「平田オリザ演劇展」の照明

「平田オリザ演劇展」の照明は、汎用性の高いオサエ(ウォッシュ)と、演目ごとのスペシャルな仕込み、の組み合わせで出来ています。
仕込図に沿って解説してみます。



この中で、
・地明①~⑤
・奥地明①~③
・前地明①~⑤
は、真下に落としているいわゆる「地明かり」ですが、配置がやや特殊になっていて、かつ、すべて単独回路で独立に点灯できるようになっています。演目ごとの舞台の形の違いをカバーするために、このような変な配置になっています。たとえば、地明①~⑤は、下手奥から上手前にナナメに配置されていて、これは「マッチ売りの少女たち」の巨大テーブルのトップライトを兼ねています。それに奥地明、前地明を全て加えると、舞台全面をカバーする地明かりになります。「マッチ売りの少女たち」では、「地明」を明るく、「奥地明」と「前地明」はやや暗めに点灯します。またたとえば「ヤルタ会談」ではこれら全てを、ほぼ同じ明るさで明るめに点灯します。

・サイド下(奥・前)
・サイド上(奥・前)
・奥あて下①、②
・奥あて上①、②
・奥CL

これらは、舞台の内から外に向かう光で、舞台の「閉鎖感(室内感)」を演出します。これも細かく回路が分けられており、演目によって、あるいはシーンによって、適切なものを選んで点灯できるようになっています。

・フロント(下手・上手)
・#B-4シーリング

これらは、舞台の前半分を前からあてている光で、舞台の「開放感(屋外感)」を演出します。

・切り穴

これは、下手のデハケ口のトップライトのつもりで書いたのですが、実際には地明①でそれを兼ねられることが現場で判明したので、カットになりました。その分の機材は、舞台中央前端に吊り替えられ、「前地明⑥」になりました。

以上が、オサエです。これらの仕込みから、演目に応じて適切なものを選び、適切な明るさで点灯します。しかし、それだけでは多彩な演目の照明演出としては不十分なので、演目ごとのスペシャルの仕込みが加えられています。

「マッチ売りの少女たち」
・夫、妻
・#73、#37(現場で#67に変更)、#87

「走りながら眠れ」
・#B-4(奥、前)
・すだれ(二色)

「ヤルタ会談」
・スターリン、ルーズベルト、チャーチル
・旗

「さようなら」
・A(①、②、③)
・B(①、②、③)

これらスペシャルで強いものを、先ほどのオサエに重ねることにより、全体のバランスを作っています。

なお、「舌切り雀」は出演者が一人で演技エリアも狭いので、スペシャルの仕込みは特に作らず、オサエの明るさの調整だけで作りました。ただそれだけだとセンター奥の光量が足りなかったのでヤルタ用の「ルーズベルト」を加えています。

「さようなら」が去る3日で公演を全て終了したので、A(①~③)とB(①~③)をバラし、その機材を使用して、「銀河鉄道の夜」(14日初日)のスペシャル照明を、昨日の公演終了後、仕込みました。本日休演日は、その明るさのバランス調整作業を行います。

「平田オリザ演劇展」、17日までやっています。明日7日の「マッチ売りの少女たち」だけ売り切れですが、他の回はすべてご予約可能です(本記事掲載時点)。
混雑状況の確認と、チケットのご購入・ご予約は、「青年団公演オンラインチケット販売」の画面で簡単に行なえます。
皆様のご来場をお待ちしております。


カテゴリー: 照明


Perfume 武道館ライブのピンスポット

以前、ツイッターに「武道館ピン」と題して連続ツイートしたものを、まとめて加筆して再掲します。武道館ライブのDVDをお持ちでないと、あまり面白くないかも知れませんが、悪しからず。

--------

Perfumeの武道館ライブのDVDは、ピンスポットがとてもわかりやすく映っています。ピンスポットについて、少し細かく分析してみました。

ピンスポットは、通常は中央正面からあてられますが、武道館のような大きな会場の場合、斜めや真横からもピンスポットが使用されることが多いです。しかし、斜めや横のピンは画面からの解析が難しい面がありますので、今回は正面のピン(センターピン)のみを取り上げます。

ピンスポット自体については、以前「エレワの照明」と題した連続ツイートで少し紹介しました。ピンスポットは、とても強力な光を放ちます。白い光のピンで照らせば顔が明確に明るくなるし、カラーフィルターが入れば、その色に一発で染まる、強い光です。

