2001年夏、飛ぶ劇場の公演『ロケット発射せり。』(作・演出 泊篤志)に参加しました。これは、そのときの稽古・公演の記録です。 松田 弘子 |
3月に最初の打診を受け、参加することを4月アタマに決め、5月中旬には台本が送られてきていた『ロケット発射せり。』の稽古のため、北九州に出発する日がとうとうやってきた。大きな荷物はすでに宅配便で送ってあるので、きょうはリュックと小さな旅行カバンのみ。
この公演には、客演として関東から二名参加するので、羽田で待ち合わせ。「JASのカウンター辺りで10時に」という、アバウトな待ち合わせは、私が決めた。10時ジャストに到着すると、すでに来ていた相手が、すぐに私を見つけてくれた。これから2カ月間、どうぞよろしく。
迎えに来てくれた飛ぶ劇場の人たちの車で北九州空港から宿舎へ。劇団が普段作業場・物置に使っているマンションの1室(キャッソー、と呼ばれている)に、私は住むことになっている。劇団の人たちが、布団や湯沸しポットやオーブントースター、ナベなど、必要なものを運び込み、そうじをして、「人の住める状態」にしてくれたということだが、きれいに片付いて、新しい敷きゴザのいいにおいがしていた。ベランダには『生態系カズクン』の棺桶のフタなんかも見えているけれど。
美術と俳優を兼ねてる人が、稽古の前に作業をしにきた。この公演の舞台の中央には大きなテーブルが来るんだけど、特殊な形で、既成の物を使用するのではなく置き道具として作るということだ。その本物(木製)はまだ作れないので、稽古に使うため、段ボールでテーブルトップを作成。
夕方から稽古。私の所属している青年団ではウォームアップは各自ばらばらにやっているけれど、飛ぶ劇場では、身体と声のウォームアップをみんなでいっしょにやるシステムだ。演出家も参加している。そういえば以前山の手事情社のワークショップに出たとき、演出の安田さんも身体を動かしていたっけ。そんなことを思い出す。その後、1場から一通り稽古。いままで台本を一人で読んでいろいろ想像していたけれど、それを実際に他の俳優がやるのを見るのはものすごくおもしろくて、見入ってしまった。
北九州に来る前、台本を読んでいて、言い方というか発言の意図のよくわからない台詞が2つあった。行く前に演出家に聞いておこうかとも思ったんだけど、とりあえず一度自分の思うようにやってみてから聞こう、やってみた時点で何か言われるかもしれないし、と思って聞かずにおいた。きょうの稽古で両方とも出てきて、疑問は氷解した。
昔(10年前くらい)私は、こういう解釈を考えるのは俳優の仕事だと思っていて、他の人がさっさと演出家に聞くと、
「なんでこの人は自分で考えないんだろう」
と思って、ちょっとムッとしたりしていた。でも、読んで意味や言い方がわかるのが良い俳優なのかというと、そうでもないんじゃないか、俳優の良し悪しはそういうところで計られるべきものではないのではないか、という考え方にだんだんとなってきたし、第一、考えててそのうちわかるならまだいいけれどわからなくてあいまいにやってるんだったら、それよりは演出家に尋ねてその方向性で演技の組み立てを精巧にしていくほうが建設的だと思うので、いまはためらわずに聞いてしまう。
3場の終わりまでやったところで時間になり、きょうはこれで終わり。
演出の泊さんに、
「ロケットの稽古日記も書くんですか」
と聞かれる。
「書きますけど、私の日記は、リアルタイムに公開するんじゃないので、アップするのは公演が終わってからです」
と答えた。
「稽古までに台詞は入れて(覚えて)いきます」
と言ってあった私だったが、1場はだいたい入ってたけど2場、3場は半分くらいしか台詞が出てこなかった。まだ台本を手に持っている人が多くて実はちょっと安心した部分もあったんだけど、約束したことができていないのが問題なのであり、他の人は関係ないんだ、と、稽古が終わってキャッソーに帰ってから気がつき、反省した。
台詞入れもしたけれど、午後爆睡。
きのうは大きな稽古場だったけど、きょうの稽古場は遠くて小さかった。こちらが、主に使っている稽古場だそうだ。市立のなんとかセンターというところで、他の部屋からは若い女の人たちが発声練習をしているらしい声などが聞こえた。映画『櫻の園』の女子高演劇部の練習のシーンを思い出した。
きのうの続きで、きょうは4場。行く前に特訓していったので、台本を持たないでもほぼ大丈夫だった。そのあと1場を細かくやる予定だったが、時間がなく、半分くらいまでしか進まなかった。だれに向かってその台詞を言っているのか、という点があいまいな場合が、全体的に多いような気がする。台本に想定されていない人に向かって言ってしまう→台本とちがう人が台本とちがう返答をする、という場面が何度かあった。私は、まずなんでも「台本通り」にやってみるので、私がらみでそういうふうに別の展開になったら稽古がとまるけど、その場その場で相手に合わせて即興で返事をして進めていく人もいて、そうすると、台詞はちがっているのにシーンが続いていくので、どこの何がどうしっくりこなかったのか、とか、後から確認しにくかった。
演出家が何にいつダメを出すのかというのは、演出家や座組みによって、いろいろとちがう。泊さんがいま注目して見ているのは、一人一人のキャラクターのようで、人と人との関係についてはいまのところまだダメ出しがない。
でも、それにしても、稽古の進め方って、劇団により人によってちがうんだなぁと思った。青年団だったら台詞うろ覚えのいまみたいな状態でもまず動線や座り位置を決めていくけど、きのう、きょう見ていると、そういうことに関する演出からの指示はぜんぜんなくて、俳優各自も、「これはどうかな、あれはどうかな」と1回1回ちがうことを試している。私は普段、「どこに座っていて、だれがどのように見える位置なので」→「こっちを向いてこうしゃべろう」とかいうふうに自分の演技を組み立てていってるので、動きが決まらないままいろいろやってみるのはなかなかむずかしいし、そうやってやってみたことを「いまはこうだった」「さっきはこうだった」と覚えているのは、変数が多すぎて(だって、出ている俳優すべての位置や動きや言い方がそれぞれちがう。)、すごくむずかしい。
キャッソーにいながらメール送受信できる環境が整う。きのう、きょうは、近所の公衆電話に行っていた。
昼から外出し、銀行でお金をおろしたり、スーパーで食材を買ったり。ようやく自炊らしい自炊ができる!
きょうの稽古場は、きのうと同じセンターの、きのうとは別の部屋。いきなり振り付けが始まりびっくりする。場と場のあいだの、台本には書いてない「イメージシーン」。そういえば、前作『ジ エンド オブ エイジア』のときも、時空のゆがんだ感じのそういうシーンがあったなぁ。私も踊るという。
その後、1場の続き。これからもだいたい台本の順番通りに稽古を進めていくとのこと。
私と二人で話しながら登場する役の人から、
「ここで登場する前にマチコさんと私は何を話していたと思いますか?」
と言われて一瞬ことばにつまる。というか、質問の意図がわからなかった。台本に即して、
「あの大女優を見た、という話をしてたんじゃないの?」
と言ったら、
「私は勝手に、マチコさんがトイレに行ったら洗面所でとなりにヨシノキリエ(大女優)がいたのよ!って話だと思ってるんです」
と、とても具体的なことを言われた。
「そうかもしれないね」
と答えたけれど、私にはそれ以外に答えようがない。
台本に書かれている台詞の前にどんなことをどう話していたかなんて、書いてないんだからわからないし、俳優同士で話をあわせておく必要もない、と、私は思っている。その人と私でぜんぜん別のことを考えていたり、もしかして私かその人が何も考えていなかったりしても、私はぜんぜんかまわない。「どう見えるか」と「どう作っているか」にはそれほど密着した関係がないと思っている。大切なのは「どう見えるか」で、だけどその全体像は演じている自分たちにはわからないので、最終的な判断は演出家に任せるしかしようがない。そういう立場だ。
どのように演技を組み立てていくのかは一人一人ちがうと思うから、その人がそういうやり方でやるのをいいとも悪いとも思わないけれど、私に聞かれても困るなぁと思った。でも家に帰って考えると、
「困ったなぁとか言ってないで、自分がどう考えていて、きょう聞かれたことについてどう感じたのかということを、相手と話してみるべきなんじゃないのか」
という気になってきた。きょうは稽古の途中だったのでつっこんだ話ができなかったけど、なぜその人がそういう話を持ち出したのか、それを聞いて私がどのような違和感を感じたのか、というようなことを、これからていねいに話していけるといいと思う。
