帰国

(つづき)

やはり、カード会社が調べてくれた便は、先ほど「ビジネスクラスが一席」しかないと言われた便、そのものだった。カード会社の担当者、カウンターで電話を替わって、エールフランスの人と話をしてくれて、10分ちかく電話で頑張ってくれたものの、やはり結論は変わるはずもなく、その便は取れませんでした。

結局、そうこうする内に大韓航空のカウンターが開く時刻となり、行ってみると、難なく23:45発の仁川経由の帰国便のチケットを買うことができて(もちろん今回お世話になったカード会社のカードで支払いました)、無事に11日の夜に、当初の予定より約12時間おしで帰国できたのでした。

今回のトラブルは、サンタルカンジェロで「空港に行くための迎えのバスが遅れた」ということが原因ですが、たったそれだけのことが、僕たちの集団にこれほどの大混乱を引き起こしたという事実は、ある意味、大変勉強になりました。

そして、ツアーメンバーのみんなが、この混乱にあって、「誰の責任だ」「どこがミスした」などと騒がず、責任追求は後回しにし、冷静に、「とにかく急いで帰国したい」という僕たちの要望に、みんなで協力してくれたことに、本当に感謝したいです。

ということで、旅日記、おしまい(最後ちょっと、はしょり気味でごめんね)。



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イタリアツアー終了

9日

午前中はゆっくりし、昼から出かけて昼食。今日はフェスティバル提供のビュッフェには行かず、リストランテでちょっと贅沢。ポルチーニ茸がとてもおいしかった。
昼食後は、僕はまた「ヤルタ会談」の劇場を開けてもらい、アンドロイド関係の仕事をガシガシと進める。18時半頃、「ヤルタ会談」の開場時間が迫って来た。「ヤルタ会談」は僕はいなくても本番が出来る体勢になっているので、「東京ノート」の会場に移動し、仕事の続き。「東京ノート」は21時ごろ開場なので、まだ仕事をする時間はたっぷりある。20時ごろ、だいぶ仕事が進んだので、ちょっと休憩。外でマーケットが開かれているのでのぞいたり、ビールをこっそり一杯飲んだり、など。
21時20分開演で、「東京ノート」最終回。会場がかなり暑くなる。ところで、イタリア人は、前のローマでもナポリでもそうだったのだが、会場の居心地が悪いとなると、上演中だろうがなんだろうが、本当に遠慮無く席を立って帰ってしまう。この回も、少なくとも20人は途中で帰ったと思う。が、つまらなかったのかというと、そうでもないようで、終演後は大拍手、カーテンコールはなんと4回だった。
その後バラシ。といっても照明はすべて現地まかせなので、僕は字幕関係の機器を片付けたら終わり。
12時過ぎからみんなでフェスティバルバーで夕食。イタリア最後の夜を楽しく過ごす。この時点では、まさか明日の帰路で、劇団史上最大級の大混乱が起きることなど、誰も予想だにしていなかった。

10日

7時起床。8時半にフェスティバル手配のバスが迎えに来るということで、8時から朝食。8時半には全員荷物をまとめて集合したのだが、バスが来ない。はて。フェスティバルの担当者が電話で連絡。いわく「バスが遅れてて、9時10分に着きます」。ボローニャ空港発の飛行機は11時25分発。空港まではバスで約1時間だそうなので、ちょっとギリギリか。バスは空港に向かう前に劇場に寄って衣装・道具などの荷物を積み込む予定なので、そこの時間を短縮するため、数名が劇場に向かい、外まで搬出しておくことにする。
9時10分、バス、来ません。9時20分、来ません。9時30分、まだ来ません。そろそろやばい時間になってくる。座長から「プランB」が提示される。「もしボローニャ発の飛行機に間に合わないようなら、ボローニャ中央駅までバスで行って、鉄道でローマに行き、ローマ発の飛行機に乗るという手がある」。バスがやっと来たのは、9時40分。急いで乗り込み、劇場へ。急いで荷物を積み込み、ボローニャ空港へ。

さて、間に合うのだろうか。僕は手元のスマートフォンの「マップ」機能でボローニャ空港を検索、GPSで現在地を取り、カーナビ機能を使って到着時間を割り出す。空港着は11時15分。うーん、これは、間に合わねえんじゃねえの?