武道館の一曲目「コンピューターシティ」では、なんとピンスポットは使われていません。この「コンピューターシティ」は、ピンが全くあたっていないので三人の顔はずっと暗いままです。これは実に思い切った演出だと思います。

センターピンは、普通、中央の高い位置にある部屋(ピンルーム)から照射されます。DVD画面でもピンルームは確認できます。「コンピューターシティ」中だとタイム4m52sぐらいから。二階席中央の頭上に、横に細長い窓が三つ並んでいるのが見えます。これがピンルームの窓です。

「コンピューターシティ」ではピンスポットは使われていないので、ここではまだピンルームの窓は暗い、ただの黒い四角形にしか見えません。しかし、このあとピンスポットが点灯されると、この窓から強力な光のビームが照射されるのです。

二曲目の「edge」からピンスポットは使用されているのですが、DVD映像でピンスポットの光を確実に確認できるのは、次の「エレクトロ・ワールド」が終わった後のMCの時、タイムで言うと15m30sぐらいのカットです。先ほどの窓から、強烈に明るい6本のビームが出ているのが見えます。

ピンが6本ということは一人に対して2本のピンがあたっているということです。「plastic smile」「love the world」ではピンの丸い光とその影が後の壁や床に出ていまが、よく見ると各2本のピンによる少しずれた二つの影が出ています。

ピンをPerfume一人に対して2本ずつ(6本)使用しているのは、おそらく明るさを確保するためだと思われます。逆に、明るさがそれほど必要ない曲などで、一人に1本だけピンがあたっているケースも見つかります。

たとえば「マカロニ」は、一人1本のピンです。イントロ(DVDタイムだと29m05sぐらい)でピンルームから光が3本だけ出ているのが確認できます。ちなみに歌中の、29m27sぐらいのカットを見ると、横からのピンの光も見えます。

この分析をしてて面白いことに気づきました。サビの途中30m22s付近を見ると、ピンの光が交差しています。かしゆかにはまっすぐ光が当たっていますが、あ~ちゃんとのっちにあたる光がクロスしています。2コーラス目のサビ、31m09s付近ではよりはっきりわかります。

この理由は、(おそらく)ピンスポットの操作者が「誰を照らすか」を決めているからだと考えられます。具体的には、下手(しもて)のピンはかしゆか、中央のピンはあ~ちゃん、上手(かみて)のピンはのっちを照らす、と、決められているようです。

この武道館ライブでは、その原則は最後まで守られます。合計6本のピンがありますが、下手側2本がかしゆか、中央2本があ~ちゃん、上手2本がのっちを照らしています。常に。

たとえば「GAME」の48m56s付近で一瞬ピンのビームが映ってますが、ここでは三人の並び順が下手から「あ〜ちゃん」「のっち」「かしゆか」の順です。中央2本のピンの光が、下手のあ~ちゃんを照らしているのがわかりますね。

あるいはMC中の1h04m23s付近。ピンルームからのビームを見ると、中央2本のピンが消えていて、下手の2本がかしゆかを、上手の2本がのっちを照らしていることが確認できます。この時あ~ちゃんはステージにいません(おそらく)。

「PTAのコーナー」の、たとえば1h20m12s付近からなど、6本のピンスポットが2本ずつ分担して3人を追う様子が観察できます。それら、常に、下手側2本のピンがかしゆか、中央2本のピンがあ~ちゃん、上手2本のピンがのっちを照らしています。

「うえしたうえうえ」で盛り上がる「Puppy love」の1h31m21s付近からを注意深く見てみましょう。やはり、「下手ピン=かしゆか、中央ピン=あ~ちゃん、上手ピン=のっち」の原則は、絶対に崩れていません。

このように、ピンスポットは通常、舞台上の「誰を照らすか」を決めてオペレーションされます。

「武道館ピン」おわり


カテゴリー: 照明


Perfume「エレクトロ・ワールド」の照明について

なんだか、ブログ開設早々、原発の話ばっかりで、雰囲気が暗くなってしまったので、違う話題を書こうと思います。

僕は、芸能やスポーツにはまったく「うとい」のですが、Perfumeだけは、諸般の事情があって、実はわりと詳しいのです。CDやDVDもかなり所持しています。今回は、ツイッターで以前「エレワの照明」と題して連続ツイートした、Perfumeのライブの照明の解説を、再構成してアップしてみようと思います。