きょうは稽古がない。ので洗濯だ。別に、稽古のある日だって昼間はあいているんだからいつだってコインランドリーに行けるわけなんだけど、「夕方から稽古がある」と思うとそわそわするので、洗濯するのは何も予定のない日のほうがいい。
その後、スーパーに買い物に行こうと家を出たら、近所に住んでいる劇団員にばったり会い、いっしょに、小道具関係の買い物に行った。買うか作るかまだ決まっていない、あひるの縫いぐるみの件だ。布物の製作は得意なほうなので、作るなら私が作る、と言ってあったので。
布地屋で、生地、付属品等の目星をつけてから、次はおもちゃ屋に。まぁこれでもいいかも、うーんでもいまひとつかなー、という候補が2つ見つかった。ところが帰りに寄った100円ショップで、なかなかぴったりな候補を発見。これで決まるといいのだが。
きょうの稽古場は、歩いていける距離のとこなので、30分ほどかけて歩いていった。途中、雑貨屋に寄ったり橋の上で川を見たり。インラインスケートで行けないかなぁなどと考えたが、途中の大きな交差点が無理っぽい。
毎日の稽古は大体7時開始だが、たまに使うここの稽古場は、使用時間の区分が「午後5時〜10時」となっているので、早く来てウォームアップとかしたければ5時から入れる。きょうは6時から公開稽古の予定なのに、劇団の人たちがなかなか集まらなかった。演出としては「5時に集合して準備、ウォームアップ。6時稽古開始」というつもりだったらしいが、その連絡がうまく回っていなかったようだ。
6時〜8時、公開稽古。見学者がいて、みんな少し緊張気味だった。2場の最初から、3場の2/3くらいのところまで、きょうは、やった。欠席者が一名あり、その分はプロンプの人が台詞だけ言ってくれていたんだけど、どこ見てしゃべったらいいのかわからないし、人のいないところを見てしゃべるのは苦手だし、ちょっと困った。途中から代役の人が立ってくれたのでやりやすくなった。
ダンスシーンも稽古したが、演出家と振り付け担当で作業の進め方の方針がちがっていることが発覚し、ほぼ「一から出直し」状態。
きのうの縫いぐるみは、もうちょっとあひるらしくするため大きめのくちばしをつけるようにと演出から指示が出た。
稽古場がとれなかったとのことで、きょうは稽古はお休み。夜、劇団員宅にて、私たち客演2名の歓迎会の手巻き寿司パーティが開かれた。具はみんなの持ち寄り。刺身、納豆、うなぎ、焼肉、明太子などさまざま。私は、鶏ささみときゅうりのちょっとピリ辛マヨネーズ和えというものを作って持参した。
いろんな話を聞き、いろんな話をした。7月5日の日記に書いた、「台本に書かれていない設定」の件も、演出家とも本人とも話すことができ、ほっとした。若い人たちに囲まれて、質問コーナー、みたいになり、
「役作りはしますか」
と聞かれて、即座に、
「しません」
と答えたのはちょっとはったりだったなぁ。まぁ、何をもって「役作り」というか、にもよるんだけど。続いて、
「じゃぁ、役を自分に引き寄せるんですか」
という質問が来たので、そういうことでもなくて、だいたいにおいて他人の書いた言葉をしゃべるという点ですでにそれは「自分」ではないので、この部分は自分に近いなぁとかこれは私とぜんぜんちがうなぁとか考えながら、台本に即して組み立てていく、というふうに説明した。あと、「そのときどういう気持ちか」とかいうことではなくて、「だれに向かって、なぜ、その台詞を言うのか」ということを論理的に考えます、ということも言った。
こういうようなことを他人に説明するのはなかなかむずかしいけれど、自分が無意識に選び取っていることについて意識するきっかけになって、いい。
キャッソーの前の芝生の公園で、気功をする。そうだ、毎朝ここで運動すればいいんだ、気持ちいいし、とようやく気づく。滞在一週間めにしてちょっと余裕が出てきたのかもしれない。
二日ぶり(月曜日は休み)の稽古は、3場の後半。細かくやっていったので、4場どころか3場の最後までも行かなかった。でも、いままであまり決まっていなかった、立ち位置、いつどこへ移動するか、などが決まっていったので、「はかどった」という感じがあった。
一新したダンスシーンの振付も。私は「日舞」チーム(もう1つはなんだかジャンプしたりの軽快な振付)で、中腰で下を向いて踊っている。
そろそろ、装置や美術(仮面など)の作業にキャッソーが使われるようになってきた。いま完全に私の生活空間となっているところに、そのような劇団の作業が入ってきて、どう共存できるのか、あるいは共存できないのか、今後どうなっていくのか楽しみである。今回、客演という立場で気持ちも時間も余裕があるので、こんな悠長なことを言っていられるんだと思うけれど。
午後、仮面を作る人と稽古用のテーブルトップ(木製。分割して車に乗せて持ち運びできるもの)を作る人がキャッソーに来て作業をした。テーブルは、コンパネを切り出したりという作業なので、ダイニングキッチン全体が占領され、買い物から帰った私が物を冷蔵庫にしまうのもたいへんなくらいだった。装置の作業が入るときは、和室にこもるか出掛けてしまうかしたほうがよさそうだ。
あひるのぬいぐるみに、ちょっと大きめのくちばしをフェルトで作って付ける。オレンジのフェルトの切り口を油性マジックで黒く塗る。アタマのてっぺんに、つり下げるための金の紐がついていたので、これは短く切って「毛が二本立っている」という感じにした。眉毛をつけたくなって、黒い糸で下がり眉もつけた。
稽古は、3場の続き。4場前半まで細かくやっていったが、とにかく最後までやってしまいたいという演出からの要望で、あとはどんどん進む。しかし、最後まではいかなかった。今回の舞台は、ほぼ三角形で、三辺に観客が入る。それで、そこに立つと観客のじゃまになる、とか、その位置では観客から見えない、とか、そういう観点から立ち位置が決まったり変わったりすることも多い。ふだん青年団でそういうことはあんまり言われないので、なにか新鮮。それに、理由はどうあれ立ち位置が決まっていくと安心する。飛ぶ劇場の人は、動線・立ち位置の決まらないままで自分の演技を詰めていけてるみたいだけど、私はそれはあまりうまくできない。
4場のアタマは、私のハイテンションシーンだ。「浮き足だって跳ねる」というふうにしてみた。やってて楽しいけれど、ちゃんと意識してやれているのかちょっと不安もある。あと、声をつぶさないように気をつけたい。その後の割と台詞がなくて立っているところは、まだ間が全部埋まってなくて、スカスカしている。もっともっと稽古したい。
ダンスの振り付けも、少し進んだ。
きょうは、稽古の取材があった。私が「キャー」とか言って変な顔をしている(そういうシーンなのである)ところも、写真を撮られた様子。使われるかわからないけど。
昼間、博多で観劇。演劇の限界と可能性について考える。
夕方、スタッフワークについてのミーティング。衣装、装置、小道具、美術等について、何がどこまで進んでいるのか、現在の問題点は何か、という話をみんなでする。青年団でも飛ぶ劇場でも、多くの場合キャストがスタッフワークも分担して担当しているので、このシステム自体は、私には馴染みのものだ。今回は客演という立場で、私自身は作業に参加しなくていいことになっているが。
稽古は、4場の続き。ラストまで。夫が実はあと半年の命、とみんなに言うところの私がとてもいい、と演出に言われた。暗く深刻になるんじゃなく、笑顔で言う、という作戦ではあったんだけど、「微妙な笑顔がいい」と言われると、何がどう微妙なのか自分ではわからない。だけど、言っている内容と自分との距離感、というのかな、どういう意図で何を言っているのかということはきちんと押さえているつもりなので、再現性はあるはず。
最後にはけるところで、リュックを背負ってウェストベルトを前でしめる動作が、うまくできなかったのがくやしい。あしたさらに4場をやるということなので、稽古前に特訓しよう。その、ウェストベルトをきゅっと締めるの、気に入ってるでしょう?と共演者に指摘される。ばれてたか。
7時から稽古。というといままでだいたい7時にはセッティングが終わってウォームアップができる態勢になっていたんだけど、きょうはめずらしく集まりが悪く、「身体を動かしましょう」となったのは7時10分くらいだった。
その後、ダンスの復習。「日舞チーム」の二人で、自分たち三人分のヘルメット、防護服と「アクロバットチーム」四人分の防護服を片付けることになっているが、現物も仮の物もまだない状態なので、ちゃんと片付けが間に合うのか、不安だ。でも、まだ振り付けが曲の最後まで行っていないし、フォーメーションも未定なので、不安がっててもどうしようもない。いまは、自分の振りを覚えるのに専念する。
きょうは4場をやることになってて、私は大きな声を出さないといけないシーンがあるので念入りに発声をした。みんなでいっしょにやる発声練習だけでは、私にはちょっと足らない感じがしているので、空き時間に一人で声を出したり。
