家で仕事。あいまに、刑事コロンボ『溶ける糸』を見る。ネタバレと言えば、この邦題も相当の「ネタバレ邦題」だ。
レナード・ニモイがゲスト。予想外に犯してしまった殺人の「動機」を偽装しようとするニモイに殺されちゃう元麻薬中毒患者(「ほら、やっぱりコイツがヤク欲しさにやったんだ!」と思わせるため、モルヒネを注射されて、朦朧となって階段から落ちて死ぬ)というのが出てきて、でも、コロンボが、
「この人は左利きです。きのう左手で煙草を吸っていた。なのに左腕に針の後があるのは変」
と見抜くんだけど、その俳優がたぶん右利きで、煙草を吸うのだけは左手でやっていたけれど、その直前の動物にエサをやっているところとか、煙草の箱を胸ポケットに返すのとか、髪に手をやるのとか、右手が主に働いていた。残念に思った。
夜、五反田団照明仕込み。
フレデリックのワークショップ、3日目。最終日。「にくきもの」の発表。他のグループの発表を見るときに、きちんと見て、ただ「おもしろかった」「よかった」じゃなく批評を述べられるようにするように、と言われ、メモを取りながら見る。自分たちの発表のときは、私は、決めてあった「ゲームのルール」を度忘れしたり、一つ前に他の人がどの部分を読んだのかわからなくなったりしていた(人にはわからなかったと思うけれど)。変な緊張をしていたと思う。楽しいは楽しいんだけど、この4人の中で、各自のやりたいことがうまくかみ合っていかない部分がある。それは、この短期間では当然なことで、だから演劇には稽古が必要だってことになるんだけど、そこら辺りの焦燥感が、多少あった。
「3分間のストーリー」の仕上げのために30分の長い休憩。私も含め、書いた物を持ってきている人が多いのか、割と雑談。その後、車座に座って、発表。きょうの参加者は14人で、早退した人が一人いたから、自分を除いて12人分の「ストーリー」を聞いたわけだ。一人称で語る人、三人称で語る人。内容も、「社会」に寄っていたり、「自分」に寄っていたりさまざま。私のは一人芝居の台本なので、ト書きと台詞を読んだ。
疲れているのだが、ワークショップの余韻なんだろうか、興奮してなかなか寝られず、夜更かし。
小田急線で人身事故があり、午前中のロマンスカーは運休になったそうだ。温泉帰りらしい70代男性グループ(ホントはロマンスカーで帰ってくるはずだったらしい)が急行の中で、人迷惑だ、死ぬなら首でも吊ってくれればいいのに、と言っていた。
ワークショップ2日目は、3〜4人のグループで「にくきもの」を作って発表。私たちのグループは、「にくきもの」を言い合うゲームみたいに作った。やってて楽しいしおもしろいんだけど、他のグループはテキストを読む声が美しく響いていて、あぁ私たちはそういう視点は欠けてたかもと思ったら、やっぱり講評でフレデリックにもそういうことを指摘された。その後、作り直しを各グループで。フレデリックも回ってきて、見たり、こうしたほうがいいと指示したり。きょうはそれで終了時間になり、再度の発表は明日に持ち越すことになった。
帰る直前に、あした3分程度のストーリーを各自発表してほしい(きのう言った、「現代社会の中での女性の位置」ということに関係したもの)、という課題が出されて、「さーたいへんだー」とざわつく中、「お疲れさまでした」となる。
けさ5時までテレビを見ていた自分が悪いのだが、もうくたくただったので、グループの人はまだ練習したそうだったんだけど、すみませんと言って帰途につく。新宿から座れて、30分爆睡。それで元気になり、家に帰ってご飯を食べて、課題に取り組む。「台詞の少しあるストーリー。きのうみんながやった自己紹介のようなもの。無言で動きだけでもいい」と言われたんだけど、一人称で語る形にまとめることができなくて、一人芝居の台本のようなものになった。いままた、劇作法の本を翻訳しているので、そこからヒントを得た部分もある。
フレデリックのワークショップ1日目。現代社会における女性の位置というようなことを考えていきたいという話を聞いて、ちょっと、引く。私は、自分のことも人のことも、あまりそういう視点で見ていないし、見たいとも思っていない、と思うんだけど、どうかしら。
15人の参加者一人ひとりの自己紹介と、枕草子の「にくきもの」(の一部)をみんなで(呼吸を揃える、「いとにくし」は全員で言う等、「ルール」をだんだん増やしながら)読んで、きょうは終了。
友と、近くの食堂でご飯。この稽古場を使うときにたまに行くお店。主におじさんたちが来る店なので、女性二人連れには、お店のおばさんもお客さんも親切にしてくれる。おいしくて、安いし。二人で2時間近くしゃべっていたので、帰り際、おばさんに、
「懇談会は、もう終わったの?」
と言われた。
来年の『東京ノート』の旅公演用の、装置を作る日。「スロープ」の作成に携わる。
ミカンを入れてパウンドケーキを作ってみた。サラダオイルを150cc、砂糖を120ccくらいに減らし、タネを練った後、皮をむいた小粒ミカン4個を(袋ごと)ざくざく刻んで混ぜ込む。切り口にきれいなオレンジ色ののぞく、しっとりとおいしいケーキができた!