以下、主に、Perfumeの「GAMEツアーDVD」および「武道館ライブDVD」の中に含まれる曲、「エレクトロ・ワールド」の照明について解説しています。DVDをお持ちでない方は、YouTubeとかで「エレクトロ・ワールド」とかで検索していただくと、DVDに収録されているものに近い動画を閲覧出来るかもしれません。いずれにしてもこの文は、「エレクトロ・ワールド」の映像を見ながら読んでいただくことが前提の内容になっていますので、どうかその点、ご承知おき下さい。

さて、収録されたライブの「照明」を見ようとする時に、はたして何を見れば良いのか。光源(ライト)が画面に映り込んでいるものは、まあ見ればわかります。しかし、映像から照明を分析する際のキモは、光源が映り込んでいなくて、到達している光だけを見て、光源の位置などを類推することにあります。

GAMEツアーDVDの「エレクトロ・ワールド」を、照明に注意しながら細かく見てみましょう。

1コーラス目の歌い出しのところ、「この道を走り〜最後で最後最後だ」は、Perfumeにどこから光があたっているか、わかりますか? なお、ライブの照明は会場によって違うので、あくまで「GAMEツアーのDVD」で見て下さいね。

歌い出しは、のっちが右(舞台用語で言う上手=かみて)を向いているアップです。そこで、マイクを持った手の影が顔に出ているのがわかります。影は光源と逆方向に出るので、ということは、上手のほぼ真横に光源がある、ということがわかります。「振り返るとそこに~」のあたりで正面を向いた時には、たしかに顔の上手半分が明るく見えています。

またその部分をよく見ると、上半身=顔や腕に比べ、脚はずいぶん暗く落ちていることがわかります。つまり、上手の真横からの光は、Perfumeの上半身だけを狙ってあてられているのです。これにより、宙に浮いているような幻想的な雰囲気を出しているんですね。

もちろん、ここでの照明は上手の真横だけではありません。他にも、後や上からの青い光、その他様々な光が合成されて美しいシーンを構成しています。ただ、あまり細かいところまで画面で見分けるのは無理なので、この場ではわかりやすい光のみに注目していくことにしましょう。

数多く点灯している照明の中で、最も見分けやすいのは「ピンスポット」(略して「ピン」という)だと思います。ピンスポットは、キャストの正面から丸くあてて人が操作して追っかけて動くライトです。舞台照明を誇張して表現するときによく例にされるやつですね。このPerfumeのライブでも、ピンスポットは使われています。ではこの「エレクトロ・ワールド」ではどうかというと、最初の歌い出しの部分ではまだピンは消えています。

ところで、ピンスポットは、その丸い光の形が印象的ですが、その目的は丸い光の形ではなく、とにかく「明るい」光を得ることです。ピンスポットはほとんどの場合、その会場で「最も明るい」照明機材です。この「エレクトロ・ワールド」では、歌詞の「エレクトロ・ワールド」の「ワー」の音と同時にピンスポットが見事にカットインしています。

ピンスポットの光はとても強いので、これがあたると顔がパッと明るくなります。DVDの映像ではカメラアングルも同時に切り替わっているので気づきにくいかもしれませんが、「エレクトロ」から「ワールド」への瞬間に、三人の顔が、パッと明るくなっています。これが「ピン」の光です。

ピンスポットは光に色をつけることもできます。具体的には、ピンスポットの操作者が、カラーフィルターを手に持って、ライトの前にかざすのです。この「エレクトロ・ワールド」で言うと、歌詞の「落ちる僕の手にひらりと」の次の間奏でピンスポットの光が赤くなっています。そして次の「本当のことに」の歌でまたナマのピンになっています。わかるでしょうか。

そのあと2回ある「ああ あああ~oh yeh エレクトロ・ワールド」の部分もピンスポットが赤い光になっています。続く「見えるものの~たしかにいるよ」の所は、映像ではちょっと色の判別が難しいですが、おそらくピンは薄い紫で照らしてるんじゃないかと思います。

次の「この道を走り進み進み」から「最後最後だ エレクトロ・」まで黄色、次の「ワールド」で、また白(ナマ)のピンになっています。ピンはたぶん3台(Perfume一人に一本)で、計3人の操作者でやってると思うのですが、タイミングが実に見事に合っていますね。