4場、冒頭から。うわぁーっと一つのフンイキで押し通していたら、演出家から、ここの台詞は勢いで言わないで、というように、いくつか指示が出た。全体に、台詞のタイミングや言い方、動線が、だいぶ決まってきた。俳優同士も含め、「このポーズになったら次の台詞を言ってね。」とか「このタイミングでここを見たら、次の台詞を言ってね。」、「ここでこのくらいこういうふうにするから、そしたらそれに反応してね。」というような、段取りの確認もいくつかなされた。『ロケット発射せり。』という音楽を奏でるための「楽譜」が、だんだんできてきつつある。
夜、泊さんから、きょうの分の稽古日誌(飛ぶ劇場のウェブサイトに劇団員が日替わりで書いて掲載しているもの)を書いてくれと電話があった。リアルタイムで公開される日誌なので、ネタバレしないように気をつけて書いた。
ゆうべ深夜、キャスト一名が虫垂炎で入院してしまった!手術するか、しないでもいいか、月曜日にならないと決まらないという。とりあえず、きょう、明日の稽古は、代役でやることに。
きょうの稽古は6時からだったが、演出家の来るのが遅れるということで、まず、ダンスの振り付けと4場の台詞の確認をやった。振り付けは、一応、曲の最後までいった。台詞の確認は、みんなで集まって台詞だけ言っていったんだけど、どうも自分の作り方が情緒とか気分に偏っている感じがして、しっくりこなかった。
7時半過ぎに演出が来て、シーンの稽古は4場の、きのうの続きからラストまで。明日は、通し稽古をするという。1場2場は、前に稽古してからだいぶ経っているので、ちゃんと覚えているか心配だ。明日は台本の確認をよくやってから稽古に行こうと思う。
夜、一人でビールなど飲みながらふと思い至ったこと。
「16日月曜日は稽古が休みで、17日の稽古は夕方からだから、16日に東京に行き17日の夕方までに帰ってくれば、16日の五反田団のアゴラでの公演が見れるではないか!」
朝のうち、飛行機や新幹線の値段や時刻を調べ、JASに予約を入れる。入れてから、
「稽古がないとはいえ、他に何か予定があるかもしれないから、泊さんに断っておく必要があるのではないか?」
ということに気づき、「行ってもいいでしょうか?」とメールでおうかがいをたてる。稽古のときにOKをもらった。
青年団も飛ぶ劇場も、劇団内の連絡がほとんどメールでできるので便利だ。「明日の練習場はどこどこになりました」、「置き道具の椅子のサイズがこういうふうに決まりました」などの連絡もメールで来るし、演出家に何か言いたいときにメールでいつでも個人的に連絡がとれるとわかっているのも心強い。
1場の途中まで稽古してから、通し稽古。通し直前に、テーブルまわりの椅子の数が七脚から六脚に変更になる。
通しは、直前に稽古したところまではわりとスムーズに行ったが、それ以降は、台詞の怪しい人は限りなく怪しくなっていった。今週の稽古は3場と4場のみだったので、おそらく、自分で復習した人とそうでない人の差が出てしまったのではないかと思う。または、「通し稽古」というものをどうとらえているかの違いというか。
稽古場の使用時間の関係で、4場のお尻10分ぶんを残してきょうの稽古は終了。ダメ出しも何もなく解散。
私にとってのきょうの通し稽古は、場面練習ごとに個別にやってきた段取りが、通すとどうなるか(1場で出てきたコップはいつ片付けるのか、下に置いたバッグはその後どうなるのか、など)の確認と、全体を通しての立ち位置・座り位置の確認、という面が大きかった。演技的には、人の台詞を食っちゃったところが多かった(間のあくことに対しての恐怖心が強かった)し、決めた言い方どおりできなかった部分もたくさんあった。あと三週間足らずで本番を迎えて大丈夫なのか、という不安が大きくのしかかる結果となった。
飛ぶ劇場ウェブサイトで公開されている稽古日誌の、きょうの書き手は作・演出の泊さん。通し稽古について、いまの時点で通しというのは「ちょっと無茶だろうなぁとは思ってたけれど」、出来に「はっきり言って『凹んだ』ね。」と書かれてあった。
昼の飛行機で東京へ。いったん家に帰り、洗濯、メールチェックをしてこまばアゴラ劇場に向かう。ロビーにいた友に、
「えー、どうしてここに?」
と驚かれる。
「きょう稽古が休みなので、見に来ました」
「えー、そういう問題?」
後から考えると、そういう問題ではなかったようです。
五反田団の公演が見たい。たしかに、突然帰京したおもな理由はそれだった。でも、ちょっと無理すれば帰れるから帰る、という決断をした裏には、もっと別なことがあったようだ。7月3日に北九州に来て、あまりストレスもなく過ごしているときのうまで信じていたけれど、実は不安とか不満、「もっとこうしたい」という思いなどが無意識のうちにつのっていたらしい。
一日わずか3時間しか稽古できないこと。しかも毎日稽古場がかわるので、「バミり」→「置き道具(主に仮のもの)設置」→「稽古」→「撤収」を毎日繰り返さなければならないこと。台詞を覚えきれていない人がいるため「間」とか「言い方」をなかなか決められないこと。「動線」、「座り位置」、「立ち位置」がなかなか決まらないこと(青年団では立ち位置等は、台本に指定されているかまたは稽古のごく初期に決まるので、この違いにはなかなか慣れることができないでいる)。そんなこんなが気になっているのに、ましてや家を離れてふだんとちがう環境にいるというだけでもストレスになるのに、自分がそういうストレスを感じているということに気づかないでいて、そういうもやもやしたものが無意識の領域にたまってきていたようである。
こういうのには旅公演や合宿稽古で慣れっこになってると思って、ちょっと油断していたかもしれない。
アゴラのロビーで友に会い、事務所で青年団のあの人、この人と一言二言話をしたり、五反田団を観たり、家族と食事をしたりしているうちに、
「あー、家を離れた慣れない生活で、私、ストレスたまってるんだなぁ、ちょっとさびしかったんだなー」
ということが、やっと自覚できた。
気づいてしまえば、あとはそれとどう向き合うかだけなので、「たまりにたまってある日爆発」とかそういう物騒なことにはならないはず。あぁ、いま気づいてよかった。
虫垂炎の人は、抗生物質投与で回復し、きょうから稽古に復帰。病院でよく休んだのか、なんだか前より顔色がよく元気そうに見えた。
衣装の候補を、衣装の人と演出に、見てもらう。一応これで、というのが決まったが、7月3日に北九州に着いたときの私たち二人(夫婦役)のいでたちというのが演出家の頭の中に一つのイメージとして残っているらしく、そんな感じ(アロハ)にするかもしれないとのこと。
稽古は、まず4場の、台本が書き換えになった部分を練習。次に4場後半の「いずみ」のいるシーンをやったのち、1場のアタマから。
私たち「中年夫婦」登場のところで、私は、
「私が先に登場でいいんでしょうか。夫先行のほうがいいのでは?」
夫役は、
「いやいや、宇宙行きに積極的な貴子(私の役)が先のほうがいいと思う」
と言い、でも二人ともその後に
「どちらでもいいけれど」
と付け足し、演出に判断をゆだねる。一度演じてみてからの、演出の判断は、以下のとおり。
- 現状どおり、貴子先行
- ただし、台詞を以下のように追加
追加前 高野 どーぞ、・・・どーぞこちらに・・。
安則 あぁ、どうも。追加後 高野 どーぞ、
貴子 あ、はい、
高野 どーぞこちらに・・。
安則 あぁ、どうも。
なるほど。私はどうして自分が「夫先行」がいいと思ったか説明できなかったけど、その裏には、声をかける人(先頭を歩く、「高野」)と返事をする人(「安則」)の間に無言の自分がいることの違和感もあったにちがいない。
停電(1場)のあたりまで稽古した。
きのうの続き。2場の終わりまで。2場のアタマは、こないだ通し稽古で私が座り位置の上下(カミシモ)をまちがえてしまったところなので、よく確認する。
声をかけて、ここで反応してほしい、と思ったポイントで相手が反応してくれない、という箇所が1つある。きょうは、台詞の一部を繰り返して言ってしまった。次は相手が反応しないことを前提にやってみよう。
きょうの稽古は主に3場だろうと思っていたら、その前に2場の終わり部分の稽古にけっこう時間がかかった。私はちょっとだけ台詞が増えた。新しい台詞の言い方の感じをつかみ、定着させるため、何度か一人で言ってみていたら、
「え、その台詞気に入ったの?」
と泊さん。いえいえ、定着させてるんですよ、いまインプット中と言ってさらに言ってみる。「ありゃりゃ」という一言の台詞なんですけどね。でも、「びっくり」じゃなくて「おいおいどうなってんだぁ?」の「ありゃりゃ」なんだ、とか、演出に「もっとゆっくり」と言われたその速度を保とう、とか、いろいろとさぐったり定着させたりする作業が必要なのである。
