近況

ブログを更新したいのですが、面白い話をちょっと思いつきませんので、とりあえず近況だけ書きます。

アンドロイド演劇「さようなら」は、この週末に京都公演を終え、僕としてはいったん終わりです。「さようなら」自体は、この後も豊中(大阪)、フランス、タイなどと続いていきますが、僕の参加が予定されている公演は、今のところありません。

次の僕の仕事は、大きいものは、キラリ・ふじみ・レパートリー「あなた自身のためのレッスン」(作:清水邦夫、演出:多田淳之介)、そしてそのすぐ後に続く「ソウル市民」五部作です。五部作とは、「ソウル市民」「ソウル市民・1919」「ソウル市民・昭和望郷編」「ソウル市民1939・恋愛二重奏」「サンパウロ市民」を指しますが、この内の前の三つは再演、後の二つ(恋愛二重奏とサンパウロ)が新作です。一昨日(3日)はソウル新作二本の通し稽古を見ました。今日(5日)は「あなた自身」の通し稽古を見ました。

これら二つの大きな仕事の合間に、「ヤルタ会談」が二回(大阪と川崎)行なわれます。あ、こう書くと、「ヤルタ会談は小さな仕事なのかよ」と、「ヤルタ」関係者がむくれそうですが、まあ実際、「ヤルタ」は劇場も小さく、仕込みも小規模で、公演期間も短いので、「あなた自身」や「ソウル五部作」に比べたら、やはり「小さい」ことは否定できません。

プランにかかる時間もずいぶん違います。上記の内、一番プランに時間がかかるのは、おそらく「あなた自身」で、12日が小屋入りですがその前にたぶん、5〜10時間ぐらいかけて図面を書くことになるでしょう。そして、小屋入りしてからもずいぶん変更をすることになると思います。

「ソウル五部作」は、それに比べるとやや短いと思います。図面を書くのはおそらく3〜4時間でできます。そして、小屋入りしてからの変更はほとんど無いでしょう。

「ヤルタ会談」は、二ヶ所とも図面はすでに出来上がっています。書くのにかかった時間は両会場とも2時間以内だったと思います。

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鳥の劇場

鳥の演劇祭でのアンドロイド演劇「さようなら」に同行してきた。鳥の劇場に行くのは、数えてみたら今回が6回目である(「隣/ヤルタ」「火宅」「LOVE」「カガク/北限」「そんなに驚くな」「さようなら」)。初めて行ったのが第1回「鳥の演劇祭」に参加した「隣にいても一人」「ヤルタ会談」で、それは3年前、つまり、3年間で6回行ってるわけで、これは、かなり多いと言える。鳥の劇場の方にうかがっても、外部のスタッフとして鳥の劇場に来てる回数では、僕が最多であることは間違いないそうだ。光栄である。

鳥の劇場は、行くたびに劇場(ハードウェア)がバージョンアップしている。最初行ったときは、「スタジオ」での公演だったのだが、エアコンが上手にあった。次に行ったときは、受付が操作しやすい下手に、エアコンが移設されていた。

当時、「劇場」のイントレは3段で、僕が「火宅か修羅か」の照明でどうしても4段の高さにパイプが欲しいとお願いし、単管とクランプで仮設していただいた、それが3年前。それがその後常設となり、今回行ってみたら、その高さのパイプが仮設でなくてきちんと組み直され、仕込みやすいように足場がその高さにできていた。

「劇場」は夏は暑く、冬は寒く、そして空調の音がうるさく、温度調整がなかなか難しかったのだが、今回行ってみたら、なんと客席の上空に音の静かな空調機が吊られており、上演中の客席を快適な温度に保っていた。

当初は「劇場」と「スタジオ」の電源が共有で、しかも総容量が少なく、両方で電気を融通し合う必要があったのだが、現在は大電力の電源が引き込まれ、容量を気にせず使うことができるようになっているそうである。

当初カフェだった「しかの心」は、カフェ機能を残しつつ、面積の大部分が劇場に改装され、昨年はそこで柿食う客の公演が行われた。今回はこふく劇場が公演をしている。

(たしか)2年前(ぐらい)に鳥取県知事、平田オリザらによるシンポジウムが行われた「交流館」は、現在はその面積の半分近くが劇場に改装されており、今回はチェルフィッチュの公演がそこで行われた。

僕たちが初めてこの地を訪れたとき、そこは鳥取県鹿野町であった。しかし、現在は市町村合併で、「鳥取市」の一部となっている。その結果、鹿野町議会は消滅した。その、使われなくなった鹿野町議会の議場を劇場に改装した「議場劇場」で、今回僕たちは「さようなら」を上演した。