フェスティバル側と色々連絡をしていた制作スタッフが告げる。「飛行機は残念ながら間に合わないので、ボローニャ駅に向かいます。そこから電車でローマに移動することにします」。11時23分ボローニャ発のユーロスターに乗れれば、ローマ到着が13:45ごろ。そこから空港まで約40分。15:10発の成田便に、どうにか間に合うだろう、という読み。

僕は再びスマートフォンを取り出し、ボローニャ駅を検索。カーナビ機能による到着予想時刻は、11:20。うーん、11:23の電車に乗るのは、無理じゃねえか?

フェスティバル側からの提案で、バスから荷物を下ろす時間を短縮するため、受託予定だった荷物はバスにそのまま積み残し、バスをサンタルカンジェロに送り返して、荷物は別発送にしてもらうことになった。11:20、ボローニャ駅着。みんなホームへ。しかし、チケット購入が間に合わず、23分発の電車には、惜しくも乗れなかった。

さて、どうするか。制作スタッフから基本方針が通達された。「いずれにせよ、とにかくローマまでは行く」。それと翌日から仕事を控えている僕と舞台監督N西君の二人は、優先させて帰国させるという方針を確認。

次の電車11:56ボローニャ発の切符を購入。しかし、満席のため全員分は買えず。僕とN西君を含む12名がこの電車に乗車。残り8名は、さらに一本後の電車で追っかけローマに向かうことに。

僕たち先行の電車は14時15分ローマ・テルミニ駅着。その直前に本隊から電話で指令「岩城とN西君はタクシーで空港に向かい、15:10発の成田便にトライすべし」。テルミニ駅に着くやいなや皆に別れを告げ、タクシー乗り場へ。タクシーにはすぐに乗れた。運転手に告げる「アエロポルト・フィウミチーノ!」。タクシーは猛スピードで空港へ。Eチケットでターミナルを確認してみると、出発は第3ターミナルのようだ。運転手に告げる「テルミナル、トレ、ペルファボーレ」。
しかし、空港に到着した時は14:50をまわっていた。アリタリアのカウンターを見つけて、Eチケットを提示。「私たちは、この便に乗らなければならない」「何、どこまで?」「東京!」「何時発?」「フィフティーン・テン!」...「遅すぎです。飛行機は予定通り出発します。今からでは無理です」。

がーん。

本隊に連絡する。「間に合いませんでした。チェックイン失敗です。もしもーし、聞こえますか? 間に合いませんでした。だめでした。チェックイン、失敗です」。

N西君に提案「疲れたね、飯でも食うか」。朝食後なにも食べていない。空港のフードコートで食事。しかし、先行きがあまりに不透明で食欲も出ない。食事中に本隊から連絡。Y子とカワタツが、いま僕たちのいる空港に向かっていて、一時間後ぐらいに合流するとのこと。その間、フェスティバル側では代替便の手配を進めてくれており、パリCDG23:35発の成田行きのエールフランスを取るべく手配してくれているという。それに乗るためには、19:55ローマ発パリ行きのアリタリアに乗る必要がある。それらのチケットを、フェスティバル側がネットで購入する流れで進めてくれているそうなので、それがうまくいけば、予定よりは半日遅れるものの、どうにか11日中には帰国できる計算だ。

Y子とカワタツが第1ターミナルに着いたというので、僕たちも第3ターミナルから徒歩(約5分)で第1ターミナルに移動、二人と合流。ちょうどフェスティバルから連絡が来たらしい。19:55ローマ発パリ行き、23:35パリ発成田行きの両便を購入しようとしたが、ネット決済は出発の3時間前までなので、決済できなかった、とのこと。今は17時5分。惜しい! ということで、予約だけしてもらって支払いは私たちが立て替えることになった。

