「あなた自身のためのレッスン」の照明が出来るまで

先週で「あなた自身のためのレッスン」は終わり、今週からは「ソウル市民」五部作の現場に入っています。

「あなた自身のためのレッスン」は、本当に難産でした。多田淳之介演出の新しい作品は、いつも初日ギリギリまで攻防が続くのですが、今回もかなり大変でした。初日が無事に開いた時は、本当に嬉しかったです。

小屋入りから初日までの出来事を書き記します。記憶で書いているので、多少時間的なずれなどあるかも知れませんが、大きくは外れていないと思います。

10月12日
仕込み日。
「あなた自身のためのレッスン」小屋入り。一応プランは書いたのだが、まったく自信はない。というのも、戯曲が難しく、通しを見てもなんだかよくわからないし、演出意図もまだつかみ切れていない状態で作ったプランだからだ。そのような状態でどうやってプランするかというと、「なるべく色々できる」ようなプランを考える。僕が考えたのは、(例によって)三原色の地明かり、それと、1台ずつ単独で使えるように回路わけした9台の白色の地明かり、前中奥&内外に回路分けしたナナメ、前中奥に分けたシーリング、木漏れ日、SS、といったものである。どれをどのシーンで使うかなどは、まったく決まっていない。とりあえず、これを仕込んだ。この日は出演者はお休みなので、仕込みだけで終了。

10月13日
舞台稽古初日。
昼から舞台稽古。照明の大まかな方針を決めるため、とりあえず頭から最後までざっと明かり合わせをさせてほしいとお願いし、一応最初から最後まで明かりを作ってみる。オープニングは良い。ボーダー&客電(既設客席の)。客席にあたっていたボーダーライトのタッパを飛ばすと、一部が文字幕の影になり、客席が暗くなる、という僕の案も採用された。そこまでは良い。

しかし、ボーダーが消えて以降が、どうもうまくいかない。特にひどいのは9台の白色地明かり。どのシーンでもつけられない。二幕(大量の家具がばらまかれる)も、どうもうまくいかない。ナナメとシーリングでとりあえず顔をとるにしても、なんとも明かりがぼけている。しかし、どう直せば良いのかがわからない。しかし、プランが間違っているということだけはわかる。だって、上げられないフェーダーが多すぎる。あれをつけてもこれをつけても、「シーンに合わない光」ばかりつく。とにかく、ダメプランであることは確かだ。失意の内に帰宅。帰路、電車の中で、ぼんやりと問題点が見えてくる。

「地明かりをつけられなかったのは、エリアが区切られるからだ。舞台美術も、演出も、エリアを切るということをやっていない。俺一人だけ、違うことをやっている、だからダメなんだ」

そこに気づいたら、改善案が次々と浮かんできた。地明かりはやめて、テーブルやタンスなどのサスみたくする。ナナメの台数を減らし、その分の機材と回路を使ってアンバーとライトブルーのポチを作る。ナナメとシーリングは、アクティングエリアをきちんと意識し、余計なところにあたらないように絞る。など。

10月14日
手直しを予定していた日。
午前中、昨晩思いついた案に基づいて手直し作業。この日だけは手直し要員を2名確保してある。中でも、地明かり9台をどうやって「サスっぽく」するかが難しいところだが、はっきりしている「テーブル」や「タンス」はサスにし、残りは、なんとなくアクティングエリアに使われる部分を中心に、とりあえずエリアっぽい感じにする。

午後から舞台稽古。頭から。ナナメとシーリングは、アクティングエリアを意識して絞り込んだので、まずまず使いやすくはなった。サスっぽく変更された元の地明かりや新しく作ったポチは、一幕では使わない。一幕は大きな問題は無いようだ。この日の稽古は一幕までで時間切れ。しかし、照明の問題は主に二幕だ。

10月15日
午前中は川崎の「ヤルタ会談」の仕込み。

午後から富士見に戻って舞台稽古。いよいよ二幕である。地明かりを「サスっぽく」したものや、ポチも使ってみたところ、感触は良い。まだプランの輪郭がぼやけているが、方向性としては正解だったようである。