その隣には、仮設の野外劇場が作られ、鳥の劇場の公演が行われている。

これら、「劇場でないところを劇場に改装する」というノウハウは、鳥の劇場は、まず間違いなく世界一のノウハウと技術を持っていると思う。そういう所に、僕が、外部スタッフとしては最多回数、訪れている。これは、偶然とは思えない。何かそこに、僕の「役割」があるのだと感じている。

鳥の劇場は、よく、利賀と比較される。しかし、僕にとっては、利賀と鳥の劇場は、まったく違う。鳥の劇場に僕が行くと、その場所、人、ハード、ソフト、すべてが、僕を歓迎してくれるように感じる。鳥の劇場のメインスタッフが、みんな僕と親しい友達になってくれている。そういう場所では、自然と、僕の仕事のクオリティも上がるものである。利賀では、そういうことは無かった。


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「さようなら」inヨーロッパ

数日前にSPAMコメントをつけられて(もう削除しましたが)、それ以来、このブログのアクセスが異常に多くなってます。いつ落ち着くんでしょうか。

さて、アンドロイド演劇「さようなら」で、オーストリアのリンツとドイツのベルリンに同行しています。今回のこのヨーロッパ公演で特筆すべきは、これが本格的な「記録型」上演であるということでしょう。アンドロイドをリアルタイムにバックヤードで女優がコントロールして演技させるのが「遠隔操作型」、それに対し、アンドロイドの動きと声は、事前に記録してあるものを再生し、舞台上の人間の演技はすべてアンドロイドのタイミングに合わせるやり方、これを「記録型」と呼んでいます。

今回は「記録型」なので、アンドロイドの動きは、毎回、まばたきのタイミング等も含め、すべて毎回完全に同一です。そこで今回のリンツ公演では、僕が担当する照明・字幕も、完全自動化を試みてみました。上演中のフェーダー操作はもちろん、マウスクリックさえも上演途中には一切行わない、開演時一発スタートで終演まで自動でつなげるのです。タイミングをプログラムし終えるまでは試行錯誤の連続で手間がかかりましたが、出来上がってしまうと、開演時にスタートしてしまえば、あとはまったく手を触れずに、アンドロイドの動き、声、照明、字幕が、すべて自動的に終演まで進みます。ラストの美しい暗転のフェードアウトのタイミングもスピードも、全部自動。リンツ公演では思いのほかうまく行きました。これは言い換えると、アンドロイド本体、と照明と字幕全体、つまりライト、調光卓、字幕アプリケーション、字幕表示プラズマなどが、全体で一つの「ロボット」を構成している、と見ることができます。舞台上で「生きている」のは、本当に女優(ブライアリー・ロング)たった一人、ということです。

それがどうした、と言ってしまえばそれまでなのですが、今回これをやったということは、ロボット演劇/アンドロイド演劇の発展過程上の一つの成果と考えて良いと僕は思います。

これからベルリン公演ですが、こちらは字幕が無いので、僕の担当は照明だけです。この照明も、全自動でやってみる予定です。


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「再/生」in京都

今回の京都は、小屋入りが月曜日で、初日が金曜。初日前の4日間は、もちろんリハーサル期間でもあるのだが、同時に、現地のKAIKAバージョンを「作る」ためのワークショップ期間でもある。だから4日間というのは決して長いとは言えない。

この4日間、(例によって)舞台美術は二転三転、試行錯誤が繰り返された。このように舞台美術が決まらない内は、照明も決して確定させてはならない。

三日目の夜、KAIKAバージョンの初めて通し。最初舞台がかなり暗いところから、だんだん明るくなっていく、という演出なのだが、明るくなった時に「フラットすぎ」というダメ出しを受ける。僕もやりながら、なんだか前明かりとフロントLEDがどうにも役割がかぶっているように感じる。

四日目、なんだか予感があって、みんなより少し早く小屋入り。ふと、フロントのLEDをサイドに持ってくる案を思いつく。つけてみると、なかなか良さそうだ。

その日の午後、デスロック版のゲネ。LEDは効率よく舞台を染めつつ、高い照度を与えてくれる。実に良い。これだ! ついに出来た。これが、今回の「正しいプラン」である。横浜では最後まで納得がいく明かりが出来なかったが、ここ京都で、初めて自分でもしっくりくる「再/生」の照明プランが出来たと言える。ゲネの進行中に明かりを決め、サブマスターに記憶していく。

