30年以内に大地震が来る確率が87%、の件

「30年で大地震の確率は87%」に対する、竹中平蔵のコメントが、だいぶ話題になっているようである。

http://togetter.com/li/133823

「結局どうなの?」と疑問が消えないあなたに、数学専攻の私が、きちんと解説してさしあげよう。

この問題がクセモノなのは、「○○年以内に○○が起こる確率」というのを扱っている点である。確率というのはそもそも、「すごくたくさん繰り返したとすれば、どれぐらいの割合でそれが起こるか」を説明する理論であって、この場合の「大地震」のように、滅多に起こらないことを説明するのは、本来の確率論からは外れる、という理解を、まずしていただきたい。本来の確率論から外れているので、地震が起こる確率というのは、そもそも数学の話ではない。

とはいうものの、この87%という数字だって、それなりの根拠を持って計算しているわけだろうし、それは、数学の定義による元々の「確率」の定義とは違うだろうけれど、一応、それなりに信頼できる、「確率っぽい」数字なのだろうと思われる。だから、それをないがしろにする気は、もちろんない。

以上は前置き。これからが本題。上記の前置きは、以下の本題には関係しないので、忘れても可。

えーと、「30年以内に大地震が来る確率は87%」。実にわかりにくいですねぇ。とりあえず、「大地震」だとわかりにくいから、「死ぬ」にしましょう。

「30年以内に死ぬ確率は87%」。この命題を考えてみます。

ほぼ間違いない予想:「僕が、500年後も生きている確率は、0%」

これは、わかりますよね。僕は、今、46才です。

「46才の人が、500年後も生きている確率は、0%」

これは、ほとんど絶対に正しい。まあ、本当に絶対ではないけど、ほとんど正しい。

歴史上、最も長生きした人は、何才まで生きたでしょうか。聖書の世界では何百才とかあるようですが、そういうのは別として、近代的な記録の中では、122才というのが、最高齢の記録らしいです。そうすると、

「現在46才の人が、100年後も(つまり146才まで)生きている確率は、0%」

これも、ほとんど正しいですね。46才の僕は、100年後は、まず間違いなく、死んでいる。

じゃあ、現在120才の人について、

「現在120才の人が、30年後(つまり150才まで)生きている確率は...」
これも、かなり0%に近い数字でしょう。だって、過去の最高記録が122才なんですから、150才っていうのは、やっぱり無理がある。だから、120才の人が、30年後も生きている確率は、ほぼゼロ。

じゃあ、現在5才の子供について、

「現在5才の人が、30年後(つまり35才まで)生きている確率は...」
これは、かなり高い。99%ぐらい? もっと高い?

さて、「30年後に生きている確率」の逆は、「30年以内に死ぬ確率」ですね。つまり、上記が正しいと仮定すると、

・現在120才の人が、30年以内に死ぬ確率は、ほぼ100%
・現在5才の人が、30年以内に死ぬ確率は、1%以下

とすると、120才と5才の間のどこかに、「30年以内に死ぬ確率が、87%」になる年齢が、あるはずです。ちゃんと計算すれば算出できるんでしょうけど、仮にそれが70才ぐらいだと仮定することに、それほど無理はないでしょう。

※現在70才の人が、30年以内に死ぬ確率は、87%・・・と仮定する

現在70才の人が、30年以内に死ぬ確率が87%だとして、じゃあその人が1年以内に死ぬ確率は? それはかなり低いですね。でも、1年以内に死ぬ確率が、87%÷30=2.9% だっていう計算も、なんか違う感じがしますよね。そう、だから、たしかに、単純な割り算ではない。でも、87%を30で割るというのが、むちゃくちゃ間違ってるとも言えないっていう感じはするでしょう?

要するに、30年以内に死ぬ確率は87%だとしても、この1年、あるいはこの一ヶ月に死ぬ確率は、具体的な数値はわからないけど、かなり低い。もちろんゼロではないけど、かなり低いじゃねえの。というのが、竹中平蔵の主張です。

竹中平蔵が言っているのは、浜岡原発を、「今すぐ」止めるのも「一ヶ月後に」止めるのも、たいして違わないだろう、っていうことです。その主張は、「確率」の取り扱いだけで言うなら、ほぼ正しい、というのが、正解です。

おわり。

あ、ちなみに僕は個人的には竹中平蔵は、嫌いです。


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やぶさか

○○するのは、やぶさかではない」という言い方を、よく見聞きする。

しかし、僕はこれ、ちょっと違うんじゃないかと思うのである。

○○するの、やぶさかではない

ではなくて、正しくは、

○○するの、やぶさかではない

じゃないだろうか。

と思って、関連を、色々ググってみたら、そこんとこ以外にも、

「やぶさかではない」ではなくて、正しくは、「やぶさかでない

とか、

「○○するのに」ではなくて、正しくは、「○○するに、やぶさかではない」

とか、

いろんなのが出てきてしまって、よくわからなくなってしまった。

結局、よくわからないので、この件、詳細を調べるのにやぶさかでない方、あとはよろしく。


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菅首相の「要請」の目的

菅首相の浜岡原発停止の「要請」について、浜岡原発の地元自治体の長が「浜岡だけ止めろというのはおかしい。止めるなら全原発を止めるべき」と言っているそうである。

原発はその土地の重要な「産業」であって、それを停止すると、そこで働く人を中心に、経済的なダメージがある。全国のすべての原発を止めようという話なら、それは国の原子力政策全体を見直さざるを得なくなるので、全国規模で原子力産業の経済への影響を考えることになるが、もし浜岡だけを止めるとなると、浜岡の地元だけが割を食う形になる恐れがある、というのが、地元市長の発言の意図だと思われる。