演出家が、突然、置き道具の家具類の位置を変え始めた。舞台美術家も監修してかなり厳密に決められていた家具類を、ぽんぽんと動かしてしまっている。このような重大な変更を、スルッとやってしまうのが、この演出家のすごいところである。見ると、これまで均等に散っていた家具類の置き位置を、数カ所に集める形に変更しているようだ。僕は内心でガッツポーズした。だって、散っていた家具を数カ所に集める、というのは、地明かりだったものをサスっぽいものにするという僕の照明の変更と、方向性がピタリ一致しているではないか。僕のほうは、演出家が集めた家具群に合わせ、「サスっぽいもの」をますます「サスそのもの」に変えていく。

二幕の明かりが、ようやく、形になってきた。アンバーとブルーのポチもどうにか生かせそうだし、プロサスのナマのポチもよく効いている。二幕最後まで稽古を終え、翌日早い時間に通し稽古をすることになった。

10月16日
小屋入り5日目。本番二日前。
午前中は少しだけ手直しとデータ修正。未決定だった細かい段取りを少し稽古したあとに、通し稽古。照明もどうにか合わせることができた。

通し終了後、演出家が「一つ大きく迷っていることがある」という。なんと、二幕の途中で、緞帳をおろすシーンを作りたい、というのだ。緞帳は、そのままおろしたら家具類にぶつかるから、家具の位置を大きく変更しなければならない。そうなれば関連するサスは全部フォーカスやり直しである。っていうか、フォーカスを振るだけでは済まない、吊っているサスバトン自体を変更する必要があるものもいくつか出てくるだろう。しかし2サスは回路使い切り。2サスに何かを足すには、何かを引かなければならない。1サスも1回路しか空いていない。3サスは回路はあるが、位置的に前なので、サスっぽいものを吊るのには適さない。あと、照明の構成的に、緞帳がおりたらプロサスのナマのポチが使えなくなる。客席染めなどの効果も使えない。これはかなり痛い。

演出家が僕に尋ねる「岩城さん的に、緞帳おりるのは、どうですか?」。上記のように、大変きつい状況である。しかし、たしか「まあ、どうにかする」と答えたと思う。だってそれ以外に答えようが無いじゃんか。プロサスのナマのポチや客席染めの効果が使えなくなるということは説明した。

どちらかといえば、「緞帳をおろさないで頑張って作って、後でやっぱり緞帳をおろしたい」となるよりも、「緞帳をおろす前提で作って、やっぱりおろさないことにする」というほうが、楽である。緞帳をおろす前提で、家具の置き位置が大きく変更された。とりあえず、位置変更に合わせて、フォーカスを振ってみる。あまりよろしくない。あと、プロサスのナマのポチが使えなくなるのを、どうにかしたい。考える。考える。くじけそうになるが、涙が出てきそうになるが、こらえて、頑張って考える。

舞台を眺め、サスを見上げ、ふと気がついた「3サスの真ん中が大きく空いている。1サスの真ん中も、少し空いている」。うーん、あれをこっちに持ってきて、その代わりにこれを、などと色々考えている内に、ついに「解」が出た。

・1サスの「タンスサス」を2サスに移動する。
・1サスの「タンスサス」があった場所に「タンスPAR」を移動する。
・2サスの「上手中エリア」を1サスに移動する。
・3サスの中央に凸を6台吊り足し、67ポチとする。
・3サスの両端にあった67ポチ6台は、色を変えて31ポチとする。
・1サスの両端にあった31ポチ6台をナマにする。
・1サスの中央に凸を3台足し、上記と合わせ計9台をナマのポチとする。

これで、サス関係が解決し、プロサスのナマのポチを1サスに移動できたことになる。
吊り位置と回路のめどがついたところで、残り作業は翌日として、この日は退出。

10月17日
本番前日。
朝から、昨日吊り変えたサス関係やポチのフォーカス。
午後から、緞帳をおろす前提で二幕の稽古をする。結局、緞帳はおろすものの、開くことになった(引き割り緞帳なので昇降と開閉ができる)。二幕の途中の盛り上がるシーンで緞帳が下りてきて、降りる途中で開き、6間ぐらいの半開の状態で着地する、という演出が採用された。

