高校教諭が、自分の息子の入学式に出席するために、同日の勤務校の入学式を欠席したということがあったそうである。それが許されるかどうか、ネット上でも意見が別れているそうだ。
「どっちもどっち」だと僕は思う。なんでそんな簡単に「許されない」「許される」と言い切れるのか、僕にはまったく理解できない。
普通に考えれば「この教諭ちょっと常識を欠いてるかな」という感じは、確かに僕もする。しかしたとえば、その教諭とその息子さんが、これまで大変な苦労(たとえば大きな病気とか)を乗り越えて、やっとの思いでついに今回高校に入学できたんだとしたらどうだろう。それは普通の人には普通のことかも知れないけど、その教諭と息子にとっては、何物にも代えがたい大切な入学式だったのかも知れない。仮にそうだとしたら、僕はその教諭を責める気にはなれない。
要するに、当事者じゃなければ「よくわからない」わけで、外部がとやかく言い過ぎるのはどうかと思うのである。ましてや、その教諭の行動を前例(「良い例」にしろ「悪い例」にしろ)にしたりするのは、もっと愚かだと思う。その教諭にはそれなりの事情があったのかも知れないじゃないか(なかったのかもしれないけど)。
大人なんだから、自分で考えて自分が正しいと思うことをすればいい。その教諭は勤務校の入学式を欠席しても良いと思ったから欠席した。でも、だからといって、世の中の先生みんながみんな、勝手な理由で入学式を欠席して良いということにはならない(悪いということにもならないけど)。それでいいじゃないか。十分な情報も無く、外部の人間が他人の行動や発言を無責任に批判することのほうが、よっぽど子供たちの教育にとって害があると僕は思う。
世の中には色々な人がいるっていうことを受け入れ、そして、そういう色々な人と(多少不愉快でも)仲良くやっていく、それが大人というものでしょう。物事を何でも単純化して一般化しようとする、自分と仲良くなれそうにない人間を排除しようとする、そういう子供じみた「時代の空気」みたいなもののほうが、僕にはよっぽど危なく見える。
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