京都に行きます

昨日、沖縄から帰ってきました。

今日はほぼ一日寝てました。

明日からは東京デスロック「再/生」京都公演に向けて、京都入りします。
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横浜公演では照明がなかなかうまくいかず、つらい思いをしましたが、京都ではどうなるでしょうか。
京都公演は、機材条件があまり良くないということが事前にわかっています。
さて、どうなるか。

どうにかして、満足のいく照明を創りたい。
頑張ります。


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沖縄に来ています

「再/生」横浜公演が先週で終わり、京都公演は来週。その間となる今週、アンドロイド演劇「さようなら」のスタッフとして、沖縄のキジムナーフェスタに来ています。同じ会場で同時上演する「銀河鉄道の夜」も、僕はスタッフではないのですが、せっかくいるので色々手伝っています。つうかかなり手を出しています。昨日の初日の開場から終演まではほとんど舞台監督でした。

会場が劇場ではなく、「センター公民館」という、もう本当に公民館で、サスなんてもちろん無し。全部スタンドで、回路はユニットに引き回しの完全仮設、電源はドカジェネ。「銀河鉄道の夜」の照明のジェロームは、この悪条件にかなり苦労したようで、二日も徹夜したそうです。僕のほうの「さようなら」は、まあ簡単な仕込みなので、それっぽくは出来てます。

沖縄は基本的に暑いですが、室内は冷房で寒いです。

沖縄滞在中に他の仕事も進めようと思っていたのですが、あんまし進みません。大阪の演劇学会の現場は劇場資料が無いし、京都も劇場情報がほとんど無いので現場に行ってから考えることにしたし。あ、札幌はとっくにやりました。

キジムナーフェスタは大きなフェスティバルで、色んな人に遭いました。キラリの松井館長、総務省の丹下さん、韓国のソン・ギウンさん、愛知の唐津さん、など。

今週末に帰って、来週はいよいよ「再/生」京都です。


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帰国

(つづき)

やはり、カード会社が調べてくれた便は、先ほど「ビジネスクラスが一席」しかないと言われた便、そのものだった。カード会社の担当者、カウンターで電話を替わって、エールフランスの人と話をしてくれて、10分ちかく電話で頑張ってくれたものの、やはり結論は変わるはずもなく、その便は取れませんでした。

結局、そうこうする内に大韓航空のカウンターが開く時刻となり、行ってみると、難なく23:45発の仁川経由の帰国便のチケットを買うことができて(もちろん今回お世話になったカード会社のカードで支払いました)、無事に11日の夜に、当初の予定より約12時間おしで帰国できたのでした。

今回のトラブルは、サンタルカンジェロで「空港に行くための迎えのバスが遅れた」ということが原因ですが、たったそれだけのことが、僕たちの集団にこれほどの大混乱を引き起こしたという事実は、ある意味、大変勉強になりました。

そして、ツアーメンバーのみんなが、この混乱にあって、「誰の責任だ」「どこがミスした」などと騒がず、責任追求は後回しにし、冷静に、「とにかく急いで帰国したい」という僕たちの要望に、みんなで協力してくれたことに、本当に感謝したいです。

ということで、旅日記、おしまい(最後ちょっと、はしょり気味でごめんね)。



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イタリアツアー終了

9日

午前中はゆっくりし、昼から出かけて昼食。今日はフェスティバル提供のビュッフェには行かず、リストランテでちょっと贅沢。ポルチーニ茸がとてもおいしかった。
昼食後は、僕はまた「ヤルタ会談」の劇場を開けてもらい、アンドロイド関係の仕事をガシガシと進める。18時半頃、「ヤルタ会談」の開場時間が迫って来た。「ヤルタ会談」は僕はいなくても本番が出来る体勢になっているので、「東京ノート」の会場に移動し、仕事の続き。「東京ノート」は21時ごろ開場なので、まだ仕事をする時間はたっぷりある。20時ごろ、だいぶ仕事が進んだので、ちょっと休憩。外でマーケットが開かれているのでのぞいたり、ビールをこっそり一杯飲んだり、など。
21時20分開演で、「東京ノート」最終回。会場がかなり暑くなる。ところで、イタリア人は、前のローマでもナポリでもそうだったのだが、会場の居心地が悪いとなると、上演中だろうがなんだろうが、本当に遠慮無く席を立って帰ってしまう。この回も、少なくとも20人は途中で帰ったと思う。が、つまらなかったのかというと、そうでもないようで、終演後は大拍手、カーテンコールはなんと4回だった。
その後バラシ。といっても照明はすべて現地まかせなので、僕は字幕関係の機器を片付けたら終わり。
12時過ぎからみんなでフェスティバルバーで夕食。イタリア最後の夜を楽しく過ごす。この時点では、まさか明日の帰路で、劇団史上最大級の大混乱が起きることなど、誰も予想だにしていなかった。