前から気になっていた台詞があった。外で何か大変なことが起こっているらしい、となって、関係者(茂里)につめよるシーンで、
茂里 | 外に居た連中が騒ぎ出した…、今はそれしか言えません。 |
---|---|
貴子 | そんな隠さなくていいんですよ。 |
宏 | 何か宇宙から降りてくるんでしょう? |
由美 | それで、皆で騒いでるんでしょう? |
というところ。私は「貴子」なんだけど、なんだか貴子、宏、由美の三人で一つの台詞を分けて言ってるみたいでずっと違和感があった。で、どういう意味ですかとたずねたところ、結局私の台詞が、「いいじゃないですか。言っちゃってくださいよ」に変更になった。これだったら、後の二人の内容と関係なく言える。3場の前半1/3くらいまで稽古した。
舞台装置の「椅子」が、いままでは「ぐるぐる回る、手すり・背もたれつきの、事務椅子」型という予定だったのだが、きょう変更になり、床に固定されている、切り株状の丸太になることが決まった。それに伴い、当初「ベンチ」と言われていた、通路脇の席も丸太椅子2脚に変更になった。3場のアタマ、私は、ベンチに仰向けに寝ている、という段取りでいままでやっていたんだけど、動きを変えなければならなくなった。床に座って椅子にもたれる形にした。とにかく椅子についてはこれで「決定」だから、これからはこの決定事項を拠り所にして組み立てていけるので、その点では一歩前進であり、よかった。
それはよかったんだけれど、稽古場では依然そこにあるパイプ椅子・丸椅子で稽古して、本番用の椅子を使えるのは劇場入りしてからということなので、本番用の置き道具で1カ月以上稽古するのに慣れている私が劇場入りしてからのわずかの時間で本番椅子とちゃんと関係を作れるだろうか、と思うと、それはやっぱり不安。
あしたは、北九州の老舗の劇団青春座による『ロケット発射せり。』の公演だ。作者である泊さんは、青春座の様子もときどきのぞいているらしい。オープニングの音楽が「ツァラトゥストラかく語りき」だと聞いて、どういう舞台を想像したらいいのかまったくわからなくなった。
飛ぶ劇場は、稽古にみんな車で来るし、終わった後飲んだり食事したりってあまりしないようだ。それがちょっとさびしい。一時帰京以来、思ったことは自分の中にためこまないようにしようと思ってるので、「そろそろ飲みにいかないと、私は死ぬ!」宣言、をしてみた。あすは朝から稽古なので、きょうじゃなくあした飲みに行こうよ、ということになる。
朝10時から稽古。3場がまだ「あやしい」ということで、3場のアタマから。2場で出てきたコーヒーの容器が、だいぶ時間の経過したあとである3場に残っているのはまずいので、2場と3場の間のイメージシーンに片付ける段取りを入れることになった。
3場と4場の間のイメージシーン(ヘルメットと防護服を脱いで片付ける)が、なかなか進まない。
4場は段取りがまだまだあやふやだ。きょうは最初のほうしかできなかったが、あさっての日曜日はまた通し稽古をやるということなので、明日は4場をじっくり固めたいものである。
16:00で稽古を切り上げ、青春座の『ロケット発射せり。』を見に行く。「第9回北九州演劇祭プレイベント」として、青春座と飛ぶ劇場が同じ戯曲を続けて上演するという企画なのである。演出も装置も照明も衣装も、もちろん俳優もぜんぜん自分たちとちがうのに、台詞だけはほとんど同じという公演を見るのは、なかなか不思議な体験だった。
舞台装置を見て、あーこういう「未来」のとらえかたもあるんだなー、と思った(『ロケット発射せり。』の舞台は、2051年という設定である)。たとえば、入口のドア。戯曲の途中で、停電になり、
「ここのドア、手動でしか開きませんから。」
という台詞があるのだが、飛ぶ劇場版では、このドアは、「待合室」から「通路」を曲がった先にあるという設定にしている。つまり、客席からは見えない。50年後の自動ドアがどんななのかは、観客の想像にまかされている。
青春座のドアは、舞台奥中央にあった。「私たちの想像する未来のドアは、こうですよ」と前面に出してきている形だ。ポンと押すと自動で開く方式のドア自体は2001年の現代のものと、かわらなくて、ドア枠の色、壁に照明が埋め込まれているところ、壁の曲面などが「未来」を表してるようだった。
あと私の興味をひいたのは、「出はけ」を戯曲の指定と変えている部分があり、戯曲では舞台上にいるはずの人が退場していたり、逆にポペスルーム(飲み物などが用意されている部屋)にこもってる設定の人が舞台上にいたりしたことだ。3場で「貴子」がポペスルームからたびたび舞台上に姿を現すところって、私はおもしろいと思うんだけど、何をおもしろいと感じるかは人によってちがうんだなぁと、当たり前のことだけど、あらためて思った。
ロケットに乗って宇宙に旅立つべく乗客たちが去っていたラストシーンの後、「テン、ナイン、…」とカウントダウンが始まり、ホリゾント幕に、飛び立つロケットをイメージしたような赤と青の照明がついたのにも驚いた。そこまで説明したら観客の想像力がそがれるのではないか、と私なら心配になるけれど、わかりやすく、ということをあくまで大事にするとあのようなやり方になるのかもしれない。
午後、劇団の人が3人、キャッソーのダイニングキッチンにオブジェの作業をしにきた。
本番用のヘルメットが来た(いままでは、各自、帽子とかインラインスケート用ヘルメットとかを使って稽古していた)。後ろのベルトの調節により大きさがだいぶかわるので、どれをだれがかぶるか決めておきたいということになった。ヘルメットとセットで身に付ける「防護服」もどれがだれ用と決まっているが、ヘルメットのほうも目印をつけ、さらに、持ってくるコンテナに決まった順番で入れないといけない。きょうで「物」はそろったので、これからの稽古でよく練習して慣れていきたい。
3場と4場の間のイメージシーンの振り付けが一新された。だいぶシンプルになった動きを練習する。続いて、2場と3場の間のイメージシーン。これは、きょう、初めてやった。どちらもゆっくりした動きなので、手順を覚えるのは簡単だが、速度や表情をどう保つかがむずかしそうだ。
シーンの稽古は、きのうの続き(4場)。俳優が台詞を覚えきれていない部分が、一部カットになった。ここはいままで何度稽古しても一度もうまくいっていなかった。その会話をどう作るか、どう見せるかという演出家の意図が、結局きょうまで俳優に理解されなかったということのように思われる。
退出時間が迫り、台本であと4ページ半残したところで、きょうは終了。
北九州公演の会場であるスミックスホールESTAで、舞台面だけでなく出はけの距離もきちんと実寸をとって、朝から稽古。午前中はイメージシーンの稽古に終始。気がつくと13時を過ぎていた。
衣装、小道具を確認するミーティングあり。私の衣装はすべて決定した。昼の休憩をとり、14:30から公開稽古。1場のアタマから。小道具のカップのホンモノを初めて使用(きのうそろった)。コーヒーも初めて実際に使用(普段使用している稽古場は「飲食禁止」のところが多く、稽古したくてもできない)。本番中クーラーはつけておくことに決まり、一番小声でしゃべるところをいままでの1.2倍の声量にするようにとの指示が出た。
16:10開演で、第二回通し稽古。緊張するのか、ふだんまちがえないところでまちがえる人や出てきたとたんに台詞につまる人がいた。
私は、2場でコーヒーを入れて戻ってきたとろで、どの椅子に座るんだったかわからなくなり、ちょっとうろうろしてしまった。2場と3場の間のイメージシーンはだいたい朝の練習どおりにできたけれど、3場・4場間のところでは、一箇所振り付けをまちがえてしまった。脱いだ「防護服」の扱いもまだまだおっかなびっくりだ。たくさん練習して慣れておかないと。
18:00退出。19:00から21:00まで他の練習場を借りているので、移動。継続して使える稽古場がないというのはほんとうに大変だ。しかも会議室みたいな場所が多いので、到着したら机や椅子を端に片付け、バミり、置き道具を設置し、稽古が終わったらまた元の状態に戻さないといけない。置き道具や小道具も、劇団員が分担して、稽古のたびに持ってこないとならない。
通しのダメ出し。1場で出したコーヒーに湯気が立っているのは演出の指示通りなんだけど、1場から数時間経過したはずの2場になってもまだ湯気が立っているのが問題になり、熱くて飲みきれないのが原因とわかったので1場で出すコーヒーだけぬるめにすることになった。
その後、通し前にできなかった、4場の終わりを稽古。そして、通しでもっともあやふやだった2場も稽古した。
通しで気になった、他の人の台詞。
「あの、他の、奥様方は?」
