少し稽古のあいだがあいたので、きょうはみんなで集まって自主稽古。一通りすべてのシーンをやる。
その後友のダンスワークショップに行く予定だったのに、ジャージを家に忘れてきてしまったので、スーパーの2階が衣料品売場になってる式の安い店で、1000円のジャージと525円のTシャツを購入。
ダンスワークショップは、まずストレッチをゆっくりじっくり。ストレッチの最後は、2人組になって「相手が手で触れた部分をストレッチしていく」というダンスのようなものになった。それから、新しい試みとして何かの言葉を元に踊ってみることになった。演出家の出した「かみさま」というキーワード、私としてはちょっと居心地の悪い感じがしないでもなかったが、それから連想する言葉をみんなで出し合って、出てきたたくさんの言葉(「試す」「偉そう」「白」「浮いている」「雷」「喧嘩」「たくさんいる」「光ってる」「透明」など)から各自が2つずつ割り当てられて、そのイメージで踊ってみた。最初の人が、「偉そう」と「浮いている」で、そんなのどうやって踊るんだ?と思っていたら、膝を折って姿勢を低くした状態から斜め上を偉そうに見て小刻みに上下に揺れるその姿は、まさに偉そうで、浮いていた! それを見て楽しくなってきて、自分が割り当てられた「試す」「命令」をどうやろうかというアイデアも生まれてきた。出窓に腰掛けて下界を見おろして、あぁあぁあぁ、あんなことになっちゃったよ、やれやれ、と「試」した結果に反応したり、ときどき降りてって「命令」をくだしたりしてみた。きょうは私は、ダンスというより、演劇に近かったかな。
ずいぶん洗濯物を溜めちゃった。稽古が休みなので、きょう、ガンガン洗濯。まぁ、洗濯機まかせで、私がやるのは干すことくらいなんだけど。
定期メンテナンスのため歯医者へ。上の奥歯がよく磨けていないと言われちゃった。がんばって磨きます。
ある大きな駅ビルのステキなパスタ屋さんでランチセットを頼んだ。ひじょうに空腹だったのに、このパスタがちっともおいしくなくて驚いた。香りがしないし、しょっぱい。コーヒーは美味だったけど。
そして、『フレディ・マーキュリー 人生と歌を愛した男』という映画を見にいった。フレディの生い立ちを再現映像と友人たちのインタビューで綴り、後半はまぁ、クイーンとしての活躍とかフレディの個人生活とかを友人や音楽関係者のインタビューで綴ったもの。小さな映画館のまばらな観客は、中年と若い人と半々くらいだった。フレディのお母さんや妹の話が聞けたのがよかった。ブライアン、ロジャーと一緒にバンドをやってた人が、自分が辞めなければ世界はずいぶんちがったものになっただろう(それが原因でフレディが参加し、クイーンが誕生したのだから)、と言っていたのが印象的だった。あと、映画の内容と関係のない感想として、フレディの最後の恋人も含めイギリス人ってけっこう歯並びの悪い人多いのね、ということも思った。アメリカ人だけなのかな?シャカリキになって歯列矯正するのって。
終わって、大きな本屋へ。CDコーナーでフレディの『バルセロナ』(オペラ歌手と二人で歌っている。映画の中に出てきて、ステキだったので欲しくなった)を探したけれど、なかった。折り紙本のコーナーで、川崎ローズの川崎さんの本を立ち読み。『バラと折り紙と数学と』でわかりにくかった部分が、新しい本だと説明が改善されてわかりやすくなっていた。あらかじめ折り目をつけておいたほうがやりやすいな、と私が思っていた部分は、やっぱり、あらかじめ折り目を付けておく方式になっていた。そうだよね、そのほうがキッチリ折れるもんね。
夜、友のワークショップの手伝い。というか、その人が今度ワークショップで何をやるかというのを事前に試してみる会。ワークショップ受講者役になって台詞を読んだり動いたり。そして、ここがわかりにくかったとか、こうすればいいんじゃないかとか。俳優が集まって俳優の仕事について意見を交換できたのが、たいへん有意義だった。
稽古の後、山の手事情社『青い鳥』観劇。間抜けなこと、かっこ悪いこと、ださいことをやっていても、山の手事情社のスタイリッシュさに揺るぎがなかった。長くやってるからってだけじゃないと思うけど、継続は力っていうか、集団で時間をかけて何かを追求している人たちの強さを感じた。
『ソウル市民1919』の通し稽古を見学。その後、私の出演している『ソウル市民』も通し稽古。きょうは見学の人がたくさんいた。
初心にかえるって感じで、「バラのつぼみ」を折ってみた。どうしてこれが「川崎ローズ」を折るための準備ステップになるのか、「バラのつぼみ」だけ折っていたときにはわからなかったのだが、「川崎ローズ」が折れるようになった今つぼみを折ってみると、あぁ、ここの折り方も、ここの折り方も、川崎ローズのときと同じだ、あの折り方の練習になってるんだ、ということがよくわかった。もし私がだれかに折り方を教えることになったら、その辺の関連性にうまく注意を喚起するようにしたらわかりやすく説明できそうな気がする。
『ソウル市民』に向けて、髪を染める。『直線』でブリーチしたのを数日前に染めたんだけど、まだちょっと明るすぎるので。しかし、白髪染めに「黒」というのがないのはどうしてですかね。見本はほとんど真っ黒なのに、「ダークブラウン」とかナニナニブラウンと書いてある。そして若い人用の黒染め(茶髪にしたのを戻す用)には「白髪染めではありません」と書いてある。何がどう違うんでしょうか???