一段落つくとこまで!と朝の9時過ぎまで仕事をがんばってから寝た。起きたら12時半。雨で外が暗いし、一瞬いまがいつなのかまったくわからなかった。
夜外に出たら、きれいに晴れて、星がいっぱいだった。
マザーグースの、ring-a-ring o' roses, a pocketful of posesのposesは花びらという意味だと思っていたんだけど、英和辞書に載っていないのでビックリ。調べたらposy(花、花束)の複数形posiesらしいとわかった。まぁ、posiesのほうが、字面もかわいい気がする。
きのうは、日舞から帰ってきてご飯を作って食べて、一休みと思って布団に入ったら結局朝まで寝てしまった。歯も磨かず、コンタクトも入れたまま。
今週の後半に参加するワークショップの、事前に読んでこいというテキストを、きょう受け取る。『枕草子』の一部と、小川洋子の小説2編。送られてきた中には小川洋子の小説がもう一つあって、3本ともすぐに読んでしまったのだけど、ワークショップでは使わないはずの3つめの作品(『六角形の小部屋』)が、私には一番おもしろかった。
すごい久しぶりに、日舞のお稽古に行く。黒田節の復習と、手習い子。手習い子は、またまた忘れていて、「恩義忘れはせぬけれど(?)」まで。冒頭の桜のところは、前に習ったのとちょっと段取りがちがっていたような気がするが、前回の記録がまちがってたかもしれないし、よくわからない。傘を持つ前は、「袖持って開く、首(右から)」だけで終わりだった。おすべりの足も、左右逆に覚えていた(最初は、左足をひく。たしかに、そうすると次の「一歩踏み出す」がうまくいく)。蝶々のとこは、「いたぞ、いたぞ、行くぞ」のところの足が、お師匠さんも私も不確かだった。たぶん8月6日の日記に書いてあるとおりでいいんだと思う。次回、やってみよう。で、前回記録したところの後はこんなです:
- おすべり3回
- 右手は着物、左手は胸元(一本指)でお習字帳に向かう
- 墨すって、筆につけて、文字を書く、見る
- 右に見せて隠す、左に見せて隠す、やっぱり見せる
- たぶんここで、「手をすりすりしながらおすべり」が入ると思う。よく覚えていない
- 右手は着物、左手は胸元(一本指)で、下手舞台奥へ。ポーズ
- 手をたたきながら出てくる、すがりつく(?)
- 裾を直して、右手、左手、払って、あらためてお辞儀
まだまだ先は長いらしい。がんばろー!
ハシモトケンさんの日記に、「そんかし」という言葉が使われていた。「○○するとおもしろいと思う。そんかしそれはもう●●ではなくなってしまう」というような文脈。ハシケンさんは、話し言葉を書く達人の一人、と私は思います。
北海道から友が送ってくれたかぼちゃを食べた。薄切りにして、オリーブオイルをひいたフライパンで弱火でじっくり焼く。すっかり火が通って焼き色が少しついたら、お皿に盛って塩をパラパラ。カボチャとしっかり向き合えた気がする。おいしかった。
春に買ったドールハウスを、組み立てた。ドールハウスといっても、大人が飾って楽しむヤツじゃなくて、子供が使って遊ぶ系。マドレーヌちゃんを住まわす。引越(私の)に伴って、マドレーヌちゃんの家具は、ベッド以外処分してしまったので、またこれから作っていきたいと思っている。前回はバルサ材だったので、細かいことはできたけど、薄いし軽かった。今度はどっしり、そしてシンプルな感じにしたい。
一日じゅう、クイーンの楽曲が頭の中で鳴っていた。
いま『ヤルタ会談』の稽古をしている、と友が言う。20代前半(10代だっけ?)女子3人とのこと。発表会するなら見たいから知らせてね、とお願いする。
五反田団の『おやすまなさい』(女・女バージョンと、女・男バージョン)を見た。日常的な設定のように始まって、気がつくと、ここがどこで、この二人がどういう関係で、世界がどうなっているのか、すべてが自分の理解を超えていた。舞台上で展開していく、一つひとつの具体的なできごとは、わかる。おもしろかったり、ビックリしたり、さびしくなったりと、心も動いた。でも、そういうものを見聞きしながら、全体的には、まるで知らない世界が目の前にあった。ひと月に1回くらいずつ、あの世界に会いに行きたい。ロングランしてほしい。