その夜、KAIKA版の2回目の通し。こちらも、初日の前に通すのはこれが最後なので、事実上はゲネみたいなもんである。昨日のダメ出しを受け、フラットにならないように注意しながら明かりを作り、サブマスターに記憶していく。ところが、終盤になって、舞台の裏のほうから何やら異音がする。チェックしに行った舞台監督が僕の所に走ってくる。「ブレーカーから音が鳴ってます」。えー。反射的にグランドマスターを少し絞る。音が少し小さくなった。ゲネ中だが、僕も卓を離れて舞台裏に見に行く。たしかにブレーカーが異音を発している。チリチリという感じの、やかんでお湯をわかして沸騰直前に鳴るような音だ。ブレーカーに接続されている幹線に触ってみる。特に熱くはない。ということは、さほど危険はないと思われる。

フル点灯を避けつつゲネを終え、状態をチェック。どうやら大きな容量をしばらくかけ続けると音がしはじめるようだ。劇場の人に「照明ではなく電気工事の領域なので、電気屋さんに相談すると良い。ブレーカーを交換すればすぐに直るはず」とアドバイス。

翌日、デスロック版の初日の朝。携帯が鳴る。「50アンペアのブレーカーなのだが、その容量を超える負荷をかけたことが原因」というのが電気屋さんの判定だそうだ。え、50A? 主幹は75Aじゃなかったっけ? 聞いてみると、ユニット主幹の75Aのブレーカーの前に、50Aの主幹がかんでいるという。なんだよそれ、一時側に容量の小さいブレーカーがあるなんて、反則じゃんか。ああでもそういえば、舞台裏で異音を発していたブレーカーにはたしかに「50A」て書いてあったかも。結局、このブレーカーを75Aのものに交換してもらうということで決着した。その報告を受けている時、気になることを言われた「卓が、エラー表示になって、照明がつかない状態になってます」

早めに劇場に行ってみると、確かに卓の表示に「CHASE MEMORY ERROR」の文字。「Press QUIT to Continue」と出ているので、QUITボタンを押すと、表示が一行進んでまた別の「○○ MEMORY ERROR」。10回ぐらいQUITを押し続けていくと、やっと卓が起動した状態になった。チャンネルフェーダーを上げてみると、つく。正常に機能しているようだ。サブマスターを上げると、あれ? 昨日記憶したシーンがつかない。MEMORYボタンを押してみると、「FREE 100.0%」の表示。100%フリーということは、メモリを全く使用していない、つまり、記憶が全部消去されたことを意味する。小屋入り時の説明では「十数年間一度も記憶が消えたことはありません」とのことだった。つまり、十数年間一度も起きなかったことが、今、起きたということである。こういう時のために、普通はバックアップをとっておくものだが、「十数年間一度も」というのを信用して、バックアップは取っていなかった、というか、バックアップの方法を教わっていなかった。

当初、劇場側の説明では、サブマスター等の記憶は、本体内部ではなく、背面に差し込まれたメモリーカードに記憶される、という説明だった。しかし、劇場側のその説明は誤っていることがわかった。メモリーカードはあくまで外部メディアであり、本体メモリをメモリーカードにコピーすることでバックアップは可能なのである。それをやっていれば、メモリー喪失もさほど大きな問題にはならずに済んだはずだ。「差し込んだメモリーカードにサブマスター情報が記憶される」という説明を最初聞いたとき、「変な話だな」とは思ったのである。もうちょっとその説明を疑うべきだった。

しかし今さらそんなことを言ってもしかたないので、メモリーの打ち直しである。しかし、卓のワイドモードがうまく使えなくなってしまった。通常は24ch二段の卓なのだが、ワイドモードにすることで48ch一段として使えるはずなのだが、ワイドモードにしても25以降の出力が出ない。卓が壊れてしまったようだ。ワイドモードが使えないとすると、出力24chでどうにかしないといけない。Doctor-MXを接続しているので、24chで本番を行うことも不可能ではないが、データの作り直し作業が難航することが予想される。

その時、劇場側から朗報が入る。近所に全く同一の卓が備えられた場所があるそうで、そこから卓を借りてくることができるという。

新しい卓は一時間ほどで来た。早速セッティングし、ワイドモードに切り替えると...あれ、この卓でも25ch以降が出ない。うーん。その時、はたと気がついた。「パッチだ」。卓をリセットすると、パッチは一対一にリセットされる。その後、ワイドモードに切り替えると、チャンネル的には48chになるのだが、ディマー出力数は24chのままのようなのだ。ワイドモードに切り替えた後、パッチ画面に入り、「1:1」を選択。すると、25ch以降が出力されるようになった。変な設計だ。すると、さっき壊れたと思った卓も、実は壊れてなかったのか。