緞帳が閉じることは無くなったので、プロサスのポチは生きている。同じものを1サスに作ったが、これは色を入れて手数を増やすべきである。何色にするか、数秒考えて決定。暖色にも寒色にも相性の良い、ラベンダー(#87)である。今一つ「ぼけて」いたいくつかのシーンに#87のポチを使用することで、明かりのバランスが大きく改善した。

あと一つ、クリアしなければならない課題がある。おりた緞帳は終盤の「火事」のシーンでいったん閉まり、すぐアップする。その際に、緞帳がアップしたときに「より火事っぽく」なっていると良い、と演出家が言ったのが引っかかっているのである。「火事っぽく」するには、あと一手、何か欲しい。「緞帳がアップした時」ということは、緞帳の外...と考える内に、下手フロントに、1回路(2台)だけ未使用があることに気づいた。これを既設客席に振って、炎色のポチにした。2台だけだが、効果はあるだろう。

夜、ゲネプロ。何とも不思議なことが起こった。ここまで、シーンごとに「ここはボーダー、ここは地明かり」などと、基本的なコンセプトは演出家のいいなりに作ってきた。ゲネプロでその明かりをつけてみたら、どうみても「自分の明かり」なのである。自分の明かりが「いつの間にか」出来上がってしまった。仕込み直後はあれほどダメだと思っていたのが、ついにこうして、完成の時を迎えた。

10月18日
本番当日。
午後から本番前の最後の稽古。僕が作った既設客席の炎色のポチの光の中に、役者二人が入ってきて着席する、という演出が加わった。演出家の要請で照明を作る→その照明を受けて新しい演出が加わるという、演出家と僕との、痛快な連携である。

既設客席の二階席、遠くの、オレンジの光の中に座る俳優二人は、ビニール幕ごしに、ぼけてぼんやりと、距離感が強調されて、実に遠くに見える。その姿はまるで、茶の間に座って遠くの大災害をテレビで見ている、私たちのようではないか。なんと効果的な演出だろう。

こうして、「あなた自身のためのレッスン」の初日が、無事に開いた。


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「あなた自身のためのレッスン」照明決定

「あなた自身のためのレッスン」、上演中です。
照明は、現場で何度も修正され、最終的にはこうなりました。

照明決定図面

23日(日)までやってます。

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照明図面、逆じゃね?

キラリふじみ・レパートリー「あなた自身のためのレッスン」、明日小屋入りです。
これを仕込みます。

照明図面

舞台関係者なら、一見して、「あれ、逆じゃね?」と思っていただけると思います。


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近況

ブログを更新したいのですが、面白い話をちょっと思いつきませんので、とりあえず近況だけ書きます。

アンドロイド演劇「さようなら」は、この週末に京都公演を終え、僕としてはいったん終わりです。「さようなら」自体は、この後も豊中(大阪)、フランス、タイなどと続いていきますが、僕の参加が予定されている公演は、今のところありません。

次の僕の仕事は、大きいものは、キラリ・ふじみ・レパートリー「あなた自身のためのレッスン」(作:清水邦夫、演出:多田淳之介)、そしてそのすぐ後に続く「ソウル市民」五部作です。五部作とは、「ソウル市民」「ソウル市民・1919」「ソウル市民・昭和望郷編」「ソウル市民1939・恋愛二重奏」「サンパウロ市民」を指しますが、この内の前の三つは再演、後の二つ(恋愛二重奏とサンパウロ)が新作です。一昨日(3日)はソウル新作二本の通し稽古を見ました。今日(5日)は「あなた自身」の通し稽古を見ました。

これら二つの大きな仕事の合間に、「ヤルタ会談」が二回(大阪と川崎)行なわれます。あ、こう書くと、「ヤルタ会談は小さな仕事なのかよ」と、「ヤルタ」関係者がむくれそうですが、まあ実際、「ヤルタ」は劇場も小さく、仕込みも小規模で、公演期間も短いので、「あなた自身」や「ソウル五部作」に比べたら、やはり「小さい」ことは否定できません。