しばらくして、予約が取れたとの連絡。しかし「一つ確認したいことがあるのでちょっと待て」との指示。よくわからないがとりあえず待つ。再び連絡が来る。予約はとれたのだが、なんと、間違って明日の同便のチケットを予約してしまったとのこと。その予約番号を持って、カウンターで今日の便に振り返られないかを尋ねよ、との指示。カウンターで尋ねると、「今日の便は、ローマ-パリ便は取れるが、パリ-成田便が完全に満席。したがって、この予約を振り替えることはできない。今日のパリ-成田便は、ビジネスクラスが1席あるだけ」。

がーん。

今日出発で日本に帰る便は、他にないのか、と尋ねると、大韓航空でソウル仁川行き23:45というのがあるということを教えてくれた。そうするとソウルには夕方に着くので、おそらく日本への帰国が可能だ。しかし大韓航空の情報はここ(エールフランス)ではわからないので、第3ターミナルの大韓航空で尋ねてくれという。

4人で第3ターミナルへ戻る(徒歩5分)。大韓航空のカウンターがなかなか見つからない。あった、あった。一番遠くだ。しかし、カウンターはあったが、誰もいない。なぜ、誰もいないの?

もう仕方がないので、目に付く航空会社に片っ端から聞いてみるしかないのか、と、僕たち4人はなかばヤケッパチな気分になる。手近のブリティッシュ・エアウェイズにY子がアタック。僕は、空港の案内所に行き、大韓航空のチケットはどこで買えるか尋ねてみることにする。

Y子が調べたブリティッシュ・エアウェイズは、「今日ロンドンに移動し、ロンドンに一泊して早朝5時発の成田行き」、という案。これだと日本時間の12日の朝に着く。いやしかし、ロンドン一泊って...あまりの「前途多難」感に、気持ちが折れそうになる。

僕は、案内所で大韓航空のチケットカウンターを尋ねてみたのだが、どうやら僕たちの行った場所で正しいらしい。「しかしそこには誰もいない」と告げると、「大韓航空の今日の便は23:45発の仁川航空行きしかないので早すぎる、3時間前にならないとカウンターは開かない」、との答え。つまり、時間が早すぎるということのようだ。ついでにその案内所で、東京行きの便を尋ねてみる。すると、ローマから東京への直行便は一日たった一本、アリタリア航空の15:10、つまり僕たちが乗り遅れた便しか無いとのことだ。ためしにソウル仁川空港行きを聞いてみると、やはり、23:45発しかないらしい。どうやら、この大韓航空が、唯一の現実的な選択らしいということが、だんだんわかってきた。だとすれば、もう急いでもあまり意味が無い。

「とりあえず休憩しようか」。4人でカフェに入る。フェスティバルがまったく頼りにならない今、要するに「何でも良いから11日中に帰国する便」を探す、というのが僕たちの今のミッションである。ふと、僕の所持しているクレジットカード会社が、海外旅行のサポートサービスをやっていることを思い出した。こういう時にこそ役に立つに違いない。早速カード会社に電話してみる。日本は今は深夜2時である。しかし、このカード会社ならきっと対応してくれる。電話がつながった。落ち着いて、状況を告げる「仕事でイタリアに来ているのだが、手違いで帰りの便に乗り遅れた。しかし何とかして今日帰りたい。力を貸してくれないか」。すると、さすがサービスの質の高さを誇るカード会社、「帰りの便をお調べして、折り返しご連絡します」とのこと。