という台詞があって、カップル2組の、男の人たちだけいて女の人たちの姿が見あたらないんでそう聞くんだけど、だからこの台詞の意味は、私は、
「他の人たちはどこにいったんですか。他の人たち、っていうのはつまりあなた方の奥様方のことですが」
ということだと思うんだけど、この台詞を言う人は、
「あの、他の奥様方は?」
って言っている。いまここにいない奥様二人以外に奥様はいないので、「他の奥様」って変だと思った。
それに関連して、劇作家泊篤志の文体について。上の例のように、泊さんの書く「、」は、その通りに言うべき「、」であることが多いようだ。『ロケット発射せり。』の台本を最初に読んだときに思ったんだけど、しゃべるときにここで切ってほしい、間を入れてほしいというのをすごく厳密に文字(「、」とか「…」とか)にしている。私は「書くとき(=作家)のテン、マル」と「言うとき(=俳優)のテン、マル」はちがうって思っているので、台本の句読点はおおむね無視する、っていうか、どこで切るかは自分で一から考えるんだけど、泊さんの句読点は、そのまま従いたくなる句読点が多かった。
きょうは稽古はお休み。暇だったら劇中歌「あなたの肩に猫がいる」の録音に来ませんかと誘われ、泊家(音響の泊達夫さんは作・演出の泊篤志さんの弟で、実家に住んでいるのです)へ。飛ぶ劇場の代表作『生態系カズクン』のチラシ等でおなじみのカズクン(おばあちゃん猫)にも会った。
メインボーカルの録音の後、演出の泊さん、音響の泊さん、メインボーカルをやった俳優と私の4人でコーラスも録音。
演出の泊さんから、この曲の「2番の歌詞を書きませんか」と言われた。
パーマをかけに美容院に行く。演出からはいまのままでもいいと言われていたけれど、4月にかけたストレートパーマの威力が消えかかっていて毛先がくるりんとはねてしまうのが気になるので、全体にウェイビーなアタマにすることにしたのである。もともとこのストレートパーマのおかっぱは『上野動物園再々々襲撃』用だったので、『ロケット発射せり。』のアタマになって、なんだか気持ちが落ち着いた。
一緒に行った友はまだ1時間ほどかかると言うので、午後3時、一人でバスに乗って帰ってきた。きょうの日差しは、ぎらぎらと容赦なく、「車で往復」と思っていた私は、帽子を持っていってなかったので、日射病で倒れるんじゃないかとマジで心配になるくらいだった。
帰宅後、ゆうべからずっと考えていた『あなたの肩に猫がいる』2番の歌詞の決定稿を、二人の泊さんにメールで送った。
稽古は、2場。7月18日の日記に書いた、相手が反応してくれなくてやりにくいなぁと思っていた箇所は、私がその人の近くまで立っていって声をかけるという演出になった。
演出の泊さんから、『あなたの肩に猫がいる』3番の歌詞が送られてきた。私が作った2番は1番の世界を踏襲したものだったけれど、泊さん作の3番は、飛躍・矛盾・荒涼!すごいや。
私が稽古に合流した7月アタマの頃は、稽古が始まるまでの、舞台面をバミったり置き道具をセッティングしたりという作業が、けっこうのんびりだった。一日3時間しか稽古時間がない、ということが、私には「稽古時間が少なくて、不安」なんだけど飛ぶ劇場の人たちにとってはごく普通で当たり前のことなんだろうなと思っていた。でも最近は、その辺もみんなすごくテキパキしている。公演が近づいたからだろうか。
きょうの稽古は、3場。3場は私はメインの舞台ではなく通路での演技が多く、実寸がとれていない稽古場では、ことばは悪いけど適当にやるしかない。来週月曜日から劇場に入れる(本番は金曜から)ということなので、劇場入りしてから作戦をたてても数日稽古できるので、そのときにはっきりと決めようと思っている。
稽古、順調。きのう(2場)、きょう(3場)、あす(4場)の稽古でやったことを皆忘れずに次の通しができたら、けっこう安心できそう。
3つのイメージシーンを練習してから、4場。アタマのハイテンションシーンを二回やったら、のどがいがいがになってしまった。注意して多めに発声練習はしておいたんだけれど、やっぱり足りないようだ。楽しいので無防備に声を出しすぎた。反省。以前、映像の仕事で「全速力で走る」というのが楽しくてガンガン走っていたら四、五回めのテイクのときに意志に反して膝ががくっとなったときのことを思い出した。
きのうから、ラストシーンをスローモーションにするという案が出てきている。ラストがスローモーションになるってTV番組なんかでもとってもおなじみの手法で、ほんとうに独創的でかっこいいシーンになるのかどうか私はどうしても不安だ。ただ、演じる私には全体は把握できないし、最終的には演出家の判断になるので、私たち俳優はできるだけかっこよくスローモーションをやってのけるのみである。
稽古の後帰ってくると、ダイニングキッチンでまだまだ作業をしている人たちが。作業中申し訳ないけど私はここで生活してるのですみませんがご飯作って食べるよ、と言って、ご飯を炊き、イカを炒めて食べた。ビールも飲む。ほんと、ごめん、だけど昼からイカ仕込んでて、きょうはこれを楽しみにしてたんです。
きょうは、第三回通し稽古。7時集合で、7時30分にはどうしても通しを始める(退出時間が9時半なので、それより遅くなると最後までできないのである)ということだったので、ウォームアップは稽古に行く前に自主的にやっていくことにした。近所の芝生の公園に行き、身体を動かす。広々してるし公園に面した道路は交通量が多くてけっこううるさいし、これは発声練習もやっちゃって大丈夫じゃないか?と思いつき、実行。周りに人もいないし。
飛ぶ劇場ではみんなでそろって発声練習をするんだけど、私には量的にそれだけでは足りないようだ。自分のペースでのどを暖めるのがむずかしいし、自分の声がよく聞こえないのも私にはやりにくい。自主発声練習を念入りにやろう。
通しは、最初、みんなおっかなびっくり。1場は最近稽古してないというのもあるだろうし、本番一週間前なので緊張しているということもあるようだった。1場後半から会話がかみ合い始め、あとは『ロケット発射せり。』の世界が立ち上がってきた感じがした。
いつもより1時間早い、6時集合。きのうの通しのダメ出しを1場から順番に。
きょうの稽古は朝10時から午後4時。2時からの通し稽古の前に、2場の終わりから、3場、4場を稽古。音響効果の爆発音で不安な気持ちが大きくなって、他の人の台詞の途中で「え?」と反応してしまった。ら、それが採用になった。
3場で、ミキオに出すコーヒーを床に置くときに自分の手にこぼして、やけどしそうになった。コーヒーを置く、という本来の目的よりも、自分がどういう姿勢でどのように台詞を言うかということのほうに過剰に意識が行ってしまっていた。なんという失態。
じっくり丁寧に稽古は進み、気がつくと12時を過ぎていた。まだ3場の途中。お昼休憩もとるんだし、これでは通しの前に最後まで行けそうもない。昼休憩の後は、シーンを飛ばし飛ばし、ラストまで。「舞台の外」のスペースでは、衣装合わせ、オブジェ作成作業、当日パンフレットの校正なども進行。あぁ、ほんとに本番が近づいているんだなぁ。
2時を少し回って通し稽古開始。衣装、小道具がおおむねそろい、俳優陣も本番用の髪型になり、本番が近いことがさらに実感される。前回の通しではぎこちない感じのあった1場がスムーズに進む。そのため、ポンポン行くべきところで少しでも間があくとぎくしゃくして、すごくくやしい。本番までに稽古を重ね、解消したい。
椅子の座面(ゴザ)と椅子本体(丸太)を繋ぐ「ふち」部分を、「民芸調のつぎはぎ布」で作成するという作業があり、私のすごく得意そうな内容だったので引き受ける。夜、私と、近所に住む劇団員とで、キャッソーの和室でミシン2台体制で作成。布を切るのにキルターの秘密兵器(別に秘密ではないんだけど、キルター以外にはあまり知られていないようだ)「ロータリーカッター」を出してきて、他の人たちに感心される。東京公演に行ったときにハンズで買いたい、とまで言う人がいたが、百万両(小倉駅近くの、大きな布地・手芸品店)の3Fにも売っているよと教えてあげた。
時を同じくしてキャッソーのダイニングキッチンでは美術の人がオブジェの作業をしており、その設置についての打ち合わせに演出家、舞台監督、装置班の人たちがやってきたりして、いつもは私一人でいるキャッソーがにわかににぎやかになった。
飛ぶ劇ウェブサイトに載せる用の稽古日誌を書く番が、再度回ってきた。
小屋入り第1日。朝、劇団の人たちが、キャッソーに置いてある工具や材木などを取りにきた。オブジェのパーツも持ち去られ、ダイニングキッチンが広々となった。
きのうの稽古日誌を夕方やっと書き上げ、メールで送る。