10日

7時起床。8時半にフェスティバル手配のバスが迎えに来るということで、8時から朝食。8時半には全員荷物をまとめて集合したのだが、バスが来ない。はて。フェスティバルの担当者が電話で連絡。いわく「バスが遅れてて、9時10分に着きます」。ボローニャ空港発の飛行機は11時25分発。空港まではバスで約1時間だそうなので、ちょっとギリギリか。バスは空港に向かう前に劇場に寄って衣装・道具などの荷物を積み込む予定なので、そこの時間を短縮するため、数名が劇場に向かい、外まで搬出しておくことにする。
9時10分、バス、来ません。9時20分、来ません。9時30分、まだ来ません。そろそろやばい時間になってくる。座長から「プランB」が提示される。「もしボローニャ発の飛行機に間に合わないようなら、ボローニャ中央駅までバスで行って、鉄道でローマに行き、ローマ発の飛行機に乗るという手がある」。バスがやっと来たのは、9時40分。急いで乗り込み、劇場へ。急いで荷物を積み込み、ボローニャ空港へ。

さて、間に合うのだろうか。僕は手元のスマートフォンの「マップ」機能でボローニャ空港を検索、GPSで現在地を取り、カーナビ機能を使って到着時間を割り出す。空港着は11時15分。うーん、これは、間に合わねえんじゃねえの?

フェスティバル側と色々連絡をしていた制作スタッフが告げる。「飛行機は残念ながら間に合わないので、ボローニャ駅に向かいます。そこから電車でローマに移動することにします」。11時23分ボローニャ発のユーロスターに乗れれば、ローマ到着が13:45ごろ。そこから空港まで約40分。15:10発の成田便に、どうにか間に合うだろう、という読み。

僕は再びスマートフォンを取り出し、ボローニャ駅を検索。カーナビ機能による到着予想時刻は、11:20。うーん、11:23の電車に乗るのは、無理じゃねえか?

フェスティバル側からの提案で、バスから荷物を下ろす時間を短縮するため、受託予定だった荷物はバスにそのまま積み残し、バスをサンタルカンジェロに送り返して、荷物は別発送にしてもらうことになった。11:20、ボローニャ駅着。みんなホームへ。しかし、チケット購入が間に合わず、23分発の電車には、惜しくも乗れなかった。

さて、どうするか。制作スタッフから基本方針が通達された。「いずれにせよ、とにかくローマまでは行く」。それと翌日から仕事を控えている僕と舞台監督N西君の二人は、優先させて帰国させるという方針を確認。

次の電車11:56ボローニャ発の切符を購入。しかし、満席のため全員分は買えず。僕とN西君を含む12名がこの電車に乗車。残り8名は、さらに一本後の電車で追っかけローマに向かうことに。

僕たち先行の電車は14時15分ローマ・テルミニ駅着。その直前に本隊から電話で指令「岩城とN西君はタクシーで空港に向かい、15:10発の成田便にトライすべし」。テルミニ駅に着くやいなや皆に別れを告げ、タクシー乗り場へ。タクシーにはすぐに乗れた。運転手に告げる「アエロポルト・フィウミチーノ!」。タクシーは猛スピードで空港へ。Eチケットでターミナルを確認してみると、出発は第3ターミナルのようだ。運転手に告げる「テルミナル、トレ、ペルファボーレ」。
しかし、空港に到着した時は14:50をまわっていた。アリタリアのカウンターを見つけて、Eチケットを提示。「私たちは、この便に乗らなければならない」「何、どこまで?」「東京!」「何時発?」「フィフティーン・テン!」...「遅すぎです。飛行機は予定通り出発します。今からでは無理です」。