「川崎ローズ」を折るときに、「『福山ローズ』みたいにはじめから出来上がりの折り目を付けておいたらきっちり仕上がるんじゃないだろうか」と思いながら、なんとなくそれは不可能なような気がしていて、折りにくい折りにくいと思いながら最終段階で折り目を付けていた(一番外側の花弁の部分)。きょう、大きめの紙(24センチ四方)でいくつか折っているうちに、どこにあらかじめ折り目を付けておけばいいかがわかってきたので、「あらかじめ折り目を付けておく」方式を採用してみたら、たいへんうまくいって、これまでときどき何かの具合でたまたまうまくいったときにしかできなかったような形の整ったバラが、もういくつでも折れるようになった。最初に16マス×16マスのグリッドを折るのも、ズレがなるべく少なくなる方法を編み出した。「花弁増し」(という工程がある)のときに何を規準にしてどこを折ればいいのかというのも、自分なりにわかってきた。ちゃんと折れるようになってくると、あれですね、やっぱ、きれいでいいね、川崎ローズ。
『ソウル市民』稽古は、私は後半の出番のところ。自主稽古で1場の復習もする。台詞が増えたところが心配だったので、やれてよかった。
きょうは、フレディ・マーキュリーの命日だそうである。新宿でやっているフレディのドキュメンタリー映画(?)を見に行こうかと思ったんだけど、混んでたらやなので、やめた。
帰宅して軽くご飯食べるつもりがしっかり食べちゃって、ビールもけっこう飲んじゃった。一人で。
ま、たしかに過去2、3日睡眠不足気味だったんだけど、だからって稽古のない今日夕方5時過ぎまで寝たってのはどうなんだろう。
オーディション2日めにさて出掛けようとしたら、家の鍵がない! あいにく他にだれも居なくて中から鍵掛けてもらえないから、出掛けられない。大パニックしていえの人に電話して、泣いたり吼えたりしてしまった。鍵は結局2時間後に発見。テーブルの上に前から置きっぱなしになっていた、きのうは持って歩いてなかったバッグに入ってた。ゆうべ帰宅後、無意識にそこに入れた模様。まったく何やってんだか。
2時間遅れてオーディションに参加。終了後、友と食事して、帰宅。
『ソウル市民』の稽古は1場。衣裳に合わせて(?)ちょっと台詞が追加になった。
来年6月のアゴラ公演に向けて、フランス人演出家によるオーディション。久しぶりの友と、帰りにおしゃべり。
おいしい鍋をご馳走になったよ。皮をむいたニンニク(皮をむいただけ。切らない)をごろごろ入れて沸かした土鍋の湯に食べやすく切ったニラを大量に投入し、豚肉薄切り(部位は好みで)を箸でつまんでシャブシャブやって、火が通ったらニラのからまった肉を銘々の器(中には大根おろしとポン酢しょうゆ)にとって食べる。そのうちニンニクにすっかり火が通って柔らかくなったらそれもとって、箸でくずしながら肉と一緒に食べる。最後はラーメンを入れたと思うけど、楽しくて美味しくて幸せで、もうその辺りのことはよく覚えてないや。
引き続き、事務所に行って校正。他人の書いた文章で、一番気になるけどなかなか直せないのが、「、」の有無だ。なんでそこに打ってここに打たないのか? 気になって気になってしかたないけど、記名記事だったら、意味がよっぽどとりにくいとかじゃなかったらなるべく原文のままにしておくことにしている。人によっていろいろだからね。無記名の記事でも、全体としての方針が自分なりにでも決められればそれに沿って直すけど、「なんとなく」で直すことはしないようにしてる。きりがないし。そんなこんなで、きょう6時間以上作業して、なんとか終了!