「僕の手にひらりと…」のリフレインでピンは再び黄色になり「もうすぐ 消える」まで黄色、いや厳密には、次の最後の「エレクトロ・ワールド」の、「エ」まで黄色で、「レクトロ」で一瞬赤になり、すぐピンがカットアウト。「ワールド」では三人の顔がフッと暗くなっています。

以上、「エレクトロ・ワールド」のピンについて、細かく見てみました。

ところで、舞台照明では、大きく分けて二種類の光源が使われています。一つはハロゲンなどの「白熱系」ランプ、もう一つはクセノンなどの「放電系」のランプです。白熱系は電源電圧をコントロールしてランプそのものを点灯/消灯させてコントロールしますが、放電系ランプはそれが出来ません。

放電系の器具は、機械的なシャッターにより光を出したり消したりしており、内部のランプはつきっぱなしです。なので、白熱系は緩やかな光量変化を得意とするのに対し、放電系はカットイン/カットアウトが得意です。なお、前述のピンスポットは、光源の種別で言うと、放電系ランプのほうに属します。

白熱系ランプと放電系ランプの違いを見ることができる例として、GAMEツアーDVDと武道館DVD、それぞれの、「エレクトロ・ワールド」のイントロを見比べてみてください。

GAMEツアーのほうは、イントロで、逆光で三つの光がチカチカと点滅しています。こういう点滅は放電系の特徴です。一方武道館DVDでは、歌の冒頭フレーズ中に逆光の光が右から左に流れています。これは白熱系の光源です。明るさが緩やかに変化して波のような効果を生んでいます。

実際の舞台照明業務では、照明機材は「ムービング」「一般照明」「ピンスポット」の三種に分類するのが普通です。「ムービング」は放電系の光源で、モーターで向きが動くライト、「ピンスポット」は前述の通り、人が操作して動かすとても明るいライト、「一般照明」はそれ以外の、固定的に設置された白熱系光源の機材を指します。

一般照明は、要するに「昔からある普通の機材」です。これは、安価に大量に導入することができます。一方ムービングライトは、一台で向き・色・柄(GOBO)などを遠隔操作で自在に変えることが出来る、精密機器です。Perfumeのライブは、ムービングがかなりのウェイトを占めています。

他に、舞台で光を発するものとしては、レーザーやLEDパネルがあります。LEDパネルは武道館ライブの舞台背面、直角二等辺三角形ツアーの舞台床面などで使われています。これらは、僕達「舞台照明」とは違う専門領域で、僕もその知識はほとんどありません。

ムービングライトは、名前の通り動くライトですが、光の色を高速に変えられるというのもその特徴の一つです。一つの光源の色が黄色から青に、そして白にと、パッパッと切り替わっているライトを見つけたら、それはムービングです。一方、一般照明は基本的には固定的にはめられたフィルターの色の光を、つけ消しすることができるだけで、一台の光源の色が変わることは基本的にありません。

Perfumeの3枚のDVD、GAMEツアー、武道館ライブ、直角二等辺三角形ツアーのDVDを見比べると、ムービングの数が次第に増えていることがわかります。GAMEツアーではステージ上の客席向きの三台、武道館では、大画面の左右に縦に四台ずつの八台のムービングが、特に判別しやすいと思います。

これが直角二等辺三角形ツアーになると、ムービングライトの台数が急増します。これは予算の増加を意味します。直角二等辺三角形ツアーDVDで、「エレクトロ・ワールド」のサビ「ワールド 地面が」のあたりを、コマ送り再生してみて下さい。ほぼ一コマごとに光の色が変わる部分が観察出来ます。この素早い色の切り替えはムービングならではです。

2010年11月3日、Perfumeは東京ドームライブを成功させました。僕は、そのライブ会場に行ってこの目でその照明を見る幸運を得ました。その時の照明の構成は、ほぼ「オール・ムービング」でした。一般照明は、客席あてと、エンドステージの数字オブジェタッチだけだったと思います。ピンスポットは、僕の視認が正しければ15本でした。ムービングとピンスポットを中心に構成されたドームライブの照明は、それはとても素晴らしいものでした。でも、その隅っこでちょっとだけ設置された一般照明機材が、僕にはちょっと寂しそうに見え、とてもいとおしく感じました。



カテゴリー: 照明


舞台照明と原子力発電

東日本大震災によって、僕たちの住む関東は、今、電力不足に直面している。これは一時的なものでは済まないに違いない。それどころか、むしろ、原発に依存している現在の電力事情そのものが、これからはますます問題視され始めると思われる。