ローマに置き去りにした本隊から連絡が入った「ローマの宿泊先はまだ決まらないのか」。僕とN西君がどうにか帰国しようと算段する中、ローマの本隊は、ローマに一泊し、翌日の便で帰国する方向で進めている。しかし本隊はローマに長時間置き去りにされ、身動きがとれず疲労している模様。カワタツが座長に状況を連絡する。すると「Y子とカワタツは岩城とN西の帰国に専念せよ。本隊はこちらで何とかする」との指示。それを受けてカワタツが本隊に連絡「本隊のホテルについては座長が情報を持っている。座長に連絡して情報を得るべし」。

カード会社から電話が来た「今日の19:55分のアリタリアでパリへ行き、23:35パリ発の成田行きJALがございます。席はかろうじてあるようですが、正規チケットのため、金額がお一人様69万円ほどになってしまいます」。69万はさすがに無理だ。それしか無いのか、と尋ねると、「航空会社独自の枠がある可能性があります。航空会社のカウンターからお電話を頂戴して、カウンターの方に代わっていただければ、私どもでお話のお手伝いをさせていただきます」。「どこの航空会社に行けば良い?」「アリタリア航空か、JAL、あるいは共同運行のエールフランスですね」。ここは第3ターミナル。言われた中ではアリタリアのカウンターしかない。

そうする中、Y子のタイムリミットがせまる。Y子は、今日中にサンタルカンジェロに帰らなければならない。そのためには、19時にこの空港を出る必要がある。「あとは心配ない。気をつけて」とY子に別れを告げ、アリタリアのカウンターへ。

アリタリアのカウンターで、カード会社に電話をかけ、電話を代わってもらう。しかし、どうも話が通じていない様子。アリタリアの人、しびれを切らした様子で電話を外し、僕に言う「英語は話せる?」。「少し話せる」と答えると、「何が問題なんだ?」「チケットを買いたいんだよ」「どこまでの?」「東京までの。パリ経由で」。すると、「じゃあここじゃない。第一ターミナルのエール・フランスのカウンターに行ってくれ」とのこと。電話を受け取り、その場は引き下がる。しかし、カード会社が言うこの便って、さっきエール・フランスのカウンターで「空席はビジネスクラス一席のみ」と言われたのと、同じ便じゃないのか...?

(つづく)


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サンタルカンジェロ

4日
午前中は「東京ノート」の片付け。といっても、照明等の現地で用意してもらったものには手をつける必要はなく、持ち込みの置き道具、リノリウムなどだけ撤去、梱包すれば良いので、1時間ほどで終了。
出発まで2時間ほど空いたので、僕たちは高台にあるエルモ城に上ってみる。ナポリを一望できる素晴らしい景色。ナポリの街を一直線に貫く道「スパッカ・ナポリ」が下に見える。
昼過ぎに街中に戻り、昼食にパニーニを買う。歩きながら食べ終えて、ホテルロビーに集合。
貸し切りバスに乗り込み、何百キロも離れた「サンタルカンジェロ・ディ・ロマーニャ」へ向かう。ナポリは、イタリア半島西岸のやや南、サンタルカンジェロは東岸のやや北である。実に9時間に及ぶバス移動。
22時過ぎにやっとサンタルカンジェロのホテルについたが、チェックインがなかなかはかどらず。
23時ごろになって、やっと夕食にありつく。フェスティバル側が用意したビュッフェ形式の食堂。さすがにみんな空腹。無言でがっつく。
ホテルに戻り、疲れ果てて就寝。

5日
今日は終日オフ。遠出をする者たちもいるようだが、僕たちはサンタルカンジェロ市内を散策。丘の上に上るととても景色が良い。
夜19時からアンドロイド関係の打合せ。フェリーニがよく行っていたという店に案内される。こだわりの高級店。メニューなんて無い。最初に「飲み物は何にする?」と尋ねられる。飲み物が出てくると次に、「今日のプリモ・ピアットは、○○の○○ソース、○○と○○の○○...」などのように、口頭で今日のメニューを説明され、その中から選ぶように言われる。だが全部イタリア語なので、大変である。フランス在住のHちゃんが、かろうじてイタリア語もある程度理解できるので、通訳してもらう。プリモを食べ終わるころ、「今日のセコンドは...」と、またメイン料理の説明。英語しかできない日本人だけでいきなり来ても、絶対無理です。この店は。
アンドロイドの打合せは、話をすればするほど、色々大変だということが見えてきて、前途多難な感じ。

