京都の仕込み

京都の劇場(KAIKA)は、照明機材がLEDパー12台以外はほとんど何も無いと聞いていたのだが、関係者のお取りはからいで、QSが26台、パーが10台など、かなりの量の機材が実際にはあった。そこで、最初に僕が現場で考えた仕込みは、

・B3のストレートの前明かりを2列(舞台前端と、シーリング位置)、各QS×5、一応すべて単独回路で
・PAR(M)でSS
・舞台前端の上下にフットを4色(B2、73、57、22)
・フロントにLEDパー、上下3台ずつ
・ソースフォーを上下のフット位置に置いて、スラッシュ(/)。
・劇団衛星が天井に埋め込んだLEDパーも、あたりを変えて借用
・ちっこいミニエリスポみたいのがたくさんあったので、6台使ってバックフット

というもの。そして、KAIKA劇団版のワークショップの時に、ちょこっと照明をつけてみたのだが、どうもよろしくない。特に、前明かり2列の内、舞台側の1列が、どうも使いようがあまりない。あと、全体をブルーで押さえるといったことが、うまくいかない。LEDのブルーは強すぎるし散りすぎる。あと、SSとB2のフットが効果がかぶっていて無駄がある。

そこで、前明かりの舞台側一列をバラし、一台を加えた6台で、三原色のナナメにした。あと、B2フットも上下2台ずつにしていたのをやめ、1台加えて5台とし、舞台前に等間隔で並べてストレートのあたりにした。これだけのことをやるのに、2時間たっぷりかかってしまった。この会場は、お世辞にも仕込み勝手が良いとは言えない。上は天井貼りで、その天井板が一部空いていて、そこの隙間にタルキが流してある。そのタルキにハンガーで吊るのである。回路も全部ユニットにいちいち引かなければならない、要するに完全仮設である。

一人での吊り替え作業は、想像を超えて大変であった。しかし僕にとっては、こういうことはしょっちゅうである。つい先日の沖縄もそうだったが、青年団でもデスロックでも、設備が乏しいところでやたらと苦労して仕込むということが、なんだか頻繁にある。一方、新劇や学校周りの旅公演なんてのは、9時に小屋入りして11時に開演したりするスピード仕込みが可能になっている。これは、いわゆる一般的な「劇場」という場所が「そういうこと」のために効率化されているからである。この国では、「劇場」は長い間、「作品を創る場」ではなかった。現在でもほぼそういえる。じっくり「作品を創る」ことができるような劇場は、現在のこの国にはほとんどない。だから、学校の教室や集会所など、本来劇場として建てられていない場所を「劇場として使えるように改装する」ということが行われる。そういうところは、「ものを創る場所」という理念に基づいて作られているから、人材やコンセプトは非常にちゃんとしている。ただ、劇場というハードウェアは、作るのがとても難しい。だから、京都の芸センにしろ、鳥の劇場にしろ、素晴らしい人たちによって素晴らしい理念で運営されていて、カフェも併設、機能も充実、なのに、暗転しても舞台は薄明るく、外の音は中にダダもれなど、劇場としての最低条件を満たすことも出来ないような状況になってしまっている。

僕は、そういう状況自体を悪いと言っているわけではない。しかし、そういった草の根的に作られた「改装劇場」群の上には、きちんとお金をかけて作られた「本来の意味での劇場」が、「作品を創る」場として機能しているという、階層的な構造になってないと、いつまでも芸センや鳥の劇場が、「素晴らしい劇場」だというところで止まってしまって、そこから脱せられないと思う。

JNSK君が先日アフタートークでも言っていたように、「劇場」とは場所を指す言葉ではなく、その機能を含む概念である。「学校」や「病院」や「裁判所」や「刑務所」が、単に場所を指すだけでなくその機能を含んでいるように、本来「劇場」とは、単なる場所ではなく、そこにあるべき人材や機能が含まれていなければならない。

人材や機能を置き去りにして、立派な場所(ハコもの)だけをやたらと作って、そこが「劇場」と呼ばれて来ている。その状況を、少しずつ変えていかなければならない。それが、僕たち舞台人のミッションである。

京都の現場の様子を書き始めたつもりが、ちょっと話が大きくなり過ぎました。


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