夜8時から稽古ということで、7時過ぎに劇場入り。劇場の敷地に足を踏み入れたとたん、ぽつぽつと来て、階段を駆け上がってひさしの下に入るや否やザザーッとものすごい夕立。海に降る雨に、しばらく見入る。工場の煙突の白煙や、遠くの灯りが、棒のような雨の薄い幕の向こうに透けて見えている。家を離れて遠くの街に来ていることが、ことのほか意識された。
8時30分から稽古。予定では、1場と4場。劇場入りしたのと、朝から作業で疲れていてハイになっているのもあるかもしれないけど、とにかくみんななんだかきりっと緊張して、わくわくした感じだった。他の人の演技で、ちょっとわざとらしいのでは?と稽古場で疑問に思っていた部分も、ESTAの舞台だと違和感がなかった。
1場の次に、イメージシーンの2番(防護服、ヘルメットを着用する)と3番(同、脱ぐ)をやり、目線の高さなどを決める。
4場は、冒頭部分のみ。こそこそっと耳打ちされるところがあり、たぶん先週の木曜日だったと思うけど、それまで舞台奥を向いてしていたのを、舞台前に少し出てきて正面を向いてするようにという指示が出て、それ以来どうもくすぐったくてうまくできない。左耳から右耳にかわったせいかなぁと思っていたが、相手役が「ねぇねぇちょっとちょっと」という感じで連れて行ってくれるべきなんだけど方向性がはっきりしなくて私が自主的に定位置まで歩いていってるのが恥ずかしいんだということに、稽古後の家で気づく。原因がわかれば、あとはそれを解決するだけだ。めどがたってよかった。
本番で使用する椅子は、丸太を舞台面に固定したものなのだが、いままではその日その日の稽古会場にある椅子(パイプイス、丸椅子)で代用して稽古してきた。テーブル周りの椅子は高さ45cmで、これは普通の椅子の高さなのでまだいいけれど、通路脇に置かれる椅子の高さは35cmなので(ビールケース横置きで練習したりもした。これだと高さはちょうど35cmだけど座面の大きさが大幅にちがう)、劇場入りしてホンモノを使ってみて稽古とだいぶ勝手がちがったらどうしよう、と不安に思っていた。だけど、わりと大丈夫だった。稽古のときに「いまはパイプ椅子だけど、ホントは丸太なんだ」と心にとめてやっていたせいもあると思うが。
仕込みがだいぶ進んだ。舞台面に床材が貼られ、中央のテーブルの脚もホンモノが付き、丸太椅子の縁取りもできた。アメーバのような形の木材のテーブルと丸太切り株の椅子のあるこの未来は、だれも見たことのない未来だ。「いかにもそれらしい」未来じゃないところが私は気に入っている。
8時から稽古。イメージシーン3つを、まずやる。私の出てるのは2番と3番。きのうもやっているので、特に問題はなかった。
3番から引き続き4場のアタマ。ここは、やっててほんとに楽しい。ただ、けっこう床が響くので、ばたばたするシーンは、声も大きくするけど、ばたばたし方も工夫したほうがよさそうだ。きのう解決方法に思い当たった「こそこそ話」のところは、稽古前に相手役と練習しておいたので、うまくいった。ラストシーンは、音楽(賛美歌)つきで一度やってみて、
「スローモーションは、なしにします」
と、あっさり決まる。でも、気持〜ちゆっくりめに歩くということになった。
3場のミキオ登場のあたりをやった後、
「やっておきたいところはありますか?」
となったので、上手から舞台に入ってきてちょうどいいタイミングでテーブルにつく、という段取りのところを練習させてもらった。2箇所あって、1つはちょっと遅すぎ、1つはちょっと早すぎてしまったが、だいたいのことはわかったので、あとは微調整できそうだ。
午後7時稽古開始の予定だったが、まだまだ作業を続行。テーブル中央のポールの上に、赤いオブジェも付いた。きょう東京で外部出演のためのオーディションを受けてきたキャスト2名の到着を待って、劇場入りしてから初めての通し稽古。
1場は、なんだかうまく滑っていかない感じだった。だれかの台詞が、ちょっと危うい。だれかの反応が、ちょっと弱い。だれかの間が、ちょっと長い。そういう「ちょっと」が積み重なってしまったように思う。2場の後のイメージシーンで気分が高揚していく自分に気づく。最初からこうじゃないとダメなのになぁ。
きのう練習した、ジャストのタイミングでテーブルにつかなくちゃいけないところは、1つめはちょっと早すぎ、2つめはうまくいった。練習あるのみ。
ラストで、台詞も言い終わって、さぁはけるぞというときに踏んだ一歩がぎぃっと鳴って、いやだった。あとでその周辺を踏んでみたけど、どこを踏むと鳴る、と特定できなかった。さてどう対処したものか。
16時からテクリハの予定だったが、舞台の仕込みが押して、テクリハ開始は20時から。最初は出はけのあるところをピックアップしてやっていったけれど、時間が足りなくなり、後半は、照明、音響のきっかけのあるところのみ。
今回の芝居では、「停電」、「雷雨」、「どこかで爆発音」といった指定があるのだが、いままでの稽古では、「停電!」、「電気がついた!」などと言ってもらってそれで反応を取っていた。それがきょう実際電気が消えたりついたり、すごい爆発音がいろんな方向から聞こえてきたりすると、それに合った反応というのが自然に出てきて、その結果いままでやってきたのとちがう段取りになったりした。こういった場合何をどう優先して稽古を進めていくべきかというのはなかなか答えの出すのがむずかしい問題だと思った。というか、さらに考えを進めると、稽古場で稽古できない(劇場入りしてからでないと決められない)段取りのある台本を書くことの是非、というようなことにまで話は広がっていくのではないだろうか。劇場あるいは本番通りに仕込んだ稽古場で、2カ月継続して稽古できればベストなんだろうけども、目指す姿がそれなのかというと、そうとも言い切れない気がするし。
きのうラストシーンの段取りがかわり、「安則」が「貴子」に風船を渡すことになった。そこの細かい演出が、きょう、ついた。演出家が私の相手役となって、ここでこう、ここでこうする、というのをやってみせた。演出家って、どうしてこういうふうなやってみせる演技がうまいんだろう(でも、再現性という点で俳優に負けるんだと思う)。
稽古ができなかった、羽交い締めにされて銃を突きつけられる、というシーンの段取りを、相手役と二人で確認しておいた。
昼食後、カーテンコールの段取りをつけ、その後、ゲネ。踏むと鳴るポイントはだいたい特定できた。稽古より内側に立つようにすれば大丈夫だった。
楽屋のことを少し書いとこう。青年団の場合、キャストの中に楽屋を快適にすることをすごく大事に考える人がいることが多く、荷物置き場を確保して鏡前はなるべく物を置かないようにしたり、寝転がれる場所を作ったり、とりあえず不要な物は楽屋以外にしまい込んでスペースを広げたりということをするので、楽屋は割と片づいている。今回の飛ぶ劇場の楽屋は、小道具も私物もいっしょくたにがーっと鏡前に積み重なっていて、その雑然さに最初少しびっくりし、あー、楽屋は物を置いとく場所で、みんなあんまりここに「居る」ってことがないのかな?と思った。私自身、片づけ上手ではないので、雑然としてるくらいのほうが気は楽なんだけど。
本番、7時開演。三角形の舞台を囲む客席いっぱいの観客。
テーブルに置かれている風船が3場の途中でふらふらと床に落ちるというアクシデントがあった。この風船は、ラストシーンで私に手渡されなければならない。そういう段取りがあることは皆知っているので、だれかが拾って定位置に戻してくれるだろうと思い(私は舞台上にいないシーンだった)、動線から見てあの人かあの人がそれをやってくれるだろうという予測も立ち、もう安心してそのことは忘れていた。で、4場の途中でふと気が付くと、テーブル上に風船がなく、見ればなんと客席通路に落ちているではありませんか。風船を拾う、という予定外のことをするのは、だれだってできれば避けたいだろう。だけど、後の段取りに必要であり、しかも放置すると客席まで漂っていってしまう危険のある(実際漂っていってしまった)風船を拾うのは、けっこう優先順位が高いんじゃないだろうか。と私は思うのだが、その辺の考え方は、人によってちがうのかもしれない。他の人も自分と同じ優先順位でものを考えていると思い込み、拾ってくれると思って安心してしまった自分の、詰めの甘さを反省。
家に帰ってから、台本を読み直す。今回の公演では、自分の劇団でやっているときよりも稽古量が少ないので、台詞や間や段取りを身体に定着させるため普段よりも台本をひんぱんに読んでいる。
きのうの終演後から、風船がテーブルから落ちないようにするため、テーブルの穴(くぼみ)を深くする、底を軽く粘着質にしておく等の対策が講じられた。
きのうの芝居は、前半、間が稽古のときよりも伸びていた、とのダメ出しあり。
本番7時開演。終了後、鈴江俊郎さんと泊篤志さんのトーク。バラシの段取りのミーティングの終わるのを待ち、何人かでラーメンを食べに行った。