6日
朝から「東京ノート」の仕込み。といっても、照明は事前にフェスティバルスタッフによって吊り込み、回路、フィルターなどは出来ている。なので僕の仕事はチャンネル指定をして、パッチをお願いするところから。あと字幕関係の設置を行う。
午前中に「東京ノート」の舞台がだいたい出来、昼食。徒歩15分ぐらいのところに食事が提供されている。ビュッフェ形式。ナポリではこってりな食事が続いたが、こちらでは味付けはあっさり、脂肪分も少なく、野菜も豊富。僕たちにとっては嬉しいメニューだ。
午後からは「ヤルタ会談」の仕込み。こちらも照明は事前にできているので舞台と字幕の設置が主な作業。16時半頃にはだいたい舞台が出来上がったので、照明のフォーカスを行う。8台だけだからすぐ終わる。1時間ほど休憩。
18時から、「東京ノート」のフォーカス。こちらはイントレによるフォーカス。僕自身が上に上って作業する。吊り位置が悪いところを吊り替えながらの作業なので、ちょっと時間がかかった。が、20時半ぐらいには終了。
昼と同じく徒歩15分のところに行って食事。ワインやパスタなど堪能。

7日
午前中は「東京ノート」の場当たり。並行して明かりのバランスを作る。おおむね問題ないが、舞台最前部がちょっと暗すぎたので、補正の仕込みを追加。
昼食後、「ヤルタ会談」の場当たり。こちらはほとんど問題なし。
21時から「ヤルタ会談」ゲネ。ゲネは当初は19時の予定だったが、他のカンパニーとのかねあいでフェスティバル関係者も見ることができるよう、時間がずらされたのだ。ゲネなのだが、関係者を中心に、満席。トリプルカーテンコール。本番さながら、というか、もう事実上初日みたいな感じである。

8日
11時開演で「東京ノート」ゲネ。こちらも関係者がかなり客席に入り、ゲネにもかかわらずダブルカーテンコール。
夜の初日公演まで時間が空いたので、僕は「ヤルタ会談」の会場を早めに開けてもらい、そこでロボット関係の仕事をガシガシと進める。のんびりしてはいられないのだ。このイタリアから帰国したら、ずーっと忙しいのだ。少なくとも8月までは休み無く現場が続く。次から次へとプランをこなして行かなければならない。
19時から「ヤルタ会談」初日。非常に良い反応。カーテンコールは、なんと4回。
21時20分から「東京ノート」初日。もともとは21時開演だったのだが、フェスティバルの他の演目との関係で20分遅くなった。こちらも良い反応。カーテンコールは3回。終演したのは23時過ぎ。そのあとさらにアフタートークがあったのだが、そちらはフェスティバルスタッフが照明をやってくれるとのことで、僕は解放。トークも聞かないことにした(どちらにしろイタリア語だからわからない)。
フェスティバルバーで夕食。とても長い一日だった。明日がもうバラシだなんて、まったく実感が無い。


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ナポリ(2)