プランにかかる時間もずいぶん違います。上記の内、一番プランに時間がかかるのは、おそらく「あなた自身」で、12日が小屋入りですがその前にたぶん、5〜10時間ぐらいかけて図面を書くことになるでしょう。そして、小屋入りしてからもずいぶん変更をすることになると思います。

「ソウル五部作」は、それに比べるとやや短いと思います。図面を書くのはおそらく3〜4時間でできます。そして、小屋入りしてからの変更はほとんど無いでしょう。

「ヤルタ会談」は、二ヶ所とも図面はすでに出来上がっています。書くのにかかった時間は両会場とも2時間以内だったと思います。

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鳥の劇場

鳥の演劇祭でのアンドロイド演劇「さようなら」に同行してきた。鳥の劇場に行くのは、数えてみたら今回が6回目である(「隣/ヤルタ」「火宅」「LOVE」「カガク/北限」「そんなに驚くな」「さようなら」)。初めて行ったのが第1回「鳥の演劇祭」に参加した「隣にいても一人」「ヤルタ会談」で、それは3年前、つまり、3年間で6回行ってるわけで、これは、かなり多いと言える。鳥の劇場の方にうかがっても、外部のスタッフとして鳥の劇場に来てる回数では、僕が最多であることは間違いないそうだ。光栄である。

鳥の劇場は、行くたびに劇場(ハードウェア)がバージョンアップしている。最初行ったときは、「スタジオ」での公演だったのだが、エアコンが上手にあった。次に行ったときは、受付が操作しやすい下手に、エアコンが移設されていた。

当時、「劇場」のイントレは3段で、僕が「火宅か修羅か」の照明でどうしても4段の高さにパイプが欲しいとお願いし、単管とクランプで仮設していただいた、それが3年前。それがその後常設となり、今回行ってみたら、その高さのパイプが仮設でなくてきちんと組み直され、仕込みやすいように足場がその高さにできていた。

「劇場」は夏は暑く、冬は寒く、そして空調の音がうるさく、温度調整がなかなか難しかったのだが、今回行ってみたら、なんと客席の上空に音の静かな空調機が吊られており、上演中の客席を快適な温度に保っていた。

当初は「劇場」と「スタジオ」の電源が共有で、しかも総容量が少なく、両方で電気を融通し合う必要があったのだが、現在は大電力の電源が引き込まれ、容量を気にせず使うことができるようになっているそうである。

当初カフェだった「しかの心」は、カフェ機能を残しつつ、面積の大部分が劇場に改装され、昨年はそこで柿食う客の公演が行われた。今回はこふく劇場が公演をしている。

(たしか)2年前(ぐらい)に鳥取県知事、平田オリザらによるシンポジウムが行われた「交流館」は、現在はその面積の半分近くが劇場に改装されており、今回はチェルフィッチュの公演がそこで行われた。

僕たちが初めてこの地を訪れたとき、そこは鳥取県鹿野町であった。しかし、現在は市町村合併で、「鳥取市」の一部となっている。その結果、鹿野町議会は消滅した。その、使われなくなった鹿野町議会の議場を劇場に改装した「議場劇場」で、今回僕たちは「さようなら」を上演した。

その隣には、仮設の野外劇場が作られ、鳥の劇場の公演が行われている。

これら、「劇場でないところを劇場に改装する」というノウハウは、鳥の劇場は、まず間違いなく世界一のノウハウと技術を持っていると思う。そういう所に、僕が、外部スタッフとしては最多回数、訪れている。これは、偶然とは思えない。何かそこに、僕の「役割」があるのだと感じている。

鳥の劇場は、よく、利賀と比較される。しかし、僕にとっては、利賀と鳥の劇場は、まったく違う。鳥の劇場に僕が行くと、その場所、人、ハード、ソフト、すべてが、僕を歓迎してくれるように感じる。鳥の劇場のメインスタッフが、みんな僕と親しい友達になってくれている。そういう場所では、自然と、僕の仕事のクオリティも上がるものである。利賀では、そういうことは無かった。


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