演劇公演での開演前の携帯電話に関する注意について、考える。「マナーモードではなく電源からお切りください」と言われることが多いけど、電源から切らなくても音も振動もしないようにできるじゃん、という点で私はその言い方に不満がある。先日、まさに「正解」といえるようなアナウンスを聞いた。一字一句は覚えていないけれど、「サイレントモードなど、音も振動もしないモードにお切り替えください。どうやるのかわからない方は電源をお切りください」という内容。そうそう、まさに、そういうふうなことを言ってほしいと思ってたんだよ、私は。
昨日のジャブジャブサーキットでは、作・演出のご本人がそのアナウンスをしていた。そちらのお席は空いていますか?混みあってしまってすみません、という客入れからして、人柄が出ていてよい感じだなーと思っていた。携帯電話は「思いきって、電源からお切りください」というアナウンスも、よかった。アナウンスの内容も大事だけど、客席との距離の取り方みたいなものも大事なんだなーと思った。
『ソウル市民』は本日、第1回通し稽古。私は、だいぶ髪がまだ短いけどホントにアップにできるのか?というのが不安だったので、別にきょうアタマまでちゃんとしなくてもよかったんだけど、一応それらしくアップにしてみた。なんとかなりそうで一安心。
稽古後、アゴラに戻って校正。家だとだらだらしがちだからさ。ソウル市民三部作のパンフレットなんだけど、20ページほどの大作で、できあがりが楽しみです。
で、終電近くまで作業して、家の近くまで帰ってきたところでばったり友に会い、自宅から徒歩圏で深夜飲み。愚痴聞いてもらってしまった。気が楽になったし、前向きな気持ちになれたよ、ありがとう!
重なるときは重なるもんで、校正を頼まれているものが3件。校正は、1字1字見ていくような作業と遠くから全体を見渡すような作業と、両方あるところが私は好きだ。
明日、はじめての通し稽古がある。そのときに衣裳を着ないといけないのだが、ここんとこしばらく稽古がなかったので衣裳を着て稽古する機会がなかった。通し稽古でいきなりはじめて衣裳を着るのは落ちつかないので、きょう、着て少し動いてみた。立ったり座ったり。
夜、ジャブジャブサーキット『歪みたがる隊列』観劇。冒頭の本の音読で「しまった! 私のあまり馴染めないタイプの演劇かもしれない」と思ったが、登場人物同士の会話が始まって以降はたいへん興味深かった。ひきこまれたり、遠くから俯瞰する気持ちになったり、いろいろになりながら最後まで面白く見た。ただ、「しまった!」と思ったせいで最初の音読された本の内容がアタマに入っていなかったので、私はラストの理解が少し浅くなったかもしれない。それが悔やまれる。
韓国語の勉強を、少し再開している。パク・カンジョンさんのインタビュー記事の載った雑誌をこないだソウルでいただいてきたので、辞書を引きながらその記事を読んでいる。ある文の意味が、きのうどうしてもわからなかった。これ、辞書を引くと「成均館…高麗・李朝時代に儒教の教育を受け持っていた官庁」ってなってるけど、それがパク・カンジョンさんとなんの関係があるの?文中では「ソンギュングァンデ」となってるけどこの最後の「デ」はなんなの?その次の単語も、辞書を引いても出ていないし、もうお手上げ!となっていったん中断した。疑問を抱えたまま、寝る前に寝転がって韓国のマンガをパラパラ見ていたら、だれさんは「有名大」出身だからどうのこうのと書いてあって、あぁ韓国語でも「ナニナニ大」というんだな、あれ、じゃぁ、さっきのあれも大学名じゃないの?と思いついた。
そしてそういう目できょうふたたびインタビュー記事を見れば、きのうはどこが単語の切れ目かもまったく不明に見えた文なのに、「成均館大○○工学科で○○中に、演劇○活動を通じて演出の○○を○○した」(知らない単語は○○で表してます)という文の形がスーッと理解できて、ちょっと感動的だった。フルヘッヘンドの意味がわかったときの解体新書の人たちもこんな感じがしたんだろうかとか思っちゃったけれど、おこがましいですかね。その後辞書を引いて、くだんの文の意味は「成均館大金属工学科在学中、演劇サークル活動を通じて、演出家になりたいという希望を抱いた」であろうと判明しました。