2日
10時半に朝食。朝食会場はホテルの11階にあり、大変眺めがよろしい。晴れている日はベズヴィオス山が圧巻。
妻は今日は朝からみんなと買い物に出かけている。僕は、NJ、YKRと一緒に、昼から国立考古学博物館に行くだけ、というのんびりスケジュール。タクシー運転手に「ムゼオ・アルチェオロジコ・ナツィオナーレ」と告げると(この発音は実はやや間違っている)、「10ユーロ」だと言う。僕はまあそんなもんかな、と思ったのだが、NJが「高い、高い」と言う。運転手「9ユーロ」、NJ「いや、7ユーロ」、運転手「8ユーロ」、NJ「いや、7ユーロ」。僕「8ユーロでいいよ」。NJは、本人曰く「中国に滞在してた時に値切り癖がついた」そうだ。
考古学博物館を1時間半ほどで見終えて、徒歩でブラブラとホテル方向に戻る。途中でお茶。僕はエスプレッソだが、女子達はなんとかっていう甘そうなものを頼んでいた。
15時ごろホテルに戻る。
16時にホテル発、会場へ。この会場では僕は「ヤルタ会談」の字幕操作を担当している。「東京ノート」は特にやることは無いので、今日は上演中は楽屋に引っ込んでいることにする。
終わって23時過ぎにホテル着。ホテルの近くのピザ屋で食事。

3日
今日は当初は朝からポンペイの遺跡に行く予定だったが、何しろポンペイは体力を使うという話を聞き、病み上がりの僕はちょっと体力的に自信が無く、取りやめ。一人、ホテルで休むことにした。ということで、今日も10時半に朝食。
その後も部屋でゴロゴロ。寝たりとか。
16時ホテル発で会場へ。今日は時間があるので、今回会場となっている美術館、「カポディモンテ美術館」の展示を見ることにする。カポディモンテ美術館は、もともとは宮廷のような建造物で、最初から美術館として建てられたものではない。だから、普通の美術館のような効率的な展示ではなく、建物自体も鑑賞対象となっており、そこがまた面白い。
19時開演で「ヤルタ会談」。19時半過ぎに終演。ただちに字幕関係の機材をバラす。20時にはもうバラシを終え、全ての機材を楽屋に引き上げる。
20時半開演で「東京ノート」。こちらは、終演するともう22時過ぎなので、バラシは一切行わず、すぐに退出。だが、プロジェクターとパソコン本体だけは楽屋に引き上げた。あとのバラシは基本的に明日の午前中に行なう。

23時過ぎにホテルに戻る。そこから、Castel dell'Ovo(卵城)近くのフェスティバルバー(みんなで一昨日行った所)に行く者、近所で食事する者などに分散。僕たち夫婦は、明日も早いし、遠出は避け、近所で済ますことにする。昨日も行った店で、パスタやピザを堪能。イタリアの食事(イタリアン)は、僕たちにとってもおいしく楽しめるので助かります。実はフレンチは内心いまいちだと思ってるんですよ僕は。やっぱりヨーロッパに来て、僕たちの味覚に合うのは、イタリアンと中華だよね。


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ナポリ

ナポリに来ています。最初の日から昨日までを日記風に。

28日
朝5時のバスに乗り、成田空港へ。「東京ノート」「ヤルタ会談」イタリアツアーの始まりである。
ツアーメンバーは7時半に成田第一ターミナルに集合。空港まで車で運ばれてきた劇団の荷物(衣装・道具など)を受け取り、チェックイン。さすがに海外公演をたくさん経験して来た劇団なので、この段階でのトラブルはほとんどない。

ローマ行きのアリタリア航空でヨーロッパへ向かう。飛行時間は約11時間。時差がある土地に行く際は、機内でとにかくできるだけ眠るのがポイントである。しかし、機内映画で「スペース・バトルシップ・ヤマト」をやっていたので、つい見てしまう。僕は世代的に完全に「宇宙戦艦ヤマト」世代なので(ブラスバンド部でヤマトの主題歌を演奏したクチだ)、非常に楽しく見ることができた。主人公の古代進、森雪、あるいは空間騎兵隊の斉藤、佐渡医師、アナライザーなどについて、原作から大きくキャラクターを変えることで、見事に現代的な話になっていた。「イスカンダル」「ガミラス」「デスラー」などの設定も、実に思い切って大きく変えていたのが見事だった。設定内容から見て、おそらく「スタートレック」を大きく参考にしたはずである。異星人の設定が、非常にスタートレック的だった。