がーん。

本隊に連絡する。「間に合いませんでした。チェックイン失敗です。もしもーし、聞こえますか? 間に合いませんでした。だめでした。チェックイン、失敗です」。

N西君に提案「疲れたね、飯でも食うか」。朝食後なにも食べていない。空港のフードコートで食事。しかし、先行きがあまりに不透明で食欲も出ない。食事中に本隊から連絡。Y子とカワタツが、いま僕たちのいる空港に向かっていて、一時間後ぐらいに合流するとのこと。その間、フェスティバル側では代替便の手配を進めてくれており、パリCDG23:35発の成田行きのエールフランスを取るべく手配してくれているという。それに乗るためには、19:55ローマ発パリ行きのアリタリアに乗る必要がある。それらのチケットを、フェスティバル側がネットで購入する流れで進めてくれているそうなので、それがうまくいけば、予定よりは半日遅れるものの、どうにか11日中には帰国できる計算だ。

Y子とカワタツが第1ターミナルに着いたというので、僕たちも第3ターミナルから徒歩(約5分)で第1ターミナルに移動、二人と合流。ちょうどフェスティバルから連絡が来たらしい。19:55ローマ発パリ行き、23:35パリ発成田行きの両便を購入しようとしたが、ネット決済は出発の3時間前までなので、決済できなかった、とのこと。今は17時5分。惜しい! ということで、予約だけしてもらって支払いは私たちが立て替えることになった。

しばらくして、予約が取れたとの連絡。しかし「一つ確認したいことがあるのでちょっと待て」との指示。よくわからないがとりあえず待つ。再び連絡が来る。予約はとれたのだが、なんと、間違って明日の同便のチケットを予約してしまったとのこと。その予約番号を持って、カウンターで今日の便に振り返られないかを尋ねよ、との指示。カウンターで尋ねると、「今日の便は、ローマ-パリ便は取れるが、パリ-成田便が完全に満席。したがって、この予約を振り替えることはできない。今日のパリ-成田便は、ビジネスクラスが1席あるだけ」。

がーん。

今日出発で日本に帰る便は、他にないのか、と尋ねると、大韓航空でソウル仁川行き23:45というのがあるということを教えてくれた。そうするとソウルには夕方に着くので、おそらく日本への帰国が可能だ。しかし大韓航空の情報はここ(エールフランス)ではわからないので、第3ターミナルの大韓航空で尋ねてくれという。

4人で第3ターミナルへ戻る(徒歩5分)。大韓航空のカウンターがなかなか見つからない。あった、あった。一番遠くだ。しかし、カウンターはあったが、誰もいない。なぜ、誰もいないの?

もう仕方がないので、目に付く航空会社に片っ端から聞いてみるしかないのか、と、僕たち4人はなかばヤケッパチな気分になる。手近のブリティッシュ・エアウェイズにY子がアタック。僕は、空港の案内所に行き、大韓航空のチケットはどこで買えるか尋ねてみることにする。

Y子が調べたブリティッシュ・エアウェイズは、「今日ロンドンに移動し、ロンドンに一泊して早朝5時発の成田行き」、という案。これだと日本時間の12日の朝に着く。いやしかし、ロンドン一泊って...あまりの「前途多難」感に、気持ちが折れそうになる。

僕は、案内所で大韓航空のチケットカウンターを尋ねてみたのだが、どうやら僕たちの行った場所で正しいらしい。「しかしそこには誰もいない」と告げると、「大韓航空の今日の便は23:45発の仁川航空行きしかないので早すぎる、3時間前にならないとカウンターは開かない」、との答え。つまり、時間が早すぎるということのようだ。ついでにその案内所で、東京行きの便を尋ねてみる。すると、ローマから東京への直行便は一日たった一本、アリタリア航空の15:10、つまり僕たちが乗り遅れた便しか無いとのことだ。ためしにソウル仁川空港行きを聞いてみると、やはり、23:45発しかないらしい。どうやら、この大韓航空が、唯一の現実的な選択らしいということが、だんだんわかってきた。だとすれば、もう急いでもあまり意味が無い。