夜、桜美林大学へ『song for sand』(振付・演出:木佐貫邦子)を見に行く。多人数の群舞の力に圧倒される。
ソウル市民3部作の稽古の場所が、今週から春風舎になる。夜、照明班2名で照明仕込みをした。すでに舞台装置を一部組んだり置き道具を設置したりバミリをしたりの「仮仕込み」のすんだ空間で。まぁ私はもう一人の人の指示通りにつり込んだりなんだりしただけだけどね。
しかし、劇場内を見渡してみると、小道具、衣裳の量が多くて驚く。装置、置き道具は共通といっても、3劇団が1つの稽古場をシェアしてるようなもんだから、まぁ当然といえば当然か。
クリスマスプレゼントの包みを送ろうと、郵便局に行った。この地域宛ての場合いまから船便で送ってクリスマスに間に合うか尋ねると、あちこちひっくりかえしてクリスマスまでに届くための差し出し期限に関する資料をようやく探し出したはいいが、「11月中旬、としか書いてないのですが……」と、きょうが期限内かどうか判断がつかない様子。私はいままで、上旬=その月の1〜10日、中旬=11〜20日、下旬=21日以降、と信じて生きてきたので、ある特定の日が「中旬」かどうか迷う人がいるとは思わなかった。驚いた。私の解釈が杓子定規すぎるのかと思って、あとでウェブの辞書で調べたら、私の信じていたとおりのことが書いてあった。ちょっとほっとした。
百均でラッピングペーパーを買ってきて、アメリカの友へのクリスマスプレゼントを包む。包む。包む。すきまに緩衝材として折り紙の「福山ローズ」や「バラのつぼみ」をたくさん詰め込むつもりだったんだけど、大小の四角い包みがジグソーパズルのようにきっちりピッタリおさまっちゃったので、底のほうの段差になったところにつぼみが5個入ったのみ。
夜アゴラに行って、帰り、友と定食屋でご飯。私は牡蠣フライとビール。うまかった。そしてやっぱりべろをヤケドした。
いえの人と、オムトンのライブに行った。開場と同時に中に入ると、一面の人工芝の上で、オムトンの面々がちっちゃいゲーム盤でサッカーのシュートのゲームをしたり、グッズの販売をしたりしていた。そのうちfoodコーナーの用意もととのい、豚汁と焼きおにぎりを食べて、開演を待つ。近所の学園祭に遊びに来たみたいなのどかな気分。
ライブ自体も、のんびりゆったりした雰囲気で進む。オムトンの音楽は、こっちの首根っこおさえて「どうだ、まいったか!」と言うようなところがなくて、私は私なりに好きなように聞いていればいい感じがあって、私はすごく好きだ。オムトンのてのひらの上で勝手に遊ばせてもらって、いい気分になって帰ってきた。
きのうもきょうも、私のシーンは稽古がないので、稽古に行かず。
いえの人が最近「川崎ローズ」を折れるようになって、その完成品などを見ていたのがよかったのか、今朝折ってみたらなんとなく私にも折れた。しかし、折り紙折り紙した福山ローズとちがって、折る場所がたしかにこの位置でいいのかどうかいま一つはっきりしなくて、「説明どおりに折ったらできた!」という達成感があまりない。最終ステップの「花の裏が正方形になる」が、自分でやっててもどうしてそうなるのかわからないみたいなところがあり、どうも釈然としない。あたしゃバルカン人だから、キッチリ割り切れるほうが好きだな。とはいえ、できあがりがたしかに美しいので、もう少しいろいろやってみようとは思う。
E.L.カニグズバーグの、伝記というのかな?こないだ注文したそういう本が届いていて、一気に読んでしまう。大人が読む本かと思ったら、けっこう子供向けで、私にとって新しい情報はほとんどなかったが、好きな作家カニグズバーグについてのおさらいができた。驚いたのは、本の中で紹介されているカニグズバーグの書籍を私がほとんどすべて読破していたということ。絵本のなかに1冊読んでないのがあったくらい。
