「再/生」横浜公演が終わった。
終わったから告白するけど、あの照明は、僕としては、まったく満足の行くものではなかった。多くのお客様に照明をほめていただいて、ちょっと申し訳ない気持ちになった。しかし、上演期間中の作品の内容に関することを「実は満足できていない」などと言うべきではないので、公演期間が終わるまで我慢して黙っていた。
以下、少し雑文になるが、ランダムに書き記す。
横浜公演の照明は、
・三原色(青=#73、緑=#52、赤=#20)の地明かり
・二原色(青緑=#57、朱=#22)プラス、白(#B-2)のコロガシ
・ミニパー6台の白くて明るいポチ、兼、タダフラ版用の鍋サス
・ソースフォーのスラッシュ「/」(デスロック版用)
・アフタートーク用の前明かり
で構成されていた。この仕込みで、決定的に不足していたものがある。それは、「白い地明かり的なもの」である。全体を白く普通に明るくするには、三原色の地明かりをすべて同時につけるしか、基本的に方法がない仕込みなのである。これがまずかった。
当初(仕込み時点)は、「全体を白く普通に明るくする」というのは、「必要ない」というのが僕の判断であった。しかし、その判断が、結果的に誤っていた、ということである。結局、アフタートーク用の前明かりをちょっと改良して公演でも使うようなハメになった。
今回のような「初演作品」の場合、仕込み時点では、作品全体がまだ完成していない。したがって、作品が「これからどのように仕上がるか」を予想しながら仕込みをしなければならない。ところが、今回は、そこに「時差ぼけ」という強力な敵が立ちはだかった。
横浜公演は「デスロック版」と「タダフラ版」の2本立てだった。で、デスロック版の舞台稽古が昼過ぎから夕方まで、タダフラ版の舞台稽古が夜、というスケジュールが連日続いたのだが、これが災いした。ヨーロッパから帰国したばかりの僕は、連日、デスロック版の稽古の時間帯に、全身麻酔を打たれたかのような睡魔に襲われていたのである。この時差ぼけが(それを言い訳にしてはいけないのだが)、僕の作品理解を遅め、結果的に、仕上がり予想を見誤り、プランを失敗する結果となった。
本番の前日、前々日には、演出家の要請にただ応える形での仕込み替えを、何カ所も行った。照明設計の不具合を演出家に指摘されるまで気づかないというのは、僕としてはほとんど「最悪の事態」である。「何のための照明デザイナーか」と、苦悩する数日であった。
とにかく、小屋入りしてから初日まで、「こうあるべき明かり」を作ることが、まったくできない状態だった。その間、僕は、とにかく「ダメな明かり」を排除するということしかできない、「消去法のデザイン」しかできない状態で、精神的にもかなり落ちた状態になっていた。
初日が開き、意外にも(と言っては失礼だが)照明をほめて下さる方がたくさんいらっしゃった。おかげでずいぶん勇気づけられた。今だからこそ、こうして自分の照明を冷静に分析できているが、初日の時点では、何が悪いのかわからず、とにかく「この明かりは本当は間違っている」という感覚(それは論理的な帰結ではない)にとらわれていた。
僕は、糸口が欲しくて、連日のアフタートークをすべて聞いた。そこで演出家から観客に対して発せられる言葉に、僕は必死ですがっていた。
公演が二日目、三日目と続く内、ようやく、何がまずかったのかを分析できるだけの冷静さが自分の中に戻ってきた。しかし、途中で仕込みを全面変更して作り直すということはできなかった。それは、オペレーションブースの環境が悪く、舞台の半分以上がオペ中に見えない状態だったことが関係している。
横浜公演の照明、皆さんがほめてくださっているし、結果的には決して悪いものではなかったのだと思う。しかし、僕は、少なくとも初日までは本当につらかったし、最後まで「満足」はしていなかった。
今回の最大の反省は、「自分の腕を過信したこと」である。作品が出来上がる前に、照明を作り切ることが、自分には常に可能だと思いこんでしまったこと、これが、敗因だ。
今回のことは重々反省して、今後に生かしたいと思う。
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