日本照明家協会誌10月号に記事を書かせていただきました。穴澤喜美男の著作の書評です。
業界関係者にしか見てもらえない場なので、このブログにもアップしておきます。
編集者の校正が入る前のオリジナル入稿原稿ですので、協会誌に実際に掲載された記事と若干異なる部分があります。ご了承ください。
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BOOK REVIEW 『舞臺照明の仕事』【復刻版】
本書を読んでいて、ふと、自分が舞台照明に出会った頃のことを思い出した。皆さんは「自分が照明を始めたばかりの頃に経験した印象に残るエピソード」を何かお持ちだろうか。僕の場合「ホリゾントライトのフェードイン」が一番印象に残っている。あれは大学生の頃、学内のホールで、たしか演劇のリハーサル中だった。先輩がプランナーで、僕は調光卓の担当。あるシーンで、暗転からブルーのホリゾントライトをとてもゆっくりフェードインする、ということを要求されていて、僕なりに丁寧にそれをやったのがとても褒められた。初めはどうしてもうまくいかず、クロスフェーダーをゆっくりと、特にゼロから最初の15%ぐらいのところをきれいに、しかもキッカケに遅れずにあげるのが難しくて、困ったあげく結局、暗転中にグランドマスターフェーダーをいったんゼロにし、クロスフェーダーを20%ぐらい先にあげておき、最初グランドマスターでフェードイン、続けてクロスフェーダーを追いかけて上げる、という方法を自分で見つけた。フェーダーの扱いに慣れてないのを、やり方の工夫によっておぎなったわけである。そういう自分なりの「創意工夫」をした思い出はなかなか忘れないものだ。
さて、本書『舞臺照明の仕事』は、いわば「演劇照明における創意工夫」の宝庫である。ただし本書にはクロスフェーダーもマスターフェーダーも出てこない。そんなものは本書が書かれた時代にはまだ存在していなかったからだ。本書に登場するのは現在ではありふれているボーダーライト、ストリップライト、平凸スポットライト等である。それらを作品に合わせて工夫の限りを尽くして設置する、そのような例が本書には豊富に収められている。本書の著者は穴澤喜美男(1911~1974)。新劇の舞台を中心に、昭和中期に活躍した舞台照明家である。当時の舞台照明は、ボーダーライトで舞台全体の基本的な明るさと色彩を作り、そこにスポットライトを数台から十台程度加えるというのが基本だったようである。当時の照明プランの様子を本書から引用してみよう。
「舞台の光線で朝の爽かな空気を表す場合、白色だけでは橙色味を帯びてしまうので電灯光線はそれ自体がすでに橙色味を帯びており、電圧(ボルト)を降下すればする程橙色は赤色味を増すから、多量の青色系統の色を混合することによって白色の橙色味を消すことができる。
(中略)またこの家は杉の樹々に囲まれているから光線はすべて木の間から洩れるような光線が望ましい。そこでサスペンション・スポット(SP1 500ワット3台)は例図にあるようにボール紙に適当な穴をあけ、それを光線が通って屋根と舞台前面に落ちるようにし、種々な光の斑点ができるように試みた。下手上部に吊ったスポット(SP2・3 1000ワット)も同様の効果をあげるためのものであるが、朝という条件の中ではこの2台のスポットは主導的な役割でなければならないので、光の斑点は一層強めなければならない。その為にボール紙を大きくしスポットより六尺ぐらい離れたところに吊って置くとよい」
(「舞臺照明の仕事」復刻版 p21~23より)
実に「創意工夫」にあふれる内容であることを感じていただけると思う。この例ひとつだけではわかりにくいかもしれないが、本書にいくつか例示されている舞台照明はどれも、一つ一つの作品について、場所や季節の設定を詳細に読み解き、舞台装置の構造を細かく分析し、照明機材を設置する場所や方法も一つ一つていねいに工夫し、「その作品だけのための特別な照明」として作られている。
さていっぽう、私たち現在の照明家は、舞台照明のデザインを考える際に普通どうしているだろうか。たいていの場合は、まずそのジャンルにおける「業界の常識」とも言えるような基本的なやり方というものがあって、それを踏まえながら自分なりにアレンジを加える、といったやり方がほとんどだと思う。照明機材の設置場所や方法を工夫するといっても、突飛なことをするわけでもなく、基本的には先生や先輩から習ったアイデアや手段を応用して行なうのが普通である。その「習ったアイデアや手段」が何かといえば、穴澤の時代以降、この数十年間に先人たちが様々な工夫を積み重ねてきた、その蓄積である。それがあるから、現在の私たちは自分自身で一生懸命に創意工夫をする必要はあまりない。また、劇場自体も、穴澤の活躍した時代と比べたら設備も機材もはるかに充実している。だからたとえば上記の例の「光の斑点」なども、現在ならプロファイルスポットとゴボを使えば簡単にできてしまう。だから、現在の照明家が照明デザインをする際に重要となるのは、自分自身の「創意工夫」よりもむしろ先輩や先生から学ぶ「知識」や「経験値」だということが言えると思う。したがって、本書に収められている照明の実例が、いま現在の舞台の照明を作る上で直接参考になるとは言いにくい。