ホテルの近くで食事。テンジャンチゲとウゴジタン。一昨日はサムギョプサル、昨日は辛い鶏を食べたので、こういう汁っぽい食事、今回はきょうが初めてだった。小皿のおかずとして出てきたサバ(煮付けてあって、外側は唐辛子の赤い色だったけどそんなに辛くなかった)も美味しかった。
きのう、空港まではバスが安くていいですよとすすめていただいたのだが、時間の余裕もあまりなかったので、結局タクシーで行った。次回はバスも試してみようかと思う。空港の書店で、韓国のマンガなど数冊購入。そして飛行機に乗って成田。バスで自宅最寄り駅。荷物があるけどそのまま居酒屋に寄って食事し、帰宅。無事着きましたとパク先生にメールして、早々に就寝。
昼間は、いえの人と観光。といっても、ゆっくり起きて、ご飯を食べて、ソウルタワーと仁寺洞をぶらぶらした程度。ソウルへ私たちはけっこう何度も来てるけど、ソウルタワーに行ったのは今回初めて。ケーブルカーから見る紅葉した山の斜面が美しかった。タワーの展望室は、窓のま下、それこそ垂直方向の地面まで見えるので、迫力があってよかった。うわー、ずいぶん人間が小さく見えるなーと思っていたら、それよりまたずいぶん大きな人間が視野に入ってきてビックリした。最初人間と思ったのは、鳩だった。おっちょこちょいだね、私。
仁寺洞は、私のもともと好きな街なんだけど、きょうは疲れていたせいか観光客の多さに圧倒されてあまり楽しく見てまわれなかった。自分用に室内履きを1足買ったのみ。でも次来たらまた寄ると思います。
夜は、以前合同公演で『ソウルノート』を上演した劇場ハクチョン・ブルーで、ミュージカル『ケットンイ』を観劇。開演前にパンフレットであらすじを確認するも、なにせ語彙が少ないので、「だれかの結婚の夜である。ゴミがどうとかで、ゴキブリがどうとかで、虫の心ではなんとかだが人間の心ではなんとかだ。2幕は、春」くらいしかわからない。まあ、ほとんどまったくわからない状態だったわけです。で、見始めたら、やっぱりさっぱり内容がわからないんだけど、みんな歌はうまいし、衣裳や装置が秀逸だし、音楽も感動的だし、2時間近い公演を最後まで飽きずに見ることができた。それと、「ペガ コッパヨ」(お腹が空いた)とかの「ヨ」のとき口がまん丸く開いているのを見て、あぁ、丸い「オ」の音の口は、ホントに丸いんだなーなどと、そんなことも考えながら見ていた。韓国語学習者の視点。
終演後、『ソウルノート』の人たちと合流して、きょうも一緒に飲む。きのうは大学の偉い先生などがいらっしゃっていて大勢だったけど、きょうはこぢんまりとした集まりで、いろいろと話ができて楽しかった。昨年の合同公演のときに出演していた人も二人来てくれて、なつかしかった。きのうもきょうも、『ソウルノート』の翻訳者であり合同公演にも通訳で付いてくださったソン・ギウンさんと、『ソウルノート』出演者のチャン・ソンヨンさんが通訳をしてくれた。ソンさんは自分の公演が近くて稽古で忙しいし、チャンさんは本番中で疲れているのに、申しわけなく、ありがたかった。次に会うときまでにもっと韓国語ができるようになるぞ!と心に決める。12時頃、ありがとう、また会いましょうと言って、皆で店を出る。
早朝のバスで成田へ。少し後ろの席で微妙に大きな声でずっとはなしているおじさんがいて、いらつく。ま、こちらの精神状態が切羽詰まってはいなかったので、ちょっと「やだな」と思っただけだけど。
仁川空港では、入国のとき、係官と、「りょこう?」「はい、旅行です」(パスポートの名前を見て)「ひろこ?」「はい」というやりとりあり。バスで市内へ。バス乗り場がどこなのかとか、どこで降りればいいのかとか、いえの人が係りの人に全部韓国語で聞いていた。私も韓国語が上達してきたと思っていたけど、やっぱりまだいえの人にはぜんぜんかなわない。
