取りの確認を終わらせておきたい。3幕の終わりから4幕のテクリハ。バケツのシーンについて、
「トリゴーリンの椅子とカバンをはけて、バケツをセッティングするところまでは、『マチコさん』でやってください」
と言われる。はいはい、さっさとやって、その後ぐるっとバケツを見回すとこからマーシャになればいいんですね、と確認。

13時スタートでゲネ。1幕の、牧山さんに突き飛ばされるところで、牧山さんを待たずに自分から「突き飛ばされて」しまったので、まずかったな、と思っていたら、終わった後で大井さんが、
「自分で飛んだらもったいないよ。あれは、牧山くんにまかせないと」
と言ってきてくれた。ありがとう、大井さん!

きょうは朝から盛りだくさんのスケジュールだが、ゲネの後少し時間があって、私は自分の陣地で熟睡。その後、「寝起き」のぼんやりむっつりした顔を、いろんな人に見られてしまった。

19時開演で初日本番。の直前に、開場から開演までの段取りが変更になった。いままでは俳優がそれぞれの「動物」をやっているところにお客さまが入ってくることになっていたが、開場後最初は無音、7分後に音楽が入ったら「動物」をやり始める、ということに。動物の前はどうしていたらいいのか、という質問に対しては、
「リラックスして、ただ、居てください」
とのことだった。お客さんから話しかけられたら? 「挨拶すればいい」。なるほどね。なんとなくわかった。私は結局、お茶を飲みながら、観客を眺め、目があった人には笑いかけたり会釈したりしていた。話しかけてくる人があれば相手をする気でいたんだけど、やっぱりなんとなく話しかけたらいけないような雰囲気が全体にあるらしくて、目礼して去る、という感じの方が多かった。

初日の舞台は、「紙のオーケストラ」や「回廊のダンス」(登場人物というよりも俳優本人としてその場に存在するシーン)は、よい緊張感・高揚感があったけれど、「かもめ」の登場人物になってストーリーが展開していく部分は、みんなが本調子になるまで最初少し時間がかかったように思う。何か一つの完成形を求めてそれをめざして積み重ねていくというタイプの稽古のしかたではなかったので、一概に稽古不足とは言えないんだけれど、12月20日から始めて3週間でよくみんながんばったんだけど、あと1カ月あればなぁと思わなくもなかった。

終演後、ロビーにて初日乾杯。


01/15/2004(木)

5時集合。少し早めに、4時半くらいに行き、まず自分の家の復帰(私は、3幕の、「旅に出る」シークエンスのときに部屋を片づけてしまうので、毎回開演前にセッティングし直さないといけない)。7時の開演に向けて、ゆっくり身体や声や準備していこうと考えていたのだけれど、立ち位置等の変更があったり、4幕のみんなで走るところを練習したり、照明作業で劇場内の動き・発声が制限されたりで、自分のための時間がどんどん不足していき、「こんなはずではなかった」と、いらついてしまった。座組みによっていろんなことがちがう、ということはわかっているはずなのに、ときどきこうやって「こんなはずでは……」とショックを受けることがある。まぁ、ダメージはそれほど大きくはなかったけれどね。

お客さまが多く、客席エリアが増殖したため、開演前、座席に座ろうとして私の家の脇の自転車を倒しそうになったお客さまがあり、危なそうなのでその後は片手でハンドルを握ったまま「牛」をやっていた。

終演後、きのうよりよかったとジャンカルロさんから言われた。有志で飲みに行った席で、ジャンカルロさんが、
「彼(牧山さん)に、できる部分があれば明日から観客に直接話しかけてみてほしい、と言ってくれ」
と私に言う。うわ、酒場でダメ出しだ! 隣の席の牧山さんに、伝える。
「彼(三村さん)にも、そう言ってくれ」
三村さんにも、伝える。急に二人とも稽古場の顔になるので、「他人事」の私は、ちょっとおもしろかった。

たぶん明日の本番前に稽古とかはしないはずで、だから、いきなり本番でやってみてくれ、という指示なわけで、ちょっとビックリしたけど、これまでの信頼関係の中で言ってるわけだし、こういうやり方もあるんだろうな、と納得はいった。


01/16/2004(金)

4時半頃行く。部屋のセッティングをして、5時。集合して、掃除して、ミーティング。その後、有志で回廊の部分を2回ほど軽く練習。

きのうのような時間のなさはなかったけれど(行く前にご飯も食べたし)、やっぱりそれでもぎりぎり準備が間に合ったという感じ。

回廊ダンスは、お客さまものってくれた。このシーンは、客席に向かってめいっぱい微笑みかけるんだけど、絶対に目を合わせてくれない友がいて、終演後にどうしてよと聞いたら、
「目を合わせたら松田さんが緊張すると思って」
と言っていた。そっか、そういう気のつかい方をする人なんだ。


01/17/2004(土)