先日、クイーンの、1986年ウェンブリー・スタジアムでのライブの、DVDを買ったのだけど、本日やっと、見始める。あぁ、昨年スイス、モントレーで見たフレディ像は、この衣裳、このマイクスタンドだったのね。歌うフレディ、ピアノを弾くフレディ、舞台上を歩くフレディ。観客を完全に掌握している。すごくかっこいい。
夜、五反田団仕込み。11尺の脚立がアゴラに新しく入ったので、照明吊り込みが、やりやすくなった。
フレミングの右手の法則みたいな形に指を曲げた五歳児が、ごれは「グチョパー」で、相手が何を出しても勝つ、と言うので、
「グーはパーに負ける。チョキはグーに負ける。パーはチョキに負ける。全部負け!」
と手でやりながら言ったら、怒って、蹴った。その子の母親に、
「○○が、お腹を蹴ったよ」
と言いつけたら、○○くんも、
「だって、おねえさん(私のことです)は、ぼくの言うことをわかってくれないんだもん」
とすねたような声で訴える。お母さんの答えていわく、
「おねえさんは他の大人みたいにあんたたちのことをちやほやしてくれないんだから、ちゃんと説明しなきゃわかってもらえないんだよ」
あぁ、私のつきあい方って、そうなのか、あぁ、そうかも、と思うとおもしろかった。ちやほやしないという気持ちはないんだけど、子供だから譲歩するというのは、そういえばほとんどないな。
いまの子供たちは、周りの大人が全部察してくれるので、自分の欲求などを言葉で伝えるのが苦手なんだそうだ。生徒が「先生、トイレ」と言うと、○○くんの母親(小学校の先生をしている)は、「先生はトイレじゃないよ」と答えるそうだ。
山崎努著『俳優のノート』が文庫になっていたので、購入。ものすごく共感できるところと、まったく共感できないところがある。それと、新国立の中劇場が、正面を向かないと声が全然通らなくて、『紙屋町さくらホテル』も『リア王』も、急遽ワイヤレスマイクを使用することになった、という話にたいへん驚いた。
実家に1泊。信濃毎日新聞に、佐久で保健所が高校生の性意識調査をしようとしたら内容が過激と学校側に反対されて中止になった、という記事が載っていた。
各校の意向を取りまとめた野沢南高の細川哲校長は「生徒たちは純朴で素直。アンケートを見て『みんなこんなことをしているのか』と驚かせたり、性行動を助長してはいけないと思った」と説明。という部分を読み、なんだか身体の力が抜けていくような気がした。大丈夫なのか?わが故郷、長野県。
来年の手帳が必要な季節になってきた。季節、というのはおかしいか。時期。昨年までB6判のビジネス手帳を使っていたが、今年は、ポケットに入るくらい小さいヤツにしてみた。それで充分だった。来年の手帳も、小さめで探してみようと思う。
すんごい久しぶりに、ロールキャベツを作った。前回、キャベツに対して具の量が少なくて物足りなかったので、ぎゅっと多めに具を巻いてみた。思ったとおり、ボリューム感のある出来上がりになり、満足。
スーパーチャンネルで、今週からまた『スパイ大作戦』が始まった。朝4時と8時。4時の回を見て、木曜は資源ゴミの日なので、段ボールなどをステーションに持っていって、それから寝た。出掛ける仕事がない時期は、昼夜逆転しがちである。
夜になって、きのうの昼に出掛ける予定があったことに気づく。というか、手帳を見たら、書いてあった! すっぽかしてしまいました。完全に記憶から抜けていました。しばらく、茫然としていた。
TVで、松田優作の『蘇える金狼』をやっていた。見たことのない映画なんだけど、どういうわけかずっと私は幕末の話だと思っていたので、現代の話でびっくりした。どうも、「きんろう」という音から「そんのう」→「尊皇攘夷」→幕末、と連想(連想でもなんでもないか……)していたようである。
キャベツ、豚肉、キャベツ、豚肉、キャベツと、ナベに層にして、フタをして、蒸し焼きにする。焦げつきそうだったら、少し水を足す。器にとって、各自塩コショウして、食べる。簡単で、おいしいです。
英訳の仕事を1件やっていて、全体の構成を考えながら、同時に個々の構成要素の英訳もやっていたら、むかし数学で、因数分解をしているのか解を求めているのかよくわからなくなってぐるぐる回ってしまいそうだったときのことを、思い出した。こういうときは、寝て起きるに限る。
雨降り。急に寒くなった。