ホテルへチェックインして、一休みしてから大学路まで歩いていき、ご飯を食べてしばらくぶらぶらする。大好きブランドeigenpostの店に行ったら、微妙に雰囲気がちがい、よくよく見回してみると、conusという別の店になっていた! eigenpostでの買い物を楽しみにしていたので、ショックだった。ホテルの近くのカムジャタンの店もサムギョプサルの店もなくなっていたし、大学路の手作りフェルト小物の店もなくなっていた。ソウルに行ったのは10カ月ぶりだったんだけど、ずいぶん変わっちゃってた。パークの事務所のちかくのポジャギの店はどうだろうと思って行ってみたら、ここは前と同じところにちゃんとあって、ほっとした。お店の人のことを私は勝手にソンセンニム(先生)と呼んでいて、きょうも挨拶だけしてきたんだけど、ソウルに行くたびにこうやってちょっとお店に寄って、一言二言言葉を交わすのが、私の小さな楽しみです。
夜は、情報小劇場で劇団パークの『ソウルノート』を観劇。まず楽屋に案内され、なつかしい人たちや今回新しく加わった俳優の皆さんに挨拶。その後、客席へ。腰を下ろして舞台を見ると、あらら、去年アゴラで『ソウルノート』をやったときに私が作って公演後にパク先生にさしあげたパッチワークが、舞台上に飾ってあるじゃありませんか! ビックリして、嬉しくて、演劇見る前からちょっと涙が出た。
『ソウルノート』は、『東京ノート』の舞台をソウルに置き換えたもので、平田オリザの原作を、劇団パークのパク・カンジョンさんが脚色・演出した作品。すでに何度も上演されていて、今回は1カ月のロングラン公演である。『東京ノート』よりも登場人物が3人少ない。家族のうち、「長男の嫁」と「三男」がいない。だから、集まったうちの次男の嫁以外はみんな血縁のきょうだいで、次男の嫁の孤独な感じがよりいっそう強まっていた。それと、これは演出のちがいもあると思うけれど、平田オリザ演出の『東京ノート』に比べてきょうだい一人一人の性格がはっきりしていた。のんきな長男。暗く批判的な次男。しっかり者の長女(一昨年のソウルでの合同公演で弁護士役をやっていたチェ・ソンヨンさん)。元気で明るい次女(去年の東京での合同公演で「でんでんむし」をやっていたチャン・ソンヨンさん)。あっちこっちバラバラな方向に行ってしまいそうな家族のそれぞれが、みんな問題を抱えている感じがくっきりと出ていて、たいへん興味深かった。その他の登場人物も、反戦運動をやめてこの美術館に来た挫折感(年上の学芸員。前回と同じチェ・ヨンミンさん)や、若いほうの学芸員の頼りないけどがんばってとにかく自分の名刺を配りまくっている様子など、全体に輪郭がはっきりした感じなのが印象的だった。「絵の嫌いな男」(女子大生の昔の家庭教師)は前回と同じハン・スンドさんだったけど、ひたすらいい人そうに見えた去年と比べ、きょうのはちょっと悪い人っぽい感じがあって、私は好きだった。ちなみに、「長男の嫁」「三男」以外でなくなっていた役は、「学芸員の後輩の婚約者」でした。
終演後、劇団の皆さんと飲む。きょう初めて会う人も多かったけれど、長男役の人など何人かとお話できて楽しかった。テーブルに出ていた焼酎が「チョウム チョロム」という初めて見る銘柄で、チョウム=はじめて、チョロム=みたいにという意味だから、「ライク・ア・バージン?」と言ったら、受けた。
明日のスケジュールが決まっていないなら、夜『ケットンイ』というミュージカルを見ませんかと誘っていただき、
「ケットンイってなんですか?」
「ケーは犬です。トンはtung」
「あ、トンチムのトンですね?」
と「カンチョ〜!」のジェスチャー付きで言ったら、どうしてそんな言葉を知ってるんですかと言われた。『セーデク ヨーコチャンエ ハングッサリ』(新妻ヨーコちゃんの韓国暮らし)という本で知りました、と答える。ケットンイについては、「虫です」「かわいいとされています」「光ります」という説明で、蛍と判明。「犬」で「糞」なのにかわいい感じというのが不思議だったけど、あれですかね、バフンウニがおいしそう、っていうのと似た感じかな?