さて、停止の要請を受けた中部電力は、実際に浜岡原発を止めることができるのだろうか。中部電力としてもこれは大きな経営判断である。そう簡単には決められまい。

世論が全体的に反原発に傾きつつある今、仮に首相の要請通りに中部電力が浜岡原発を停止させれば、それは菅首相の要請が効果があったということで反原発派の世論には歓迎されるだろう。しかしその結果、中部電力の会社経営に深刻な影響が出るのは間違いない。

いっぽう、中部電力が要請を断り、浜岡原発の稼働を続けるという判断をしたとすると、菅首相は要請を無視された形になるが、おそらく「中部電力の民間企業としての判断なのでやむを得ない」といった態度に出ることにより、反原発派の世論の攻撃を中部電力に向けさせる作戦に出るであろう。

つまり、実際に浜岡原発が停止されようとされまいと、どっちにしろ菅首相はポイントを上げ、中部電力には打撃となる。菅首相は中部電力をダシにして、支持を維持することに成功することになる。政治家の「やり口」としては、なかなか「したたか」であると言えるだろう。


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「平田オリザ演劇展」の照明

「平田オリザ演劇展」の照明は、汎用性の高いオサエ(ウォッシュ)と、演目ごとのスペシャルな仕込み、の組み合わせで出来ています。
仕込図に沿って解説してみます。



この中で、
・地明①~⑤
・奥地明①~③
・前地明①~⑤
は、真下に落としているいわゆる「地明かり」ですが、配置がやや特殊になっていて、かつ、すべて単独回路で独立に点灯できるようになっています。演目ごとの舞台の形の違いをカバーするために、このような変な配置になっています。たとえば、地明①~⑤は、下手奥から上手前にナナメに配置されていて、これは「マッチ売りの少女たち」の巨大テーブルのトップライトを兼ねています。それに奥地明、前地明を全て加えると、舞台全面をカバーする地明かりになります。「マッチ売りの少女たち」では、「地明」を明るく、「奥地明」と「前地明」はやや暗めに点灯します。またたとえば「ヤルタ会談」ではこれら全てを、ほぼ同じ明るさで明るめに点灯します。

・サイド下(奥・前)
・サイド上(奥・前)
・奥あて下①、②
・奥あて上①、②
・奥CL

これらは、舞台の内から外に向かう光で、舞台の「閉鎖感(室内感)」を演出します。これも細かく回路が分けられており、演目によって、あるいはシーンによって、適切なものを選んで点灯できるようになっています。

・フロント(下手・上手)
・#B-4シーリング

これらは、舞台の前半分を前からあてている光で、舞台の「開放感(屋外感)」を演出します。

・切り穴

これは、下手のデハケ口のトップライトのつもりで書いたのですが、実際には地明①でそれを兼ねられることが現場で判明したので、カットになりました。その分の機材は、舞台中央前端に吊り替えられ、「前地明⑥」になりました。

以上が、オサエです。これらの仕込みから、演目に応じて適切なものを選び、適切な明るさで点灯します。しかし、それだけでは多彩な演目の照明演出としては不十分なので、演目ごとのスペシャルの仕込みが加えられています。

「マッチ売りの少女たち」
・夫、妻
・#73、#37(現場で#67に変更)、#87

「走りながら眠れ」
・#B-4(奥、前)
・すだれ(二色)

「ヤルタ会談」
・スターリン、ルーズベルト、チャーチル
・旗

「さようなら」
・A(①、②、③)
・B(①、②、③)

これらスペシャルで強いものを、先ほどのオサエに重ねることにより、全体のバランスを作っています。

なお、「舌切り雀」は出演者が一人で演技エリアも狭いので、スペシャルの仕込みは特に作らず、オサエの明るさの調整だけで作りました。ただそれだけだとセンター奥の光量が足りなかったのでヤルタ用の「ルーズベルト」を加えています。

「さようなら」が去る3日で公演を全て終了したので、A(①~③)とB(①~③)をバラし、その機材を使用して、「銀河鉄道の夜」(14日初日)のスペシャル照明を、昨日の公演終了後、仕込みました。本日休演日は、その明るさのバランス調整作業を行います。