僕たちがなりわいとしている舞台照明は、電気をものすごく使う。僕たちが指一本でフェーダーを上げるだけで、数キロ~数十キロワットの電気が流れる。そして現状、その約三割は、原発で作られた電気だ。僕たちは、そして「脱原発」を望む僕自身は、その事実に、どう向き合えばよいのだろう。

僕は、舞台照明を始めた25年前から、「舞台照明は芸術と言えるのか」という問いを、ずっと考え続けて来た。この問題にずっと向かい続けて、そして最近、ついにやっと答えがつかめるかも、という感触を得かけたところが、今回の震災・原発危機で、すべて壊れてしまった。僕の考えは、明らかに甘かった。舞台照明は、僕の認識よりもはるかに深く、「原発」という巨大な怪物に依存しているのだ。

実際、今回の福島原発の危機的状況を受け、日本国内のすべての原発が早急に停止・廃止される方向に進むことは十分に考えられるし、僕もそれを望んでいる。それを前提とすると、全体の電力不足は避けられず、普段から電力を多く使っている我々舞台照明に対しても、今後、節電の要請・圧力が生じてくることは容易に想像される。

僕自身、すでに自分が携わる照明プランに影響が出始めている。図面に照明機材を書き落とそうとすると、爆発した福島第一原発の、あの無惨な映像が頭をよぎって、手が鈍ってしまうのである。頭の中で、一人の自分が言う「その機材はデザイン的に絶対に必要だ」。もう一人の自分が言う「そんな機材一台、あってもなくてもどうせ客にはわかんないよ。省いちゃえ。そのほうが節電になるし」。

自分のやりたいことが、自分の望んでいないことを前提にしている。僕はいったい、どうすれば良いのだろうか。舞台照明デザイナーは、節電要請を受けて、消費電力が少ない照明プランを考えるよう努力する義務があるのだろうか。もう少し直接的な言い方をすれば、「舞台照明において節電は芸術に優先するのか」。

いや、そんなわけはない。芸術は宗教と同じく、功利的な理由で犠牲にされることは、人間の行為としてはあってはならない。しかし、現に今「節電に配慮した照明」がいくつかの舞台で実施されているという事実がある。それはどういうことか。そういう現場では、節電が、舞台照明効果より優先されているということである。だとすれば、だからそれは、「照明効果は舞台芸術に絶対に必要なものではない」ということが、そこで実証されているということを意味する。少なくとも僕にはそう見える。我々照明家は「節電」の御旗のもと、「芸術」の世界から切り捨てられつつあるのかも知れない。

そうだとすれば、舞台照明は、「舞台芸術」から切り捨てられ、再び「電気工事」の領域に返されようとしている、ということかも知れない。それを、僕たちは受け入れるのか、それとも、それと戦うのか。

この問題を考える時、「事業仕分け」が比喩として浮かぶ。事業仕分けは、限られた予算を、無駄な事業に使わず、国民にとって有効なことに使おう、という主旨だ。同じように、「限られた電力」についても、国民にとって有効なことに電力を配分しよう、という議論が、これから始まるのかも知れない。

舞台照明は、はたして国民にとって必要なものだろうか。僕は、芸術、とりわけ演劇が、現代日本の社会により必要となっている、と主張して来た一人である。同様の理路で、舞台照明も、社会にとって必要なもの、長期的には国民のために大事なもの、という認識が、はたして共有されていくのだろうか。それとも、舞台照明は「芸術」の枠組みから蹴落とされてしまうのだろうか。

僕は、日本が脱原発を遂げることを心から望んでいる。しかし脱原発が本当に実現したら、その時、電気を大量に使う舞台照明は、いったい社会に認めてもらえるのだろうか。あるいは、LEDとか蛍光灯とか、ああいう、電力効率ばっかで表現力に乏しい器具が、舞台でも主流にならざるを得なくなるのだろうか。そういうことを真剣に考えなければならない「日本の舞台照明の危機」が、きっと訪れる。

僕たち舞台照明家は、この大きな変化に、どう立ち向かえば良いのだろう。闘うのか、それとも、それを受け入れるのか。いずれにしても、そういう変化に立ち向かう時が来るという、その「覚悟」だけは、持っていなければならないに違いない。


カテゴリー: 照明