「とりあえず休憩しようか」。4人でカフェに入る。フェスティバルがまったく頼りにならない今、要するに「何でも良いから11日中に帰国する便」を探す、というのが僕たちの今のミッションである。ふと、僕の所持しているクレジットカード会社が、海外旅行のサポートサービスをやっていることを思い出した。こういう時にこそ役に立つに違いない。早速カード会社に電話してみる。日本は今は深夜2時である。しかし、このカード会社ならきっと対応してくれる。電話がつながった。落ち着いて、状況を告げる「仕事でイタリアに来ているのだが、手違いで帰りの便に乗り遅れた。しかし何とかして今日帰りたい。力を貸してくれないか」。すると、さすがサービスの質の高さを誇るカード会社、「帰りの便をお調べして、折り返しご連絡します」とのこと。

ローマに置き去りにした本隊から連絡が入った「ローマの宿泊先はまだ決まらないのか」。僕とN西君がどうにか帰国しようと算段する中、ローマの本隊は、ローマに一泊し、翌日の便で帰国する方向で進めている。しかし本隊はローマに長時間置き去りにされ、身動きがとれず疲労している模様。カワタツが座長に状況を連絡する。すると「Y子とカワタツは岩城とN西の帰国に専念せよ。本隊はこちらで何とかする」との指示。それを受けてカワタツが本隊に連絡「本隊のホテルについては座長が情報を持っている。座長に連絡して情報を得るべし」。

カード会社から電話が来た「今日の19:55分のアリタリアでパリへ行き、23:35パリ発の成田行きJALがございます。席はかろうじてあるようですが、正規チケットのため、金額がお一人様69万円ほどになってしまいます」。69万はさすがに無理だ。それしか無いのか、と尋ねると、「航空会社独自の枠がある可能性があります。航空会社のカウンターからお電話を頂戴して、カウンターの方に代わっていただければ、私どもでお話のお手伝いをさせていただきます」。「どこの航空会社に行けば良い?」「アリタリア航空か、JAL、あるいは共同運行のエールフランスですね」。ここは第3ターミナル。言われた中ではアリタリアのカウンターしかない。

そうする中、Y子のタイムリミットがせまる。Y子は、今日中にサンタルカンジェロに帰らなければならない。そのためには、19時にこの空港を出る必要がある。「あとは心配ない。気をつけて」とY子に別れを告げ、アリタリアのカウンターへ。

アリタリアのカウンターで、カード会社に電話をかけ、電話を代わってもらう。しかし、どうも話が通じていない様子。アリタリアの人、しびれを切らした様子で電話を外し、僕に言う「英語は話せる?」。「少し話せる」と答えると、「何が問題なんだ?」「チケットを買いたいんだよ」「どこまでの?」「東京までの。パリ経由で」。すると、「じゃあここじゃない。第一ターミナルのエール・フランスのカウンターに行ってくれ」とのこと。電話を受け取り、その場は引き下がる。しかし、カード会社が言うこの便って、さっきエール・フランスのカウンターで「空席はビジネスクラス一席のみ」と言われたのと、同じ便じゃないのか...?

(つづく)


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サンタルカンジェロ

4日
午前中は「東京ノート」の片付け。といっても、照明等の現地で用意してもらったものには手をつける必要はなく、持ち込みの置き道具、リノリウムなどだけ撤去、梱包すれば良いので、1時間ほどで終了。
出発まで2時間ほど空いたので、僕たちは高台にあるエルモ城に上ってみる。ナポリを一望できる素晴らしい景色。ナポリの街を一直線に貫く道「スパッカ・ナポリ」が下に見える。
昼過ぎに街中に戻り、昼食にパニーニを買う。歩きながら食べ終えて、ホテルロビーに集合。
貸し切りバスに乗り込み、何百キロも離れた「サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ」へ向かう。ナポリは、イタリア半島西岸のやや南、サンタルカンジェロは東岸のやや北である。実に9時間に及ぶバス移動。
22時過ぎにやっとサンタルカンジェロのホテルについたが、チェックインがなかなかはかどらず。
23時ごろになって、やっと夕食にありつく。フェスティバル側が用意したビュッフェ形式の食堂。さすがにみんな空腹。無言でがっつく。
ホテルに戻り、疲れ果てて就寝。