明日ソウルに『ソウルノート』を見に行く。それで、差し入れを探してデパ地下をうろうろ。チョコやクッキーの詰め合わせと、菊廼舎の冨貴寄にした。冨貴寄(ふきよせ)は、小さないろんなクッキーみたいなのがステキな缶に入っていて、「伝統ある和菓子で日本的だけど世界中の人に受け入れられやすい」というような感じが私は気に入っている。
『ソウル市民』稽古は、3場後半から4場前半。私は、座り位置が変更になったけれど、特に問題なし。終了後、衣裳のフィッティング。青年団の公演ではいままで多くの場合それぞれの俳優が自分の衣裳を考えたり探してきたりしていたんだけれど、ソウル市民シリーズは時代物(『ソウル市民』の舞台は1901年、『ソウル市民1919』は1919年、『ソウル市民 昭和望郷編』は1929年)だということもあるんだと思うけど、今回は衣裳の人が全体的な衣裳コンセプトを持って衣裳のことを考えている。
デニーズで食事して帰宅。すぐに荷造りをするつもりだったんだけど、食事のときビールを飲んじゃったのでその気になれず、しばらくごろごろした。その後、荷造り。2泊だけだし、遊びだし、簡単だ。『ソウルノート』の演出家のパク先生から、寒いので厚い服でいらっしゃいとメールが来た。
『ソウル市民』稽古。1場続き。まだまだ精度があらくて、立ちあがるきっかけとか立ちどまる位置とかが一定しない。いつ、その方向を見るのか。いつ、立ち上がる決意をするのか。いつ、腰を浮かし始めるのか。どのタイミングで、相手と目があうのか。人生では1回だけやることを演劇で何回も何回もやるためには、こういう細かいところをいっぱい決めておく必要がある(念のため言っておくと、これは主に俳優が自分のためにすることで、あんまり演出とかとは関係ありません。それに、別に決めておかなくてもやれる人は、決めなくたっていいです)。人生は白紙に1回描く絵、演劇はグラフ用紙に何度も再現する絵。グラフ用紙の方眼の目が細かいほうが、再現しやすいよね? これについては、いつかもっとちゃんと書きたい。
私の出番のとこは1時間くらいで稽古が終わり、事務所でチラシの折り込み作業をしばらくやったのち帰途につく。自宅最寄り駅界隈で、アメリカの友へのクリスマスプレゼントその他を探す。いえの人と合流し、食事。初めて入る、ギネスを出す「カフェ」。食べ物がどれもおいしかった。なんていうか、見た目は割と普通なんだけど味がおいしくて、一口食べたときにちょっとビックリする。そういう感じ。
『ソウル市民』稽古。1場。
夜、マドモアゼル・シネマ 2006旅するダンス『不思議な場所』を見に行く。古い友の公演だし、最近ダンスに興味があるし。見ていて、とても楽しかった。頭や手足や胴体だけじゃなく、顔も、髪の毛も、衣裳も、踊っていた。
洗濯をした以外、だらだらだらだらしていた。ヘイミッシュ・マクベス・ミステリーを読んで、エンタープライズを見た。第4シーズン、すごいね。
夕方からダンスワークショップ。10月13日に引き続き、第2回。同じルールで踊っても、人によっていろんな身体表現になって出てくる。それが興味深かった。たとえば、「いま立っている位置から絶対足を動かさないで」と言われたとき、四つん這いになって腕に重心を移すことで横方向に展開した人。「自分の上下前後左右にある(架空の)壁に触る」ときに、手の平でなく手の甲で触った人。テンポの変え方。全体的な動きと部分的な動きの切り替え。あぁ、ああいうふうにも動けるんだ、というヒントがいっぱいあった。いろんな動き方をしてみたい。
今週後半からの稽古再開に備え、『ソウル市民』自主稽古。前にも書いたと思うけど、私は『ソウル市民』に出るのが今回14年ぶり。それでも昔言った台詞というのはなんとなく覚えているもんだね。昔の自分の台詞の言い方にひきずられないように気をつけよう。
夜、五反田団『さようなら僕の小さな名声』観劇。インタビューのシーンが特におもしろかった。ロードムービー的になっていったあたりでは、劇中の「前田」の不安がものすごく伝染してきた。夢の中で展開についていけなくて感じる不安。前田司郎作品は、夢の世界(比喩ではなくて、寝て見る夢のこと)だ、とあらためて思った。現実世界と似ているけれど、それ自体の独自のルールや価値観や法則がある。