10時集合。11時から舞台写真撮影(稽古を兼ねて)と聞いていたのだが、10時30分開始とのことで、急いでウォームアップをする。身体を早く起こしたいので、ぴょんぴょん飛び跳ねる系の動きを多用。途中ダメ出しをはさみながらの写真撮影が終了すると、もう受付開始時間が近かった。あとずさって舞台を降りるところを自主練していて、舞台のふちに取り付けてある細い木材をはずしてしまい、釘を打ち直してもらった。
13時開演。終演後、お弁当を買ってきてもらって食べているとまもなくソワレの受付開始時間となる。17時開演。終了後、土田英生さんと泊さんのトーク。バラシ後、ロビーで乾杯。
公演自体は西鉄ホール、こまばアゴラ劇場と続いていくんだけど、ESTAでのこの舞台はきょうでもう終わってしまうので、「あー、終わったー」という感じが強かった。ESTAを出て、もう少ししゃべりたくて、友とメキシカンレストランへ。店のおじさんがテーブルで眠り込んでいるのを横目で見ながら、2時過ぎまで話す。いま北九州で一人暮らしで家でほとんどしゃべらないせいか、人に会ってると、ときどき、しゃべりすぎるくらいにしゃべってしまう。
稽古再開。カット、台詞変更が数箇所あり、その確認と稽古。ESTA公演のダメ出しも何箇所かあり、そこも稽古。
午後、泊さんから台詞の変更(私と相手と1行ずつ追加になった)がメールで送られてきた。
追加前 | 貴子 コーヒー出来ましたよー。 ミキオ 出てくんな! 貴子 はい!(引っ込んで)でも、コーヒー出来ましたから。 |
追加後 | 貴子 コーヒー出来ましたよー。 ミキオ 出てくんな! 貴子 そんな事言ったって…。 ミキオ 今、ちーっと取り込んどっけん、そこんにきでおとなしくしとってくれんな? 貴子 でも、コーヒー出来ましたから。 |
たしかにこの台詞が入ったほうが、ここの展開に唐突な感じがなくなる。なんだか嬉しくなる。台本に書き込み、何度も言ってみる。
7時集合で、どんなに遅くても7時35分には通し稽古を始めるという予定。少し早く着いたので、一人で身体を動かしたりして稽古開始を待つ。きょう変更になったところも、相手役と台詞を合わせておいた。
きのう大幅な台詞変更のあったシーンを、通しの前に稽古。私は出ていないので、台本を見たり稽古を見たり。きのう、きょうと、なんだか稽古場がものすごくなごやかな雰囲気だ。楽しいのはいいけれど、このまま西鉄ホール公演の本番に繋いでいけるのか、どこかでガタッとくずれないだろうかと考えるとちょっと怖い気もする。
通しは、北九州公演時(1時間55分)よりも6分短くなった。
西鉄ホールの仕込み。4時からテクリハ開始の予定とのことで、その前にウォームアップ等できるよう3時頃劇場入り。仕込みが押していて、テクリハ開始となったのは6時頃。まず、音響・照明のきっかけのあるところを。夕食後、ESTA公演後に変更になった部分の稽古および俳優それぞれの「ここをやってほしい」申告に基づく出はけの稽古。
きょう劇場入りしてから変更になった部分も多く、ちゃんと覚えていられるか不安になり、
「大丈夫、大丈夫、ちゃんと覚えてる、覚えてる」
と自分に言い聞かせていたら、演出家に、
「何年芝居をやってるんですか」
と言われた。
ホテルに帰ってTVをつけたら、NHKで人類、月に立つ 第8回アポロ13号という番組がちょうど始まるところだった。どちらかというと報道のあり方に重点を置いた番組だったけど、宇宙は宇宙のことであり、好きな映画アポロ13のことを思い出したりしながら、興味深く見た。
上手通路から舞台上のテーブルに、きっかりのタイミングで着くところは、北九州と福岡で通路の長さがちがうので、歩き出しのタイミングがかわってくる。稽古でやってみた結果を、台本に、この台詞のここで歩き出し、と書き込んでおく(私はあまり台本に書き込みをしないほうだけど、こういうのは書いておかないとどこだかまったく忘れてしまうので、書きます)。
10時劇場集合。作業の続き、昼食のあと、1時半から、ゲネ。一箇所、通路を走り去るときに勢いあまって客席スペースに一歩踏み入れてしまった。「ホントはそこは壁なのにね」とだれかに言われて、とまどう。舞台と客席の境界の解釈が、青年団と飛ぶ劇場(これはでも個人個人の言ってることなんで、集団として統一見解があるのかどうかは聞いてみなかったのでわからない)でちがうようだ。青年団の場合、「舞台と客席の間には、寒天のような薄くて透明な幕がある」と言っていて、劇場という現実の空間の中に、シャボン玉のような水饅頭のような舞台空間がぼよよんと出現しているというイメージだ。だから、もし舞台上からピンポン玉がころころころっと転がっていったとしたら、客席に落ちる前あたりでどこへともなく消えていかなければならない(だから、絶対に客席に物を落としてはいけないと言われる)し、舞台袖にはけて行った人の足音は小さくなって消えていく。
前半が間のびしていた、前半をきっちり積み上げないと成り立たない芝居なので気をつけるようにと全体に対してダメ出しあり。
きのうだったかきょうだったか忘れたけれど、「ここまで強くは言えない」という台詞を「ここまでは強く言えない」と言ってる人がいたので、まちがってるよ、と教えてあげた。それにどれほどのちがいがあるのか、という考え方もあるだろうけど、私にとっては、
「一方は台詞であり、もう一方は台詞ではない」
という感じである。俳優がちょっとまちがって言ってる場合、演出家がそれでもいいというときと直すときとあるから、最終的にどうするかは演出家の決めることなので、このような指摘をするときは、演出家のいる前で言うようにしている。
何箇所か抜き稽古(新しく演出のついたところもあり)をしたのち、本番は6時開演。きびきび気持ちよく進む。
ホテルの近くで、初日打ち上げ。車で帰らなくていいので、皆でゆっくり飲めて、しゃべれて、よかった。
午前中、11月の公演の出演者オーディションがあり、それを横目で見ながらウォームアップ。12時から稽古。みんなでやる体操と発声だけでは、私の身体が充分起きないと思い、きょうは自分のメニューで一人でアップ。1場を通して(途中とめながら)稽古。
その後、昼食と「静粛」。青年団では開場時間ぎりぎりまで劇場内で俳優が発声していたりするけど、飛ぶ劇場の場合、ロビーにお客様がいる時間は外にもれるような声出しはしてはいけないことになっている。本番前には静かにして気持ちを落ち着ける、という意味もあるようだ。でも、私は本番の前に歌を歌うのが好きなので、この劇場だったら音漏れは大丈夫だろうと思い、舞台面についた靴跡を拭きながら(私が羽交い締めにされて引きずられるときに跡がつくので、開演前にはなるべく拭くようにしている)、宇宙にちなんだ歌などを発声練習の一環として歌う。
九州での公演は、きょうですべて終了。あとは23日からの東京公演を残すのみ。
終演後、バラシをする人、人に会う人を残し、一人でバスで北九州に戻る。乗るとき運転手さんが乗ろうとする人一人ひとりに何か言ってるのでなんだろうと思ったら、
「クーラー壊れてますけど、いいですか」
と言っていた。一瞬どうしようか迷ったけど、乗った。風が入って、涼しすぎるくらいだった。普段クーラーに頼りすぎているんだなぁ、自然の風もいいもんだなぁと思った。
3日間外食続きだったので、夕飯は家で食べたくなり食材をいろいろ買って帰る。でも、疲れてもいて、結局簡単なカレーを作って食べた。
稽古は休み。夕方、ESTAのホール内にこまばアゴラ劇場をバミってみる。ESTA、西鉄ホールと比べてだいぶ狭い劇場なので、舞台から「トイレ」、「ポペスルーム」へ通じる通路の長さや角度がどうなるのか、出はけのスタンバイはどうなりそうか、などなどを確認。
コーヒーは、九州では電気湯沸し保温ポットから注いでいたが、アゴラのそででは客席に近すぎて注ぐ音が聞こえてしまいそうで、私はそれを心配していたのが、飛ぶ劇場の人たちは、「ポペスルーム内でコーヒーを実際注いでるわけだから、その音が聞こえるのはOK」という考えのようだ。8月11日のとこにも書いたけど、舞台と外部との境目のところの解釈が、青年団と飛ぶ劇場でちがうようだ。
お盆で会社が休みの劇団員が、ちょっとキャッソーに遊びに来たりした。
当初の予定では17日の夜まで稽古があって、私の北九州滞在は18日までということになっていたが、きょう制作の人から電話があり、
「東京入り前の稽古は、きょう明日で終わりということになりました。どうしますか?」
と言うので、16日の昼の便で帰ることにする。帰る日時を家族に知らせたり、荷造りをしてみたり、にわかに忙しくなる。
稽古場に使っている部屋の看板に描かれているハサミが左手用(柄を手前にして置いたとき、左手前から右前方に向かう刃のほうが、上側になる)であることに気づいた。いままで1カ月以上使っていて、ぜんぜん気づかなかった!