5日
今日は終日オフ。遠出をする者たちもいるようだが、僕たちはサンタルカンジェロ市内を散策。丘の上に上るととても景色が良い。
夜19時からアンドロイド関係の打合せ。フェリーニがよく行っていたという店に案内される。こだわりの高級店。メニューなんて無い。最初に「飲み物は何にする?」と尋ねられる。飲み物が出てくると次に、「今日のプリモ・ピアットは、○○の○○ソース、○○と○○の○○...」などのように、口頭で今日のメニューを説明され、その中から選ぶように言われる。だが全部イタリア語なので、大変である。フランス在住のHちゃんが、かろうじてイタリア語もある程度理解できるので、通訳してもらう。プリモを食べ終わるころ、「今日のセコンドは...」と、またメイン料理の説明。英語しかできない日本人だけでいきなり来ても、絶対無理です。この店は。
アンドロイドの打合せは、話をすればするほど、色々大変だということが見えてきて、前途多難な感じ。

6日
朝から「東京ノート」の仕込み。といっても、照明は事前にフェスティバルスタッフによって吊り込み、回路、フィルターなどは出来ている。なので僕の仕事はチャンネル指定をして、パッチをお願いするところから。あと字幕関係の設置を行う。
午前中に「東京ノート」の舞台がだいたい出来、昼食。徒歩15分ぐらいのところに食事が提供されている。ビュッフェ形式。ナポリではこってりな食事が続いたが、こちらでは味付けはあっさり、脂肪分も少なく、野菜も豊富。僕たちにとっては嬉しいメニューだ。
午後からは「ヤルタ会談」の仕込み。こちらも照明は事前にできているので舞台と字幕の設置が主な作業。16時半頃にはだいたい舞台が出来上がったので、照明のフォーカスを行う。8台だけだからすぐ終わる。1時間ほど休憩。
18時から、「東京ノート」のフォーカス。こちらはイントレによるフォーカス。僕自身が上に上って作業する。吊り位置が悪いところを吊り替えながらの作業なので、ちょっと時間がかかった。が、20時半ぐらいには終了。
昼と同じく徒歩15分のところに行って食事。ワインやパスタなど堪能。

7日
午前中は「東京ノート」の場当たり。並行して明かりのバランスを作る。おおむね問題ないが、舞台最前部がちょっと暗すぎたので、補正の仕込みを追加。
昼食後、「ヤルタ会談」の場当たり。こちらはほとんど問題なし。
21時から「ヤルタ会談」ゲネ。ゲネは当初は19時の予定だったが、他のカンパニーとのかねあいでフェスティバル関係者も見ることができるよう、時間がずらされたのだ。ゲネなのだが、関係者を中心に、満席。トリプルカーテンコール。本番さながら、というか、もう事実上初日みたいな感じである。

8日
11時開演で「東京ノート」ゲネ。こちらも関係者がかなり客席に入り、ゲネにもかかわらずダブルカーテンコール。
夜の初日公演まで時間が空いたので、僕は「ヤルタ会談」の会場を早めに開けてもらい、そこでロボット関係の仕事をガシガシと進める。のんびりしてはいられないのだ。このイタリアから帰国したら、ずーっと忙しいのだ。少なくとも8月までは休み無く現場が続く。次から次へとプランをこなして行かなければならない。
19時から「ヤルタ会談」初日。非常に良い反応。カーテンコールは、なんと4回。
21時20分から「東京ノート」初日。もともとは21時開演だったのだが、フェスティバルの他の演目との関係で20分遅くなった。こちらも良い反応。カーテンコールは3回。終演したのは23時過ぎ。そのあとさらにアフタートークがあったのだが、そちらはフェスティバルスタッフが照明をやってくれるとのことで、僕は解放。トークも聞かないことにした(どちらにしろイタリア語だからわからない)。
フェスティバルバーで夕食。とても長い一日だった。明日がもうバラシだなんて、まったく実感が無い。


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