ローマの空港で約2時間のトランジット。当然ビールである。そして、小型飛行機でナポリへ。そしてナポリ空港から車でホテルへ。

今回のホテルは、かなり良いホテルである(四つ星)。ネットは一日30分まで無料、それ以上は有料。ちょっと迷ったが、今日はネットは使わないことにする。

みんなで徒歩で15分ぐらいの繁華なエリアに出かけて食事。おいしいピザとパスタをいただきました。

29日
仕込み。といっても、今回は美術館の展示室(ロビーではないよ)での公演なので、総仮設である。照明は、美術品を傷めないように発熱しない機材ということで、美術館にあるメタハラのソースフォーパー(150W)に限定。だから調光はできない。
事前に僕が書いた図面の通りにフェスティバルスタッフが設置してくれるのを待つしかない。字幕関係をできれば仕込みたいところだが、電源も先方に出してもらわないといけなくて、それを待たなきゃ行けないので、結局朝から夕方まではただひたすら待つ、待つ、待つ。
午後、「ヤルタ会談」のほうが先にセッティングができたので、フォーカスをしてみる。すると、えらく集光しているものからかなり拡がるものまで、配光がバラバラだ。そこら辺の個体差は、適当にあたりでカバーする。

夕方、フェスティバルの技術の一番偉い人が来て、「東京ノート」会場で色々と仕切り始めている。「レンズをどれにするか、フィルターをどうするか決めて欲しい」と言われた。フィルターは「コンバージョンのLEE201を用意したぞ」と言っているが、ただでさえメタハラの真っ白の光なので、Bのコンバージョンはいらない。使うとしてもAのほうだ。だが、先方は「201以外にも202も203(注:いずれもB系のフィルター)もあるぞ」と言う。違うんだって、ブルーはいらないんだよ。使うとしてもアンバーだよ、と言っても全然伝わらない。あ、なぜこんなに話が伝わらないかというと、通訳がいなくて、英語(両者にとって外国語)でやってるからである。で、伝わらないので「フィルターは必要ない」と言った。これは伝わった。

レンズは、集光から拡散まで、4段階選べるという。え、そうだったの? もうヤルタの方はバラバラに仕込まれてたから、そのまんま適当にシュートしちゃったよ。でも、ちゃんと選べるんならちゃんと仕込みたい。みんなで「ヤルタ会談」の会場に向かう。

「ヤルタ会談」の会場のライトを見せて、「ね? バラバラでしょ?」と言っても、どうも話が通じない。時間をかけてコミュニケーションして、やっと事態がわかった。「ヤルタ会談」に仕込まれている機材は、すべてレンズが入っていない状態なので、最も集光された状態でなければならないのだが、(理由はわからないが)ひどく光が拡散してしまっているものが混入している、ということのようなのである。彼らの言う「レンズ」は、パーライトのランプの前面ガラスだけみたいなもので、無地透明がVN、曇りガラス状のものがN、車のヘッドライトレンズ状のものがMである。もともと集光されているものに、それらのレンズを入れると、パーライトの球種のように広がりを調整できるということなのだ。しかし、もともとの広がりがここまでバラついていては、レンズ以前の問題である。ということをイタリア人スタッフに伝えるのに、ものすごく時間がかかった。広がりがバラバラなのは、僕には一目瞭然なのだが、彼らはレンズによって広がりを調整できると信じて疑わない。しかたないので実際にライトをつけて、説明する。「ほら、こっちはこんなに小さいけど、こっちはこんなに大きいでしょ。小さいのをレンズで大きくすることはできるけど、大きいのをレンズで小さくすることはできないでしょ」。いや、大きいのもレンズで小さくできる、と言いながら、イタリア人がVNのレンズを機材に入れる。点灯していると機材が高熱になるので、レンズを入れるときはいちいち消灯しないといけない。で、メタハラだからいったん消灯すると5分ぐらいは点灯しない。だからレンズを入れてみてどう変わるかを試す、だけでも10分15分とどんどん時間が過ぎていく。拡散している光をレンズで集光することなど、もちろんできない。そのことは、どうにか納得してもらえたようだが、今度は「いやそれは、ランプの問題だ」と、今度はランプを交換するという。実際ランプを交換してみると、驚くべきことに拡散しているのが直って、ちゃんと集光した状態になった。

