そして、一番最後にラストシーンの稽古が行われます。ラストは照明の変化があります。一番多くあるケースは、ラストに「暗転〜挨拶明かり〜客電」と変化するものです。中にはラストに暗転しない作品もありますが、今のところ、「最後は暗転で終わり」という形が最も多いです。
というわけで多くの作品においては、開演からずーっと変化せず、ただ舞台をじっと照らしていた照明が、ラストになって初めて動き、徐々に暗くなり、そして暗転するわけです。ですから、「このラストのフェードアウトこそは、照明さんが強い思いを込めて行う、一番大事な瞬間なんだ」という、嬉しい誤解をする方が数多くいらっしゃるのですが、実は私自身はフェードアウトなんて全然興味ありません。ここまでの各章を注意深くお読みになった方は既にお気づきかも知れませんが、私の興味は芝居中についている明かりの微妙な方向やバランスなのであって、ラストの暗転などは二の次なのです。「芝居の最後に暗転する」というのは、私にとっては「役者の顔が見えなければならない」というのと同じレベル、つまり、「戯曲&演出の要請」以上の意味を持たないのです。
ですから、最後の暗転の「フェードアウトのスピード」や「暗転している時間」などは、全て演出家に一任しています。
こうして舞台稽古が終了します。もうこの時点で本番をできる状態になっているのですが、実際には本番の前に必ず「ゲネプロ」が行われます。ゲネプロとは、本番と全く同じ条件で、本番と全く同じことを行う、いわば「疑似本番」のことです。これを行うことで、演出・演技・段取りをはじめ、美術・照明・メイク・衣装・小道具など、全てのセクションで問題点がないかをチェックすることができるわけです。とは言っても、青年団の場合はゲネプロで問題点が出ることはほとんどありません。大抵はそのまま本番をむかえます。
ここまで来たら「青年団の照明」は完全に完成です。その劇場における、照明プランナーとしての私の役割は全て終了です。本番自体に私自身が直接関与することはあまりありません。青年団の照明における「本番」というものは、結局のところ、それまでの過程で決めたことをただ実行するだけですから、操作のレクチャーさえ受ければ誰でもできます。コンピュータ制御の調光卓を使用している場合などは、照明の知識など全く無くてもボタンだけで操作できますから、出演していない若手の俳優に全ての操作をまかせてしまうこともあります。例えば、青年団の本拠地である東京駒場のアゴラ劇場の公演の場合、ほとんどの本番において、若手の俳優に全ての照明操作をやってもらっています。
本番が順調に滑り出したら、もう私は、なんにもすることがありません。受付でお客様の荷物を預かったりしながら、次の会場のプランはどうしようかなぁ、などと考え始めたりします。
出演している役者達は、一回一回の本番ごとに、その舞台に存在するべく、演技をしています。お客様はその本番を見に来て、そこで初めてその作品に出会います。