検証してみるために、もう一度初号機のスイッチを入れてみる。また「ERROR」。QUITを押し続けて起動。ワイドモードに切り替えた後、パッチ画面で「1:1」選択。はたして、25ch以降が正常に出た。その部分は壊れていなかったのだ。しかし、スイッチを入れ直すたびにERRORが出て、そのたびにメモリが空っぽになっちゃうような卓は、危なっかしくて本番で使う気にはなれない。

借りてきた卓でメモリを打ち直す。デスロック版だけなのでキューは20ほど。開演までまだ3時間はあるので、時間は十分だ。実際には1時間以内に打ち終えた。軽くテクニカルリハーサルもやって、その夜は無事にデスロック版の初日を開けることができた。データは「SAVE to Card」でメモリーカードにきちんとバックアップ。考えてみりゃ、背面に差し込んだメモリーカードにデータが勝手に蓄積されるなんてこと、設計する側の常識を考えれば、あるわけが無いのである。なお、この借りている卓は今日だけ借りているので、明日、新しい卓(3台目の卓)に差し替えになるそうだ。新しい卓が来たら、メモリーカードからデータをロードすれば良い。

その夜、翌日のKAIKA版初日に向けて舞台転換がされ、30分ほど時間が出来たので、KAIKA版の最初のほうのキューも仮にざっと打ち込むことが出来た。

翌日(土曜日)。KAIKA版の初日である。昨晩の内に最初のほうのキューは打ち込んであるので、今日はその明かりを俳優と合わせて見ての検証と、続けて中盤以降の打ち込みをする。本番前に稽古をするので、それに合わせて打ち込み作業を進めれば余裕で間に合う。

ブースに上がってみると、なんと調光卓が無い。どして? 聞いてみると、昨日借りて使った卓は返さないといけないので返却し、しかし、新しく来る卓が届いてないとのこと。午前中に届くように手配されているはずなのだが、まだ届かないという。今は12時。今日はKAIKA版のデータ打ち込みの続きをやろうと思っていたのだが、卓が無くてはそれもできない。昨日まで打ち込んだデータは、手元のメモリーカードに保存さているから、どのタイミングで卓が入れ替わっても、ほとんど無駄なく打ち込み作業を続けることができるのだが、卓本体が無い、というのは想定してなかった。今日のKAIKA版初日の開場は16:10。まあ13時ぐらいまでに卓が届けば、間に合うだろう。

しかし、13時を過ぎても卓は届かない。舞台監督が口を開く「衛星(劇団)の卓は、あるんですよね」「はい、楽屋に置いてあります」。そうだ、スイッチを入れるたびにERRORを出す、あの初号機があるんだった。起動時の不調はあるものの、いったん起動すれば、おそらく問題なく使える。時間的にはもうこれ以上待てないので、今日は初号機を使うことを決断。卓をセッティングし、スイッチをON。やはりERRORが出る。QUITを押し続けて起動。起動が完了したらワイドモードに切り替え、そしてパッチ画面で「1:1」を選択。これで打ち込み作業を継続できる。打ち込みは14時半ごろに終了。いっぽう、宅配業者と連絡が取れて、今日の午前中に来るはずだった新しい卓の動向がわかった。どうやら間もなくこちらに到着するらしい。

初号機でこのまま行くか、新しい卓が来たら入れ替えるか。どちらでもかまわないが、初号機は電源を入れ直すたびにメモリが空になるという欠陥がある。もし時間的な余裕があれば、新しい卓に入れ替えた方が安全性が高いことは間違いない。いずれにしても、到着時刻次第だ。

新しい卓は15時過ぎに来た。開場まで1時間ほどある。入れ替えることにした。これで、延べ4台の卓をとっかえひっかえセッティングしたことになる。新しい卓のスイッチを入れて、ワイドモードに切り替え。あれ、パッチの「1:1」をやり直さなくても25ch以降が出力されてる。なるほど、新しいファームウェアでは問題が改善されている、ということか。

16時半からのKAIKAバージョンも無事に初日が開く。

ところで、初号機の不具合についてだが、スイッチを入れ直すたびに状態がおかしくなり、いったん起動を完了するとあとは正常に機能する、というこの症状。他の卓でも見たことがある。おそらく原因は、「内蔵バックアップ電池の消耗」である。たしかに十数年に一回ぐらいしか出会わない不具合だ。僕にとってはこれが二度目。