雪が降っている。きょうは、マチソワ。11時半に入る。昼公演に、10何年ぶりで会う友が来てくれて、終演後近所の喫茶店で話す。水、木、金と3日連続で終演後に飲んでたんだけど、きょうは、なんだか風邪っぽいし明日も早いので、夜公演の後、まっすぐ帰宅。


01/18/2004(日)

きょうも、11時半に入る。
「千秋楽おめでとうございます」
と挨拶する人がいる。そういえば、初日にも、「初日おめでとうございます」と言っていたっけ。普段そういう習慣のない現場がほとんどなので、ちょっとビックリする。そして、返事は「おめでとう」なのか「ありがとう」なのか、わかっていない。

2時開演で、最後の公演。私は、初日の緊張に、ちょっと似ていた。1幕で牧山さんに突き飛ばされて倒れるところで、初日も右手首をすりむいたんだけど、その、ちょうど同じところをまたすりむいてしまった。きょうは傷口がまっ赤で、恥ずかしかった。

終演後、バラシ。陣地の私物を大きな旅行カバン(友だちから「スピーカー」と言われている)に詰め、近所のコンビニから宅配便で出す。それから、打ち上げ。陣地に飾っていた小さな牛のぬいぐるみをジャンカルロさんにあげたら、
「くださいってお願いしようかと思ったんだけど、あれかなと思って……」
と言って、喜んでくれた。打ち上げと、2次会とで、いろんな人といろんな話をした。あなたのこういうところをこう思った、と相手に伝えたり、そう言ってくれてありがとうって感謝したり、そういうことを、照れたりちゃかしたりせずに言い合える、いい座組みでした。


付記:マーシャの台詞

いろいろと考えて作り出した、マーシャの台詞を以下に挙げます:

1.
もっと若かったら? 若かったら何? なんにもいいことないよ。なのに、みんなそう言うの。もっと若かったらって。他に言うことないの? もっと若かったら、もっと若かったら……。

ちょっと待って。

私、あなたにお話ししたいことがあるの。ちょっと、ね、ちょっと聞いてください。私ね、自分の父親が、好きじゃない。でも、あなたのことは、たよりに思ってるんです。なんでかな、わかんないけど、あなたのこと、ほんとに、親しい、なつかしい人のように思ってるんです。助けてほしいの、私を。お願い、助けてください。そうじゃないと、このままだと、私、きっとなにかバカなことをしちゃう。自分の人生をメチャメチャにしちゃう。

つらい。苦しい。だれもわかってくれない。私、コースチャを愛してる。

2.
[そんなこと言われたって]あの、私、なんだか、自分が、もうずっと昔から生きてるような気分なんです。着物の裾を、ずるずる引きずるみたいに、なんだか、ずるずる、自分の人生を、後ろに長く引きずって歩いているような気がする。前向きに生きようなんて気が、もうぜんぜんしなくなることもしょっちゅうなんです。

3.
言葉、言葉、言葉……。あなたが作家だってことわかってて、わかった上で、これ全部お話しするんです。どうぞお使いください。かまいませんから。あれでもしあの人が死ぬようなことになってたら、私ももう生きてはいなかった。それは、本当。でも、私、これでけっこう勇気があるんです。だから、もうきっぱり決心しました。この恋をここから引っこ抜いてしまおうって。決心したんです。根っこから、一思いに。

あの先生と結婚するんです。

どうして? 望みもないのに恋をして、何年も何年も何か待ってるなんて。なんにも起きるはずないのにね。結婚するんです。結婚してしまえば、もう恋なんて言ってられない。新しい苦労がやってきて、いまのこの苦しみは全部消されてしまう。そう、この結婚に愛はない。でも私は変化がほしいの。……どうぞ。

大丈夫。[そんなふうに見ないでください。]女っていうのは、あなたが考えていらっしゃるよりよく飲むんですよ。私みたいにおおっぴらにやるのは少ないけど、隠れて飲む人、大勢いますよ。ホントに。しかも、きまってウォトカかコニャック。あなたって話しやすい。気さくな、いい方ね。お別れするの残念。

じゃぁ、あの人に、もっといるように頼んでみたら?

それはね、嫉妬のせいですよ。でももう私には関係ない。私のあの先生は、たいしてお利口さんじゃありません。でも、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにね、私のことをとっても愛してくれてるの。かわいそうな人でしょ。ご本が出たら、きっと送ってくださいね。一言添えて。でも「わが敬愛するマーシャへ」なんて、そんなふうに書かないでくださいね。ただ、「身元も不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマーシャへ」って、そう書いてくださいね。望みのない恋なんて、小説の中だけですよ。心に恋が芽を出したら、摘んで、捨てる。ね、それだけのことじゃありませんか。決心したんです。この恋を、ここから、引っこ抜いてしまおうって。決心しました。根っこから、一思いにです。根っこから一思いに。

* [ ]に入っているのは、ほとんど聞こえないように、ごにょごにょっと言う台詞です。


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