稽古は、1場、2場。椅子の上に膝をつくという動作のある人が、ガタンガタンと椅子にぶつかっている。本番用の椅子の高さ35cmに身体が慣れて、稽古場の45cmの椅子に適応できなくなっていたのだ。やっぱり、そうなるよね。こういうのを見ると、やはり「実寸」「実物」でずっと稽古したいなーと思う。
少しずつだが、台詞がカットになったり付け加わったりした。自分たちが昔新婚旅行に行ったのは南極か北極かという話の最後、話を聞いていたほかの人が、
(ペンギンがいたっていうなら、それじゃそれは)「南極ですね。」
と言って、それに対する答えがいままではなかった。きょう、そこに、
「あーそうそう」
と私の台詞が追加になり、たしかにこのほうがいいなぁと思った。いままで、もしかしたら、「南極ですね。」って答えた人が、無視されてる感じになってたかもしれない。舞台上にいる身としては見え方のことはそれほどよくわからないけれど。
私が直されたのは、ある台詞が軽くなってるから、「もっと重く、しっかりと」言うように言われた。
「はい、もっとピカード艦長みたいに言いますね」
と言っても演出家は「新スタートレック」を知らないので、そ、そういわれても…という感じ。ただ、これは私の中の符牒みたいなもので、そういうふうなコトバにしておくことによって自分の台詞の言い方や動きを、より客観的に覚えていられる。今回で言うと「ここは、DIY生命CM」、「ここは、天地創造」、「天本英世」などと決めてるところがある。他人が聞いたら「どこが天本英世?」と思うだろうけど。
稽古の後、キャッソーでたこ焼きパーティ。一度に12個しか焼きあがってこないものを6〜7人で囲んでいるから、食べても食べてもちょっとだけ食べたりない感じがして、そしていつまでもいつまでも食べ続けてしまう。たこ焼きのワナである。
最後の稽古は、3場、4場。またまたちょっとずつ台詞のカット・追加がある。3場で進入してくる「発射反対派」が、人の話をまったく聞いてないおばさん(私)に逆上して、
「あんた、人の話聞いてないだろ。」
という台詞のアタマに「『オイ』って入れて。」と演出家。そして、やってみせるとまたこれがうまい。ラスト1ページ弱を残して稽古終了。
劇中歌「あなたの肩に猫がいる」の2番、3番のコーラス部分の録音を、キャッソーで行う。公演で使うわけではないけれど、間に合えば東京公演までにCDを作りたいとのこと。
昼の飛行機で帰京。北九州空港まで車で送ってもらう。また来週東京公演で会うとわかっていても、さびしくて涙が出そうだった。じゃぁね、と言って、ふりかえらずに空港ビルに入る。
久々の東京は、北九州に比べて太陽のパワーが弱いように感じた。暑いのは暑いんだけど。
知人、友人に、東京公演の案内の手紙を書く。一言二言の手紙なんだけど、10人分書いたら疲れてしまった。あとは明日。
「われらヒーロー」のときのフランス人演出家たちがいま来日しているので、きょう、夜、久しぶりに、そのときのメンバーなど何人かで集まった。九州はどうだったか、青年団以外の人たちと一緒にやるのはどうだったか、などいろいろ聞かれてしゃべるうちに、自分の漠然とした印象がコトバになって整理されていった。
さらに公演案内の手紙を書く。
台風でフェリー欠航。装置を積んだトラックは、陸路で来ることに。先発隊の人々は、深夜、飛行機で無事到着。たった4日ぶりなのにすごくなつかしい。
夏のサミット2001関連企画の突貫屋・舞台美術ワークショップが開催されている中、後発のメンバーが次々到着。台風で飛行機がダメで新幹線で来たとか。このワークショップに朝から参加したくて夜通しトラックを運転してきた二人も無事着いて、元気に参加していた。
ワークショップ終了後、ちょっぴり仕込み。通常客席が組んである部分をフラットにして使うので、客席を構成している平台や脚を搬出。照明、一部吊り込み。
「夕食をすませて、7時に来てください」とのことで、7時15分前頃に劇場入り。舞台の仕込みはその時点で3割程度しか終了していなかった。私の見た印象だけど。ESTA、西鉄ホールですでに公演してきているわけだけど、アゴラの仕込みにはいちばん時間が掛かっているようだった。
ホールの大きさでいうと、西鉄>ESTA>アゴラとなる。狭いところにいままでどおりのアクティングエリアを確保しようとしていろいろなことが「現場処理」となり、時間を喰ってしまった、のではないかと思う。
きょう到着のメンバー二人が飛行機で無事に着き、これでキャスト全員がそろった。
懸案の「ポペスルームでコーヒーをいれる音」については、「音がしないほうがいい」と演出。電動でお湯を汲み上げるポットではなく、コーヒーメーカーを使用することに。
結局、いろいろなところを「仮」で処理して、テクリハが始まったのは11時頃だった。さすがに、北九州、福岡と本番を経験してきただけあり、台詞のまちがいなどもなく、テキパキテキパキと進んでいった。3場でミキオ(反対派)にコーヒーを出すところは、稽古段階では「床に膝をつき、手を伸ばせるだけ伸ばしてコーヒーを置く」というプランだったのだけど、狭いアゴラでは通路の長さが短いため、カエルか犬のようにしゃがんでコーヒーを置くことになった。これもおもしろそう。12時頃稽古終了。
「ねぇ、さっきさ、『動き出す』って言ってたよね。」
という台詞があって、相手役が、私が「ねぇ」って言ったときにこっちを見るときと見ないときがあって、どうも一定しなくてやりにくいので、「ねぇ」で見る、というふうに決めてもらった。その人は、他の人からも、
「靴を受け取るときの受け取り方が毎回ちがうので不安になる。決めてください」
と言われて、
「同じにしてってあっちからもこっちからも言われるよぉー」
って言っていた。段取りをきっちり決めないでやりたい人のようだ。
劇団員は8時30分から仕込みの続き。客演の私たちは10時入り。昼食後の13:30頃から稽古開始。ラストシーンの風船の受け渡しの段取りに、細かい演出が入った。
15:30稽古終了、即ゲネプロ開始。アゴラ劇場に来てからまだ一度も稽古していないシーンも多かったが、さほど問題はなかった。ESTA、西鉄では舞台手前のラインが劇場と平行だったが、アゴラでは、舞台と劇場の関係が「斜め」になっている。そのため見える景色がちがってきているのがおもしろかった。
本番7時開演。
きょう、明日、あさってと、マチソワつまり昼・夜2回公演の日が続く。
昼公演に合わせて多めにウォームアップをしたつもりだったのに、口がまわらないところが少しあった。
夜は、商店街の盆踊りと重なり、外から盆踊りの音が入ってきていた。舞台上にいる分にはさほど気にならなかったが、客席ではどうだったんだろう。
ラストのところを「いつもと変えたでしょう。」と終演後に演出に言われた。風船をもらって、あごに付けて、というのはきのう演出がかわってから一貫してやってるので、私の主観的には同じことをやっているのだが、あごに付けてる長さ、そのときの表情が、ちがっていたとのこと。おおざっぱだったなぁ、私。反省。でも、言い訳だけど、今の段取りが決まってから充分に稽古できていたらきっと東京公演開始前に「決定打」を出せていたのに、とも思う。
昼に見にきた友に、客演って感じじゃなかったと言われた。なじんでたというか公演の雰囲気の「先頭を切っていた」とのこと。
いままで一度もまちがえたことのない台詞を、きょうのマチネでまちがえた。しかも、終わって人に指摘されるまで、自分がまちがえたことに気づかないでいた。正しくは、
「ガン、エイズが遺伝子治療によってほぼ完治するようになった今、新たな病がぁ!」
なんだけど、前半を、
「ガン、エイズが遺伝子治療によって完治した今」
って言っちゃった。「コトバの長さが短くて、動作が間に合わなかった」という印象はあったんだけど、これが原因だったか。
だけど、死に至る病デス・シックスを説明するこの一連の台詞(この後にもうちょっと続く)は、最初台本をもらったときにどう言ったらいいか途方にくれた部分である。自分のコトバとして言うにはあまりにも説明的で。それで結局、「TVコマーシャルのナレーションをそのまま真似している」というつもりでやってる。私としては。
昼公演の後、ちょっとダメ出しあり。夜公演では、いつも客席にいる泊さんの姿が見あたらなかった。後で聞いたら、客席が満員で入れなかったとのことだった。
苦手な最終日。楽屋で「きょうが最後だね」というような話が出始めたが、聞かないようにしていた。話に加わったらきっと泣いてしまう。泣いちゃっても私はけっこう平常心なんだけど、周りの人が動揺する。本番前に動揺させたら悪い。
きのうと同じく、2時と6時の公演。午前中劇場内では秋の公演のオーディションが行われていて、ウォームアップに使えなかったので、12時から身体を動かす。マチネに合わせて身体を起こすことが目的なので、はぁはぁするまで動き続ける。
マチネ。段取りとかものすごく正確できっちりして、気持ちがよかった。
今回の公演は、客席が近いし明るいので、友だちとかがどこに座っていたか結構よくわかる。という話を楽屋でしていたら、ある俳優に、
「そういうの見てるときは、素(す)なんですか?」
と聞かれた。いやいや、相手役を見てる目線の端っこに客席が入ってきてるけどそこに焦点を合わせてるわけじゃないので、素になってるわけじゃないよ、と答えていて、以前大先輩俳優に聞いた、「予期している以外の刺激を舞台上でどう処理しているか」の分析のことを思い出した。そのような刺激は、「いったん受け入れてから捨てている」というのである。客席にだれだれがいると認識しながらそれに左右されないで演技を続けてるのも、まさにそれだなぁと思った。
ソワレ。情緒に流されず、最後までやりきることができた。
バラシの後、5Fの稽古場で打ち上げ。もう一人の客演の人にあげる寄せ書きの色紙が用意されているのは知っていた(私も書いた)ので、私の分も色紙と思っていたら、キルターの私のためには一人一枚ずつ布にメッセージを書いてくれていた!そういった署名を集めて1枚のキルトに仕上げたのをフレンドシップキルトとかシグネチャーキルト、メモリーキルトとかいうんだけど、そんなキルトはけっこう私のあこがれで、いつかだれかに作ってあげたいな、いつかいつか自分も持てたらいいなと思ってたんだけど、最初のフレンドシップキルトは、これを使って自分用に作ることになるんだと思ったら、すごく嬉しくて、もうもうぽろぽろぽろぽろ泣けてきた。
嬉しくて泣いて、別れがさびしくて泣いて、初めは朝までいてみんなを見送ろうと思っていたんだけど、これでみんなが帰ってしまったらそりゃさびしくてたまらないだろうということに気づき、電車が動くのを待って早朝帰ることにした。
「その顔で帰るの?ふられたみたいだよ」
と言われるくらい泣いちゃってた。もともと泣き虫は泣き虫で、「情緒に流されるな」、「不用意に感動するな」と用心してきてたのが、きょうは一気にくずれた。もう明日は公演がないから、目がはれてもまぁいいか。