ブレーカーが異音を発するというのは、僕は初めての経験だった。

プロダクション内では、今回は照明トラブルがひどく続いたという印象があるようだが、冷静に考えれば、ブレーカーの容量が小さかったということと、卓の内蔵電池が消耗してた、という2点だけで、それら自体はいずれもたいしたトラブルではない。しかし、小さなトラブルでも、それが未体験のものだと、実際以上に大きなトラブルに見えてしまう、という好例であった。勉強になったね。


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京都の仕込み

京都の劇場(KAIKA)は、照明機材がLEDパー12台以外はほとんど何も無いと聞いていたのだが、関係者のお取りはからいで、QSが26台、パーが10台など、かなりの量の機材が実際にはあった。そこで、最初に僕が現場で考えた仕込みは、

・B3のストレートの前明かりを2列(舞台前端と、シーリング位置)、各QS×5、一応すべて単独回路で
・PAR(M)でSS
・舞台前端の上下にフットを4色(B2、73、57、22)
・フロントにLEDパー、上下3台ずつ
・ソースフォーを上下のフット位置に置いて、スラッシュ(/)。
・劇団衛星が天井に埋め込んだLEDパーも、あたりを変えて借用
・ちっこいミニエリスポみたいのがたくさんあったので、6台使ってバックフット

というもの。そして、KAIKA劇団版のワークショップの時に、ちょこっと照明をつけてみたのだが、どうもよろしくない。特に、前明かり2列の内、舞台側の1列が、どうも使いようがあまりない。あと、全体をブルーで押さえるといったことが、うまくいかない。LEDのブルーは強すぎるし散りすぎる。あと、SSとB2のフットが効果がかぶっていて無駄がある。

そこで、前明かりの舞台側一列をバラし、一台を加えた6台で、三原色のナナメにした。あと、B2フットも上下2台ずつにしていたのをやめ、1台加えて5台とし、舞台前に等間隔で並べてストレートのあたりにした。これだけのことをやるのに、2時間たっぷりかかってしまった。この会場は、お世辞にも仕込み勝手が良いとは言えない。上は天井貼りで、その天井板が一部空いていて、そこの隙間にタルキが流してある。そのタルキにハンガーで吊るのである。回路も全部ユニットにいちいち引かなければならない、要するに完全仮設である。

一人での吊り替え作業は、想像を超えて大変であった。しかし僕にとっては、こういうことはしょっちゅうである。つい先日の沖縄もそうだったが、青年団でもデスロックでも、設備が乏しいところでやたらと苦労して仕込むということが、なんだか頻繁にある。一方、新劇や学校周りの旅公演なんてのは、9時に小屋入りして11時に開演したりするスピード仕込みが可能になっている。これは、いわゆる一般的な「劇場」という場所が「そういうこと」のために効率化されているからである。この国では、「劇場」は長い間、「作品を創る場」ではなかった。現在でもほぼそういえる。じっくり「作品を創る」ことができるような劇場は、現在のこの国にはほとんどない。だから、学校の教室や集会所など、本来劇場として建てられていない場所を「劇場として使えるように改装する」ということが行われる。そういうところは、「ものを創る場所」という理念に基づいて作られているから、人材やコンセプトは非常にちゃんとしている。ただ、劇場というハードウェアは、作るのがとても難しい。だから、京都の芸センにしろ、鳥の劇場にしろ、素晴らしい人たちによって素晴らしい理念で運営されていて、カフェも併設、機能も充実、なのに、暗転しても舞台は薄明るく、外の音は中にダダもれなど、劇場としての最低条件を満たすことも出来ないような状況になってしまっている。

僕は、そういう状況自体を悪いと言っているわけではない。しかし、そういった草の根的に作られた「改装劇場」群の上には、きちんとお金をかけて作られた「本来の意味での劇場」が、「作品を創る」場として機能しているという、階層的な構造になってないと、いつまでも芸センや鳥の劇場が、「素晴らしい劇場」だというところで止まってしまって、そこから脱せられないと思う。

JNSK君が先日アフタートークでも言っていたように、「劇場」とは場所を指す言葉ではなく、その機能を含む概念である。「学校」や「病院」や「裁判所」や「刑務所」が、単に場所を指すだけでなくその機能を含んでいるように、本来「劇場」とは、単なる場所ではなく、そこにあるべき人材や機能が含まれていなければならない。

人材や機能を置き去りにして、立派な場所(ハコもの)だけをやたらと作って、そこが「劇場」と呼ばれて来ている。その状況を、少しずつ変えていかなければならない。それが、僕たち舞台人のミッションである。

京都の現場の様子を書き始めたつもりが、ちょっと話が大きくなり過ぎました。


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