というようなやりとりを進めてしまったので、全てのライトについて、拡散しているものについてはランプ交換で直す、ということで進めざるを得ない流れになってしまった。これは僕の戦略ミスである。最初に拡散している器具と集光している器具を適当に使い分けてシュートしてだいたいOKになっていたのだから、そのままで良かったのである。完全に「やぶ蛇」だ。敗因は、この器具について僕の事前調査が不十分だったことである。レンズがない状態で十分集光していなければならない、それをレンズで配光調整する、ということを僕が最初から理解していれば、こんな事態にはならなかったはずである。

結局、替えのランプがそんなに数が揃うわけがなく、ほぼ最初通りのシュートになった。
「東京ノート」のほうは、最初に搬入されたトラスの部材が違っていたとかで、色々と時間を食っている。フォーカスに入れたのは21時半。まあどうにかこうにか今日中には終われそうだ。その後、会場のシャンデリアをつけてみたらどうなるかとか、字幕を出してみて明るさのバランスがどうとかやって、退出したのは23時ごろ。

食事は済んでいたので、テクニカルスタッフみんなで海の見えるカフェでビールで乾杯。ナポリに来てはいるが、やはりみんな日本の原発の状況が気になっている。その話で盛り上がった。

ホテルに帰ったのは1時過ぎだったか。一週間接続し放題のネットアカウントを購入(30ユーロ)。

30日
朝、劇場(と言っていいのか)に入って、テクニカルの細かい直しなど。昼少し前から「ヤルタ会談」の場当たり。「ヤルタ会談」の会場は窓が無く、ほぼ本番環境で場当たりができた。昼食をはさんで「東京ノート」の場当たり、稽古。「東京ノート」の会場は外光が思いっきり入るので、日没にならないと本番環境の光の状態は見ることができない。
19時開演で「ヤルタ会談」ゲネ、20時半開演で「東京ノート」ゲネ。「東京ノート」は、会場の設備照明(シャンデリア)をつけっぱなしにしてやってみたのだが、どうもうまくいかない。日没して照明の光が効く状態になってみると、どうも他の観客の存在が非常に気になって、芝居に集中できいない。「四番倉庫」がうまくいったのに味をしめて、今回も客席が明るいままで行けるかと思ったが、そう甘くはなかったようだ。「四番倉庫」がいかに緻密に作られていたか(自分でやったんだけどね)を、あらためて再確認した形。本番はシャンデリアは消灯して行うことに決定。
ホテルのそばのピザ屋で食事。こちらはこういう店はだいたい25時ぐらいまでは開いている。「夜更かしの街」だ。

1日
午後入り。
ミーティングで、明日と明後日の空き時間をどう過ごすかをみんなで話し合う。治安が必ずしも良くなく、単独行動は危険なので、遊ぶにしてもできるだけまとまって行動しなければならないため、全員で計画を立てる必要があるのである。僕は、明日は昼過ぎから国立考古学博物館を見るだけの短時間コース、明後日はポンペイ遺跡を見るコース、にした。
ミーティング後、少し「東京ノート」の稽古をし、19時開演で「ヤルタ会談」、20時半開演で「東京ノート」、初日。シャンデリアを消して正解だった。
終演が22時半ごろ。退館したのは23時ごろだったか。送迎バスでみんなでホテルに戻り、次に24時(夜中だよ)にロビー集合して、フェスティバルバーへ。今日は僕たちの初日なので、食事に招待されているのだ。
おいしい地中海料理を堪能しました。
ホテルに帰ったのは2時ぐらいだったかな。


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