『もう風も吹かない』B公演を見に行く。本公演とB公演と、2通りのキャストがあるわけなんだけれど、俳優というパーツ単位では、一人ひとりの声や姿形、立ち居振る舞いが、逆公演の同じ役の人とたいへん異なっていて、かといって無理矢理ちがうふうにしている感じもなくて(一般的に言って、ダブルキャストの公演を見に行った場合、そういう感じがするときがある)、とても興味深かった。
「レッドムーン」という北海道のおいしいジャガイモ。友から箱でいただいて、ゆでたり、ポテトサラダにしたり、ジャーマンポテト風とか、いろいろやってみているのだが、きょうは、太いフライドポテトにしてみた。もともと黄色味の強いイモなんだけど、揚げるとますます色が鮮やかで、「カリッ」と「ほくほく」のバランスが絶妙で、シンプルな塩味がよくあって、たいへんおいしかったです。
夕方から出掛けた。深夜帰宅する直前になって、あ、洗濯物を外に干しっぱなしで出てきてしまった、と気づく。数日前いえの人に、資源に出す段ボールは、家の外に置いておかないほうがいい、燃えやすい物を周りに置くと放火される危険があるから、とか用心深いようなことを言っていた私なのに、夜まで洗濯物がほしっぱなしじゃ「留守です」って宣言してるようなもんで、不用心この上ない。外に洗濯物を干す生活なんて、10何年ぶりなので、まだちょっと慣れない。
ふと見ると、器に盛ったみかんのうち、1つが腐っていた。腐ったみかんを指して「腐ったみかん」と言っても比喩のように思えてしまうのはどうしてだろう。
ヱビスの黒ビール(500ml)が、近所のスーパーだと駅前のスーパーよりも20円安く売っていることを発見! 今度からは、こっちで買う!
来年春の青年団プロデュース公演の、最初の読み合わせがあった。演出は、バリー・ホール。私は、脚本の翻訳を担当している。
きょうは、翻訳第一稿での読み合わせ。訳がこなれていないところがある上に、俳優の方々には直前にお渡ししたし、対訳横書きの脚本は慣れないとそれだけでも読みにくい。そのような悪条件の重なった読み合わせではあったが、実際に声に出して読んでもらうことによって、やっと戯曲全体の輪郭が、私にもおぼろげながら見えてきたように思う。第一稿で読み合わせをやってもあまり意味がないのではないかと、最初、私は、思っていたのだが、この時期に読み合わせをやってもらって、よかった。助かりました。
夜、五反田団の稽古場に行く。二人芝居が2バージョンあって、一室では演出家が稽古をつけていて、別室では別チームが自主稽古をしている。時間を区切って交代。作品の内容も、稽古の様子自体も、たいへんに興味深かった。終了後、塩ブタと白菜の鍋。私と同じように稽古を見に来ていた、きょう初めて会った人に、
「去年のシャンプーハットの、見ました。車椅子の芝居」
と言われた。「車椅子の芝居」かぁ。そういう印象なんだ、と思うと、おもしろかった。
高山広さんの『ねずぶり』を見る。2時間半を超える大作。でも、あの長さは、必要な気がした。ゴキタソウシとネズジンパチの周りの状況や人間(?)関係を、ああやってエピソードを積み重ねて描いていくから、ラストになって「生きるとは……」みたいな、ちょっと、ただやったらはずかしいみたいな台詞が出てきても、説明的にならず、説得力を持つんだと思う。
あなざーわーくすのわたなべなおこさんが演出のリーディング公演があり、横浜に見に行く。A.C.O.A.、あなざーわーくす、ポかリン記憶舎、フランケンズ、三条会(登場順)の5人の演出家が、シュニッツラー作『ラ・ロンド』を、一人二景ずつ演出するという企画。私は、あなざとポかリン以外は、初めて見る劇団。
それぞれ独自のカラーがギラギラした舞台で、それぞれにおもしろく、それでいて全体から『ラ・ロンド』の世界が立ちのぼってもくるようで、その感じも不思議で楽しかった。
友と、ご飯を食べた。午後4時過ぎという中途半端な時間。ロールキャベツと手作りパンがメインという店に連れていってもらった。お店の人がみんなニコニコして友に話しかけてくる。家が近所でよく行くんだそうだが、それだけじゃなくたぶん友の人柄がそうさせているんだと思う。盛り合わせ1つ、といって頼んだパンを食べきれなかったら、袋に入れて持たせてくれて、それは私がもらって帰ったんだけど、家であけてみたら、私たちが食べきれなかった分だけじゃなくパンが足してあった。友よ、愛されているんだね、きみは。私もそういうふうに愛される人になりたいです。いや、パンがもらえて得したとか、そういうことではなく。