ただしそれは、あくまでプロの照明家の話であって、アマチュアや学校現場では事情が異なることも多いと思う。舞台の照明設備といっても、たとえば高等学校等の学内の公演会場の場合には、ボーダーライトとスポットライト数台、それにストリップライト数本しか備えられていないようなところも多いと聞く。そういう条件の中で、公演ごとに先生や生徒が自分たちなりの創意工夫をこらして照明を作っている、そういう現場もかなりあるらしい。そのような現場の様子は、まさに穴澤が活躍していた頃の劇場事情と重なるところが多いのではないかと思われる。だとすれば、本書『舞臺照明の仕事』は高校演劇等の学校現場においては、まだまだ有効かつ実践的な「教科書」「参考書」として役立つことが大いに考えられる。
また、本書の冒頭部分には、舞台照明のあり方、態度などについての穴澤自身の力強い考えが述べられている。それは技術や時代が進んだ現在においても全く鮮度を失っていない、普遍的な照明哲学と言えると思う。少しだけ引用してみよう。
「舞台照明の設計者は小説家、戯曲家のように現実を目の前において、そこから自身の芸術を創造するのではなく、現実の他に、戯曲を第二の現実として、この二つのものから演劇を創造してゆかなければならないのである。(中略)
しかし、ここで注意しなければならないことは、光自身が大きな美の力であり、色彩が人間の感情を左右する力があまりに大きいために、(中略)ともすると演劇(演出)の本質より離れた賞賛の為の舞台照明に陥りやすい傾向が多分にあるということである。また逆にあまり形象化に対して消極的であることも考えなければならない。
この迷路を十分認識して、演劇の創造という大きな共同の目的に対して、全体の中の一部分であるということを忘れないで創造に参加しなければならない」
(「舞臺照明の仕事」復刻版 p2~3より)
この短い引用だけではわかりにくいかも知れないが、舞台照明の役割や考え方、あるべき態度などが、ここでは実に明快に述べられている。現在の照明家で、これほど真剣に舞台照明そのものについて考えている者は少ないと思う。もっとも、昨今では舞台照明もビジネスであるから、現場においても「それを照明家がやるべきか」ということには昔よりもはるかに敏感になっている。やれ「それは照明ではなく映像の仕事だ」「それをするなら電飾屋を雇ってくれ」「それは舞台装置の一部だから照明セクションでは受け持てない」「それは照明に関係するからこちらにヒトコト言ってくれ」など、業界の境界線については昔よりもずっとシビアである。しかしそれは「舞台照明とは何か」という根源的な考察とは関係ないことは明らかである。
いっぽう本書が書かれた時代は、(穴澤に限らず)照明家一人一人が、自分たちの仕事である舞台照明そのものについて、それぞれが個人の立場で真剣に考えていた。なぜなら、この当時は舞台照明という職種自体が現在ほど確立した状態になかったからである。照明家は単なる電気技師ではなく「芸術を創作する一員だという認識」がようやく定着する(あるいは定着させようと努力する過程にある)時代であり、当時の照明家は自分たちの仕事を自分たちで切り拓いていく以外になかった。
そうした中にあって、穴澤喜美男という照明家がどうであったかというと、本書を読めば明らかなように、あくまで「技術者」という態度を貫いている。徹底した技術者であった穴澤が「全体の中の一部分」として芸術の創造にどのように参加すべきか、それをこれだけ力強く主張しているのである。そのことは、当時の舞台照明家たちが、自分たちの地位や立場を確立し向上していこうと常に努力していたことを示していると言えるだろう。
また、本書後半では、劇場における舞台照明の機材や設備について、穴澤自身の考えをまじえながら詳細な解説がなされている。しかし扱われている内容は20世紀なかば当時のものなので、現在はほとんど使われなくなった機材や設備(アーク・スポットや変圧器式調光器など)についての記述も多く含まれているし、当然のことながら当時以降に登場した機材については記述がない。だからいま技術資料として実践的に役立てる目的には向いていないが、穴澤による解説は大変興味深く、当時の照明現場の様子をいきいきと想像させてくれる。それを含め、歴史的な意味では貴重な内容である。特に舞台照明の歴史を深く研究したい者にとっては資料としての価値は大きいと思う。
最後の「あとがき」では、本書を執筆する上での戸惑いやもどかしさなど、穴澤自身の人間味がにじみ出ていて、照明の世界を切り拓いた偉大な先駆者の苦労を思わずにはいられない。ぜひじっくりと味わって読んでいただきたい。
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