「平田オリザ演劇展」、17日までやっています。明日7日の「マッチ売りの少女たち」だけ売り切れですが、他の回はすべてご予約可能です(本記事掲載時点)。
混雑状況の確認と、チケットのご購入・ご予約は、「青年団公演オンラインチケット販売」の画面で簡単に行なえます。
皆様のご来場をお待ちしております。


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Perfume 武道館ライブのピンスポット

以前、ツイッターに「武道館ピン」と題して連続ツイートしたものを、まとめて加筆して再掲します。武道館ライブのDVDをお持ちでないと、あまり面白くないかも知れませんが、悪しからず。

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Perfumeの武道館ライブのDVDは、ピンスポットがとてもわかりやすく映っています。ピンスポットについて、少し細かく分析してみました。

ピンスポットは、通常は中央正面からあてられますが、武道館のような大きな会場の場合、斜めや真横からもピンスポットが使用されることが多いです。しかし、斜めや横のピンは画面からの解析が難しい面がありますので、今回は正面のピン(センターピン)のみを取り上げます。

ピンスポット自体については、以前「エレワの照明」と題した連続ツイートで少し紹介しました。ピンスポットは、とても強力な光を放ちます。白い光のピンで照らせば顔が明確に明るくなるし、カラーフィルターが入れば、その色に一発で染まる、強い光です。

武道館の一曲目「コンピューターシティ」では、なんとピンスポットは使われていません。この「コンピューターシティ」は、ピンが全くあたっていないので三人の顔はずっと暗いままです。これは実に思い切った演出だと思います。

センターピンは、普通、中央の高い位置にある部屋(ピンルーム)から照射されます。DVD画面でもピンルームは確認できます。「コンピューターシティ」中だとタイム4m52sぐらいから。二階席中央の頭上に、横に細長い窓が三つ並んでいるのが見えます。これがピンルームの窓です。

「コンピューターシティ」ではピンスポットは使われていないので、ここではまだピンルームの窓は暗い、ただの黒い四角形にしか見えません。しかし、このあとピンスポットが点灯されると、この窓から強力な光のビームが照射されるのです。

二曲目の「edge」からピンスポットは使用されているのですが、DVD映像でピンスポットの光を確実に確認できるのは、次の「エレクトロ・ワールド」が終わった後のMCの時、タイムで言うと15m30sぐらいのカットです。先ほどの窓から、強烈に明るい6本のビームが出ているのが見えます。

ピンが6本ということは一人に対して2本のピンがあたっているということです。「plastic smile」「love the world」ではピンの丸い光とその影が後の壁や床に出ていまが、よく見ると各2本のピンによる少しずれた二つの影が出ています。

ピンをPerfume一人に対して2本ずつ(6本)使用しているのは、おそらく明るさを確保するためだと思われます。逆に、明るさがそれほど必要ない曲などで、一人に1本だけピンがあたっているケースも見つかります。

たとえば「マカロニ」は、一人1本のピンです。イントロ(DVDタイムだと29m05sぐらい)でピンルームから光が3本だけ出ているのが確認できます。ちなみに歌中の、29m27sぐらいのカットを見ると、横からのピンの光も見えます。

この分析をしてて面白いことに気づきました。サビの途中30m22s付近を見ると、ピンの光が交差しています。かしゆかにはまっすぐ光が当たっていますが、あ~ちゃんとのっちにあたる光がクロスしています。2コーラス目のサビ、31m09s付近ではよりはっきりわかります。

この理由は、(おそらく)ピンスポットの操作者が「誰を照らすか」を決めているからだと考えられます。具体的には、下手(しもて)のピンはかしゆか、中央のピンはあ~ちゃん、上手(かみて)のピンはのっちを照らす、と、決められているようです。

この武道館ライブでは、その原則は最後まで守られます。合計6本のピンがありますが、下手側2本がかしゆか、中央2本があ~ちゃん、上手2本がのっちを照らしています。常に。

たとえば「GAME」の48m56s付近で一瞬ピンのビームが映ってますが、ここでは三人の並び順が下手から「あ〜ちゃん」「のっち」「かしゆか」の順です。中央2本のピンの光が、下手のあ~ちゃんを照らしているのがわかりますね。

あるいはMC中の1h04m23s付近。ピンルームからのビームを見ると、中央2本のピンが消えていて、下手の2本がかしゆかを、上手の2本がのっちを照らしていることが確認できます。この時あ~ちゃんはステージにいません(おそらく)。

「PTAのコーナー」の、たとえば1h20m12s付近からなど、6本のピンスポットが2本ずつ分担して3人を追う様子が観察できます。それら、常に、下手側2本のピンがかしゆか、中央2本のピンがあ~ちゃん、上手2本のピンがのっちを照らしています。

「うえしたうえうえ」で盛り上がる「Puppy love」の1h31m21s付近からを注意深く見てみましょう。やはり、「下手ピン=かしゆか、中央ピン=あ~ちゃん、上手ピン=のっち」の原則は、絶対に崩れていません。

このように、ピンスポットは通常、舞台上の「誰を照らすか」を決めてオペレーションされます。

「武道館ピン」おわり


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